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2012年03月06日

祇園会館もさようなら

名画座としての祇園会館が、3月末で名画映画上映をやめるという記事が『京都新聞』に載っていた。

記事では、会館ができたのが1958年となっている。
名画を本格的に上映するようになったのは60年代だという。
60年代のいつかは特定されていない。
「昔ながらの「入れ替えなし、2本立て」のスタイル」が
特徴と記されている。
(「ネット」版:2012年3月5日22時44分)


古本屋から探した『京都青春街図』(たぶん第2版)によると、

「□祗園会館
☎075・561・0160
特選洋画3本立ての二番館。名作、佳作中心の
プログラムピクチャーは、映画ファンに定評があ
ります。女性客も多いのです。
大人¥850 学生¥650。」

ということだ。これは、1976年夏の情報。

友人が古本市で手に入れた『プレーガイドジャーナル』
1974年2月号を見ると、

1974年2月8日まで、
・「007 ドクターノー」「最後の猿の惑星」「小さな巨人」

1974年2月9日から2月21日まで、
・「ラストタンゴ・イン・パリ」「街の灯」「高校教師」

1974年2月22日から、
・「小林多喜二」

というプログラムになっている。


同じ号の『プガジャ』の「風噂聞書」には、
「*「小林多喜二」ついに完成しました。」
という情報があり、
「2月19日に京都会館で完成記念試写会が行われます」
との記述もある。  


Posted by 愚華 at 13:17Comments(0)プ蛾蛇

2011年07月19日

原田芳雄とその映画

原田芳雄が死んだ。
ネットで調べたところ、かなり病んでいたらしい。
それにしても腸閉塞と肺炎というのはどういうことなのか。
少し不思議である。

彼が出演したもので観たことがあるものを調べつつ思い返してみた。

「八月の濡れた砂」1971年、藤田敏八監督である。

最高傑作と思われるのは、「竜馬暗殺」1974年、黒木和雄監督である。
中岡慎太郎を石橋蓮司が、右太を松田優作が、妙を桃井かおりが演じた。

寺山修司監督の「田園に死す」1974年、にも出演していた。
八千草薫や三上寛が出ている。春川ますみの空気女が印象的。

黒木和雄監督の「祭りの準備」1975年、にも。
竹下景子のほぼデビュー作だったと思う。

「悲愁物語」1977年、鈴木清順監督。
たしか最後がのシーンだったのでは…。

「原子力戦争 Lost Love」1978年、黒木和雄監督。
低予算映画だったのだろう、マイクが見えているシーンがあったが、そのまま使っていた。
原作は、田原総一朗である。ロケ地はフクシマ

「オレンジロード急行」1978年、大森一樹監督。
嵐寛寿郎と岡田嘉子が出演している。
大森にとっては、「暗くなるまで待てない!」 の次の作。
プガジャ」82号(1978年4月号)では、「「オレンジロード急行」関西ロケ」が特集されていた。
そこには大森と打ち合わせる原田の写真も掲載されている。

「ツィゴイネルワイゼン」1980年、鈴木清順監督。
その幻想性が心地よかった。

「ヒポクラテスたち」1980年、大森一樹監督。
これはホントに京都映画である。
もう一度観たい。

「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」1985年、森崎東監督。
横山幸子も出演。
これはどこでみたのだろうか?  続きを読む


Posted by 愚華 at 18:23Comments(2)プ蛾蛇

2009年05月19日

怪物ランドとプガジャとおたく

久しぶりにネットでプレイガイドジャーナルを検索。

「オタクの電脳blog」内の「おたくな京都」内で、プガジャへの言及に遭遇。

やや興味深いので、採集しておく。

以下盗用=引用。

「最近見かけなかったなと、店置きのL magazineを手にしたら、何と去年で休刊していました。なるほど見ないわけだ。ネットの発達で月刊誌さえ「情報が遅い!」と感じるようになった昨今、出版不況も重なって色々大変なのかしらん。
創刊から31年とありましたが、そんなになるんだ。学生時代は大阪で過ごしていたけど、自分はプガジャ(プレイガイドジャーナル)派だったからなあ。」

このあたり面白い。情報誌に「派」がある。
左翼系学生運動からの影響か?

