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2008年06月19日

らくたび文庫でも言及が…

グーグルでの「プレイガイドジャーナル」検索にやや変動が…。
しかし、それを跡付ける暇はない。

「らくたび文庫」の19巻は、『京都の学生文化を歩く '60-'70年代グラフィティ』である。
これでも、やはり『プレイガイドジャーナル』は取り上げられていた。
「第一章 よく遊んだあのころ」の「マンガ ミニコミ」のコーナーで扱われている。
見開き一ページのそのコーナーには、9冊の雑誌単行本の表紙の写真が使用されている。
『ガロ』1冊、『少年マガジン』2冊。
『プレイガイドジャーナル』4冊。
『バイトくん2』『バイトくん3』。
確か『バイトくん2』と『バイトくん3』はプレイガイドジャーナル社から出ていたのでは。
とすると、この見開き頁の写真の3分の2はプガジャ関係というわけか。

頁の右下には小さなコラムが。
全文を盗用=引用しておくと↓

「「街で生活するひとへのメッセージとイベントガイド」
こんなキャッチコピーをかかげた『プレイガイドジャーナル』、通称プガジャ。ページを開くと、
小さい字がビッシリ! 自分が住む関西のイベント情報を幅広く載せていたプガジャは、
身近で貴重な情報源。学生運動のおかげでしばしば休講したため、映画や芝居は教養を深める
勉強のためのものでもあった。小さい字とにらめっこしながら、今月は何を見ようかな‥‥♪」

本文では「学生運動を戦うかたわら映画や芝居を楽しみ、時にはバリケードのなかで
マンガを読んでいた学生たちの手には、ミニコミ誌『プレイガイドジャーナル』や
雑誌『ガロ』『少年マガジン』があった。」とある。

ところで、
プガジャがでていたとき、「学生運動で休講」とか「バリケード」とかあったのかなあ。
(もちろん皆無じゃないと思うけど…)

1970年3月31日がよど号ハイジャックの始まり、
1972年2月19日が浅間山荘事件の始まり。
プガジャ創刊は、その間で、1971年7月と思われるが、
学生運動が大学から消えてゆくとき、
そのある種の受け皿として出てきたってことないかしら?

『京都の学生文化を歩く』は軽いものらしいから、
厳密さを求めてもはじまらないけど、さ、…。


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Posted by 愚華 at 12:32│Comments(0)プ蛾蛇
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