「80年代若者カルチャー、レンタルレコードの黎紅堂、ビックリハウス、漫金超(まんがゴールデンデラックス)、文化屋雑貨店、アメリカ村、友達が下宿していた下北沢の闇市みたいな駅前商店街・・・コーヒーと逝く春、そぼ降る雨のせいか、ちょいとおセンチに青春時代を思い出したゼ・・・ククク、若かったゼ・・・。
(「おたく族」って言葉も、82~3年に出てきた言葉だったっけ。平光琢也、赤星昇一郎、郷田ほづみの「怪物ランド」が深夜番組「ウソップランド」でギャグにしてたのをはっきり覚えている。)」

で、注目は、「怪物ランド」。

ウ-ーーン。

「プガジャ」と「おたく」が「怪物ランド」とつながっていたか。

愚かにもこれは発見であった。  


Posted by 愚華 at 22:55Comments(0)プ蛾蛇

2009年03月12日

プガジャ67号の慄き

先日知人が『プレイガイドジャーナル』の67号をもってやってきた。
1977年1月号である。
何でも、古本屋で見つけたとか。

この知人曰く、その中のある記載を目にして、ほとんど時空を超えたようなおののきを感じたらしい。

愚かにもそのページを見せてもらったのだが、ある劇団が作ったらしいミニコミを、
プガジャ編集部で受け取ったという実に7行の記事に過ぎない。

そこに「劇団キューブ社」という名前が記載されている。
住所は「下京区高倉通松原東入ル 三洋ビル5F」

友人は、あるジャズ喫茶でこの劇団キューブの方にスカウトされた。
興味本位でのこのこ事務所までついて行ったらしい。
そこには、他にもスカウトされた学生がいて、某大学某学部の反代々木系学生運動の「闘士」などもまじっていた、という。
どういうわけか友人はそこに何度か行ったらしい。しかし劇団に入団はしなかった。
ある時その劇団の女優と二人で、これも今となっては理由が判らないのだが、その事務所を出て、
四条大橋をわたっていた。
と、男が彼女をからかったらしい。
女優は持っていた傘で、思いっきり男を叩いた。
男は、笑いながら去っていった。

そうしたシーンが、『プレイガイドジャーナル』67号の、7行の記事から甦ったとさ。

語られた者の関心。
①「劇団キューブ社」と何なのだ。友人は、同志社系のアングラ劇団では、と記憶している。唐十郎や寺山修司的雰囲気もあったみたい。
②「下京区高倉通松原東入ル 三洋ビル5F」は今どうなっているのか。「劇団キューブ社」が、30年前と同じ形で、残っていたら面白怖い。  


Posted by 愚華 at 18:02Comments(0)プ蛾蛇

2009年03月10日

どこのディスコへ行ったのだろう

プレイガイドジャーナルの85号(1978年7月号)を見ると、「ロードショー」の情報欄に、
「サタデー・ナイト・フィーバー」の上映予告が出ている。

京都での上映は「東宝公楽」。7月下旬。

「サタデー・ナイト・フィーバー」と、京都におけるディスコ営業の関連は分からないが、
70年代終わりから80年代前半にかけて、ディスコが急増したと思う。
(そういえば、札幌に「なまらクリスタル」というディスコがあった)
次のブームは90年代かなあ。これはただ推測で今のところ確証はない。
しかし、90年代はクラブかなあ。

ともあれ、かつての京都のディスコだが、今チェックしておかないと記憶からも記録からも
散逸してしまう気もしなくもない。
映画館に関しては、丹念な記録が残されているが(それでも落ちはある)、
ディスコは…。

確か、河原町今出川下ル東側に一つあったと思うけど、これ幻想だろうか。
もちろん店名の記憶のかけらすらない。  

Posted by 愚華 at 18:19Comments(0)プ蛾蛇

2009年03月08日

全体眺望

久しぶりに、手元の『プレイガイドジャーナル』をチラチラ見ていた。

やはり驚くのは、これだけいろいろな活動がなされている、ということ。
そして、その活動が一度に一月分見渡せるということ。
『エルマガ』が昨年休刊になるということが発表されたときに、
朝日新聞や京都新聞で、「情報誌」の時代の終焉についてのレポートが載った。
そこでのポイントは読者層の減少とそれに連動する広告収入の減少。
これが情報誌に幕を引いたというわけである。
その背後には、インターネット普及とケータイ普及があるという指摘も重要。

しかし、それよりも、『プレイガイドジャーナル』を手にして分かる、
活動総量への志向と、各活動を自分でネットワーク化するという指向性が、
なくなったのが問題じゃないだろうか、と思ってしまう。
全体を見たい、という欲望が薄れたのだろう、きっと。

それにしても、手元にはB6版のプガジャしかないのだが、
そのギッシリ感はすごいし、80年代初めまでの、関西のアクティブさも
ズッシリと伝わる。  

Posted by 愚華 at 15:54Comments(0)プ蛾蛇

2008年11月18日

久々に大驚愕

古本は高い。

いや、高い場合もあるは、非常に安く手に入る場合もある。

今回は高いケース。
それも超高。

愚かにも興味がある『プレイガイドジャーナル』。
とある古本屋で、70冊弱のバックナンバーが10万円。

いやーーーー、ほんと、驚いた、これは。
一冊1000円以上だよ。
ただ6年間分だからなあ。

もう、『プレイガイドジャーナル』にちょぼちょぼ興味を持つのは、
愚々々々々々、ということである。  

Posted by 愚華 at 17:08Comments(2)プ蛾蛇

2008年11月03日

なんとなく繰ってみると

清水昶の『二十歳の原点』の書評は、「シャンクレール」から始まるのだが、
「しぁんくれーる」って、『プレイガイドジャーナル』に広告を出していたのを思い出した。

愚かにも所有するバックナンバーは、75年4月号から。
やや飛び飛びである。
頁を繰ってみると、9月号には出ていた。
この不鮮明な写真がそれ。↓



7月号にはない。
8月号は持ってない。

もしかして、これ「しぁんくれーる」の広告の第1号かしら?  

Posted by 愚華 at 19:55Comments(2)プ蛾蛇

2008年11月03日

あのなつかしい

1971年7月号の『ニューミュージック・マガジン』に清水昶が『二十歳の原点』の書評を書いていた。

書評の内容よりも出だしが興味深い。
こうある。

「あのなつかしいジャズ喫茶「シャンクレール」(思案に暮れる)が高野悦子の思考の中心軸になっていたらしい。京都という町は不思議な町で、無数にある喫茶店のどのひとつに入っても、一度そこにうずくまれば、町全体のどの位置に自分がいるのか即座に判明し、不思議なやすらぎを覚えるのである。たとえそこに行って見たことがなくても、この方形の町は隅ずみまで知りぬいているような錯覚を人にあたえ、おのれの位置のみを鮮明にするのである。」

内容的には明確につかめないが、雰囲気的には分かる、詩的といっていい表現。
「不思議」という概念が二度も使われ、「街」でなく「町」である。
ここに、京都に、京都の喫茶店に、磁場と魅惑的な何ものかがある、
ということであろう。

70年代の初めの証言=表現だ。

が、磁場と魅惑は、ひきつけられたものに、「孤」をもあたえる。

「ただし、人はみずからの位置のみが鮮明になった場合、限りない孤立に堪えねばならなくなり、たぶん風景は敵になる。高野悦子の場合、風景とは一見して眺望し得る京都の町であり、そこにうごめく青春群像であった。全共闘の観念も彼女を救い得なかった。」


ところで、この書評は、71年7月号だから、5月か6月に書かれたものだろう。
二十歳の原点』は、71年5月に単行本として出版されている。
そのころどういう状況だったのか。

前年には、3月14日から9月13日まで半年、大阪で万博開催。
70年3月31日には、よど号ハイジャック。
70年7月18日、東京で光化学スモッグ発生。
70年11月25日、三島由紀夫割腹自殺。

二十歳の原点』出版後は…。
71年6月17日、沖縄返還協定調印。
71年7月1日、環境庁発足。
71年7月1日、『プレイガイドジャーナル』創刊。
71年7月15日、アメリカ大統領の訪中が発表。(72年2月21日訪中)
71年7月20日、日本マクドナルド1号店開店。(銀座)

こうした中で、浅間山荘事件への道もつくられつつあった。


こうしてみると、やや強引だが、
プレイガイドジャーナル』の出現は、『二十歳の原点』の登場とつながっていることが分かる。
清水が、書評でまず京都の喫茶店について触れたのも、
このつながりを示す状況証拠ともいえそうだ。  

Posted by 愚華 at 13:18Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月29日

このグローバル化にはちょっと驚き

例によってネットでプレイガイドジャーナルを検索。
最近は新奇な情報などにあたらなく、マンネリと思っていたが、
英語版のウィキペデアで言及されていたのには、チョット驚き・感動。

以下盗用=引用。

Baito-kun (バイトくん) is a yonkoma manga by Hisaichi Ishii serialized in the Kansai area information magazine Play Guide Journal (プレイガイドジャーナル, Purei Gaido J?naru) beginning in 1972. This was Ishii's debut professional work. In addition to being a long-running series in the magazine, many of the characters from Ishii's later series first made their appearances in this series.

関西ローカル化と思いきや、世界化していた。  

Posted by 愚華 at 23:42Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月24日

絞死刑という映画があった

「西宮流」HPでの村上知彦インタヴューがいまいち面白くなかった。

が、神戸新聞の「思いでシネマ」の村上インタビューは短いけど
興味深く、重要な情報が含まれている、と感じた。
(www.kobe-np.co.jp)

おお、と思ったのは、「ピンク」を見るオルタとしての「ATG」。
これかなり凄い発言。
60年代社会文化史では重要な視角を提供する。

それで観たのが「絞死刑」というから、これまたいい。

でも、大江健三郎とのつながりへも目を向けてよ、と思うが…。

とはいえ「絞死刑」はかなりの作である。  

Posted by 愚華 at 23:12Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月24日

消滅をどう解釈するか

日々暑い。暑さに弱いので、日々衰弱度を増しつつある。

で、冷房で冷えた所で、ネットを。

で、で、「西宮流」(nishinomiya-style.com)というサイトに行き着く。

そこで、「漫画評論家 村上知彦さん」が語るインタヴュー記事に遭遇。
「マイナーなものを拾い上げた情報誌『プガジャ』」という部分がある。

これまでと似たことを語っているが、

「その『プガジャ』の廃刊が87年。
「世の中自体が、よりメジャーなものを求める傾向になっていきましたからね」」

というところはやや注目に値する…かな。

世間の流れが「よりメジャーなものを求める傾向」になり、
「マイナーなものを拾い上げ」るプレイガイドジャーナルは、
廃刊に追い込まれる、という構図。

具体的な下部構造=経営面に関しては、それなりの詰めは必要だが、
社会史的・文化史的には、この解釈は、一つの有力な見方としてありえる。
ただ、80年代半ばから後半、「マイナー」ものがないかといえばそういうこともなさそう。
だから、一般的にこういえるのか判然としない。

取材は、「若林益子」。
プレイガイドジャーナルとか、細かいもろもろの事柄に
何か突っ込んでいくというマインドやソウルがないみたいで、
通り一遍の取材になっているから、
村上の考える、当時の「マイナー」と「メジャー」が具体的に見えてこない。
「出版・音楽・演劇・映画・美術・漫画」と羅列したってねえ。
「ヒロヤマガタ」と「村上三郎」じゃ違うしね。

今日も暑さにやられそう。  

Posted by 愚華 at 09:41Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月14日

宵…山デートはいつから…?

プレイガイドジャーナルの1975年7月号を見てみた。

ざっと見たけど「祇園祭」についての情報がない。

これは、プガジャの編集局が大阪にあったためか、
それとも、祇園祭とプガジャは、別次元のものだっためか、
それとも、他の理由からなのか、分らない。

京都の高校生や、京都出身の大学生にとって、
宵々々山、宵々山、宵山が、男女交際のイベントになったのは、一体いつごろなのだろう。
75年当時そうだったのだろうか?

不明だ。

今や、宵々々山、宵々山、宵山は、観光の場、男女交際の場、家族遊行の場。
祇園祭のしたたかさは、こうした場をいろいろズラしながらも、
生き残っているという点だろう。

京都の「街」コミュニティの面白さと厭らしさがここに凝縮、という感じ。

ちなみに1978年に7月号でも言及はない。  

Posted by 愚華 at 18:53Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月04日

精神世界への旅…とは

「プレイガイドジャーナル」をネット上で例の如く検索していたら、
かなり面白いエッセイを載せたブログに出会った。

著者はKOSYO氏。
ブログの表題は「インド・ネパール精神世界の旅」。
表題だけからでも「特殊」オーラが発生している。

2006年5月27日の記事。
「プレーガイドジャーナルツアー」と題されている。

KOSYO氏は、東京に就職していたらしいが、TICという格安チケット販売兼旅行会社で、
プレイガイドジャーナル社との「提携」(?)で企画されたネパールツアーの添乗員となってくれと懇願され、
TICに入社したらしい。このツアーの年代はいまのところはっきりはしないが、70年代後半であろう。

ここからは、盗用=引用の切り貼りで行く。

「…年末、なんだかんだと訳ありげな(大阪でいろいろな活動をされている)18人の客を
連れてネパールツアーに出発しました。」

訳あり、というのがいい。そういう時代だったのだろう。
「オタク」系の訳ありでなく、「精神世界」系の訳ありということかな。
(今思ったが大塚英志なんかインド・ネパールの旅で体質改善した方が健康的では?)

なんと、KOSYO氏は、…。
「翌日「マリファナを吸いたい」という希望がたくさんあったので、それならいっそうの事しょうもない事をせずに最初からベスト体験をしてもらおうという事で「プレジャールーム・ツアー」を企画しました」とのこと。
つまり、「オプション・マリファナツアー」である。いやはや。

この内容がこれまたすごい。
KOSYO氏の企画実行力もなかなかのもの。多くの人に是非読んでほしい気がする。

ということで、アドレスはというと…↓

http://d.hatena.ne.jp/KOSYO/20060527

「プレイガイドジャーナル」をめぐる文化と雰囲気、
70年代の空気と風景が、かなりよくわかるエッセイだ。

どうして、こうした文化・雰囲気・空気・風景を描写したオンリイイエスタデイがないのかが
不思議。
こうしたものの崩壊が、今の住みにくさにつながっている、と思うけど。  

Posted by 愚華 at 15:29Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月03日

ムラカミコネクション

『「プガジャ」の時代』で、あっと驚いたことは、「村上」問題である。

第5代編集長は、村上知彦であるが、彼の父親が村上三郎であった。

村上三郎は、『「プガジャ」の時代』の註によれば、芸術家。
具体美術協会の中心メンバー。

巴里のポンピドゥ美術館は現代美術を展開しているが、日本の現代美術で、
まとまって展示されていたのを観たのは「具体」だけだった。
世界的(欧米的)位置づけを与えられたほとんど唯一の日本の前衛芸術運動ではないだろうか。
そこと『プレイガイドジャーナル』がつながっているというのは面白いし驚異。

も一つ「村上」別件。

ここで、ちょっと邪推。
『プレイガイドジャーナル』は村上春樹にチョコチョコと寄稿などをお願いしている。
もしかしてこれ「村上」つながりとかないのかね。つまり親戚・親族・家族…とか。
村上春樹も神戸出身(京都生まれらしいが)であり、起源は関西だし…。

ただ全く根拠はない。

しかし村上知彦らが、ちょくちょく企画をお願いしているというところに何かつながりを見たくなる。  

Posted by 愚華 at 12:43Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月02日

『「 」の 』

『「プガジャ」の時代』は並べてみると『「おたく」の精神史』(講談社現代新書版)と同じくらいの分厚さだ。

表題も形式は似ている。→『「 」の 』

『「プガジャ」の時代』は、腰巻に「1970~80年代、大阪に熱くおもしろい情報誌があった。」という
コピーがあり、
『「おたく」の精神史』には副題として「一九八〇年代論」と書かれている。

つまり、80年代、「プガジャ」的ものと「おたく」的ものは、日本列島上に共存していた
というわけだろう。

が、不思議なことがある。
この二つの本には、この共有された分厚さにもかかわらず、
共通項がほとんどない。
『「プガジャ」の時代』は、「サブ・カルチャー」といい、
『「おたく」の精神史』も、「サブカルチャー」といっているのに、
両方で言及されるコモンなモノ・コトがほとんどないのだ。
これは、関西と関東という地理的問題なのだろうか。
それとも、70年代から始まる80年代としての「プガジャ」と
80年代から始まり90年代に問題化される「おたく」との
質的差異なのだろうか。

なんか面白い感じ。  

Posted by 愚華 at 20:23Comments(0)プ蛾蛇

2008年07月01日

消された/消えた・男

さてと、『「プガジャ」の時代』である。
某日某月読了。

かなり大部の本だが、面白いし勉強になった。

最後の編集長、小堀純の苦悩と苦闘は、特に印象深い。
私はその頃関西から遠く離れて暮らし、関西へはほとんどくる機会がなかったので、
『プレイガイドジャーナル』がつぶれた、というのは、衝撃だったが、
バブルの東京マネーにやられたのだろうと思っていた。
基本的には自壊だったみたいで、こちらの認識の方が衝撃力は強い。
ああ、そうだったのか…。
(ただ、全体的に見るとバブルにやられたのだろう。)

400頁を越える本で、5章構成、註も充実、資料編も優れている、から、
何回も覚書を書くことになるかもしれない。しつこい性格が災いする。


さてさて、この本は、2007年度、大阪府の文化情報センターが企画した、
「新なにわ塾講座」での5回にわたる公開講座が基となって作られている。

で、疑問。
第3回講座分がない。

本のほうの企画構成は春岡勇二。
彼はプガジャの編集をおこない担当は映画で最後2年間副編集長だったという。
春岡による「はじめに」では、こうなっている。

「…また、本をまとめるにあたり、事情から割愛しましたが、
講演してくださったAさん、ほんとうにありがとうございました。…」

「新なにわ塾講座」報道発表資料(2007年7月13日リリース)によれば、
第3回公演は、公演予定日が9月6日、演題は、
「外から見ていた「プガジャ」、「プガジャ」の雑誌づくりに憧れて」
講演者が安藤善隆で、聞き手は、春岡勇二、である。

広報用チラシによると「安藤善隆」とは、

「1965年大阪府出身。90年ぴあ株式会社入社。…02年よりぴあ関西版編集長。
…07年後より東京本社メディアコンテンツ出版事業部書籍編集部編集長。」

だそうだ。

この「安藤善隆」が、「講演してくださったAさん」だろうね。

で、「事情」って何なのか?
よくわからんが、変だよな。

20年後の「新なにわ塾講座「プガジャの時代」の時代」という講演でもないと
わからないってことでしょうね。

こうして、「Aさん」たぶん「安藤善隆」は消えてしまった。
話の内容、興味あるのに、残念だ。

「Aさん」の「講演」の代わりに入ったのが、
先ごろ亡くなった山口由美子へのインタビューという構造なのか?
  

Posted by 愚華 at 10:37Comments(0)プ蛾蛇

2008年06月28日

手に入れたよ

最近ネットで「プレイガイドジャーナル」についての本の出版情報を得た。

しかし、京都の書店をいろいろと行脚したにもかかわらず、在庫が無い。
売れているのか、関心が低いのか。たぶん後者だろう。

ようやく今日、ジュンク堂京都店で手に入れた。

あまり好い写真でないが…。



まず驚きは「注」の充実。凄い。

内容などは、今後ここで報告予定。  

Posted by 愚華 at 21:19Comments(0)プ蛾蛇

2008年06月24日

「公演のお手伝い」とは

さてと、小堀純と『プレイガイドジャーナル』である。

プガジャと彼の関係は、ネット検索でわかったこと。
1999年のテキストと思われるが、小堀は、武蔵野美術大学のサイバーミュージアムに
「すべてはポスターからはじまった-<現代演劇のアートワーク60'sから80's>から11年」
というエッセイを書いている。

ここで語られていることはプガジャの意味と歴史を考える上で参考となる。


彼は、1988年に西武美術館で開催された、「現代演劇のアート・ワーク60's~80's」展の
アイディアを立ち上げ、その後、その実施に向けて力を尽くした人物である(らしい)。
このエッセイの中心テーマは、その展覧会が実施されるまでの個人史、といっていいと思う。

プガジャ関連事項だけ抜いておこう。
例によって、盗用=引用しておく。

「1987年の暮れ。
情報誌プレイガイドジャーナルの編集部を解散し、
職を失った私は、「さて、何をしようか」と
相変わらずの行きあたりばったりであった。」

という。

小堀純は、プガジャ編集部で働き、その解散は87年暮れ、ということのようだ。

まあ、これはそれほど重要な情報ではない。

むしろ次ぎ、重要なのは。以下、また盗用=引用である。

「私はポスター収集から展覧会の準備期間中、
かつてのプレイガイドジャーナル時代のことを思い出していた。
『プレイガイドジャーナル』の始まり(1971)は
「自分たちでみたい映画や芝居、音楽・美術の情報誌をつくろう」
というものだった。70年代の始めはサブカルチャー、
アンダーグラウンドとよばれた”時代の表現”の情報は
マスメディアには中々載らなかった。
ならば自分たちで自分たちの表現を載せるメディアをつくろう
と考えたのだった。『プレイガイドジャーナル』も
『ぴあ』(1972)も始まりは一緒だったと思う。」

アングラの主流メディからの排除。あるいは無視。
そこで、自前のメディアを、ということ。
そこに『プレイガイドジャーナル』の出現思想がある、というわけ。

なるほど。なんとなく感じていたが、明確に文字化されると納得。
前に覚書いた、『京都の学生文化を歩く '60-'70年代グラフィティ』(「らくたび文庫」19巻)は、
受け手からの視点(のみ)だったけど、こちらは、作り手=受け手視点といえそう。
「らくたび文庫」の性格と、執筆グループの問題意識によるのだろう。

小堀によれば、『ぴあ』の思想も同じという。
しかし、その後差異が生じる、と、小堀は見る。
またまた盗用=引用だ。

「情報誌はしだいに進化、膨張していくのだが、
私たち〈地方〉の情報誌と東京の情報誌が決定的に違ったのは、
表現、それも「演劇」への係わり方であった。」

これも面白い指摘。
『ぴあ』とプガジャの違いは、「表現」への関り方、であり、
特に「演劇」との位置取りのとり方にある、とする。
いろいろ検証は必要だけど、刺激的発言。
で、まだ、盗用=引用しないといけない。

「『プレイガイドジャーナル』は
演劇センター68/70「翼を燃やす天使たちの舞踏」の
大阪上演実行委員会が母体になったが、
それ以後も黒色テント、紅テントを筆頭に
各劇団の地方公演の制作協力を行ってきた。
それは現在のような演劇公演をプロデュースするといった興行的なものではなく、
公演のお手伝いをする、サポート的な色合いが強かった。」

おお。
プガジャの立ち上げの「母体」がでてきたぞ。
それは、…
演劇センター68/70「翼を燃やす天使たちの舞踏」の大阪上演実行委員会
なるほど。
とはいえ、「演劇センター68/70」とか、「翼を燃やす天使たちの舞踏」とか、
何か分らない。残念。
(またネットで調べるか)
ということで、起源について重要な情報がまた一つ。
もう一つは、その頃のアングラ演劇が、公演形態という点で、いまの小劇場などと違う、
らしい、という示唆。
これも重要だぜ。
仕方がないなんか研究論文でも捜すべ。

それから、まだまだ盗用=引用。
これだけの盗用=引用はやばいかなあ。
と、思いながらも…。

「私自身も名古屋のプレイガイドジャーナル時代は
紅テント、黒色テント、演劇団、秘法零番館ら
東京の劇団の名古屋制作をサポートしていた。
事務所にある日、ポスター、チラシがどっと届く。
それを各拠点(古い云い方ですが、喫茶店や映画館、ライヴハウスなどです)や
プレイガイド(『チケットぴあ』なんてなかった)に持って貼りにいく。
もちろん事務所や自宅にも貼る。「そうだ、紅テントがくるのだ!」と気合いを入れる。
公演のお手伝いをするだけの私たちにとってもポスターは充分に「旗印」だったのである。」

ウッ、ここまで読んで気付いたが、これは名古屋プレイガイドジャーナルのこと?
そこは確かめる必要がある。

ただ、面白い、というだけで、いわゆる手弁当で、「公演のお手伝いをする」
という当時の日常もわかる。

いまじゃ、こんなの、あまりないよね、多分。

このエッセイは勉強になったし、当時の空気を吸うとができる感じで、
なかなか充実。
読んで元気も出る。


URLは以下の通り。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/forum/kobori/01.html」+α  

Posted by 愚華 at 17:34Comments(0)プ蛾蛇

2008年06月23日

アングラですかい

武蔵野美術大学の美術資料図書館(MAUM)のホームページに、プレイガイドジャーナル関連の情報がある。

このあたり、整理して説明するのはなかなか困難。
かいつまんで盗用=引用などから構成するとこうなる。


MAUAはイリノイ大学と60年代以降の日本の小劇場のポスターの展示企画を行っている。
開始は98年。
それと連動してサイバーミュージアム企画なども展開しており、
戦後デザインの検証Ⅰ アングラ1960-1980 日本のポスターのアヴァンギャルド
というネット上の「展示」がそれの一部に当たる、らしい。

URLを記録しておくと以下の通り。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/index.html


この中に「フォーラム」という部分がある。
多分99年時点のテキストであろう。


その中にさらに

すべてはポスターからはじまった-<現代演劇のアートワーク60'sから80's>から11年
小堀純(編集者)

というのがある。

小堀純によるテキストだ。

そのテキスト内にプレイガイドジャーナルに関するエッセイ的なものがある。

(内容については別に書く、ここまでで疲れた。)


【番外】
「展示」をクリックすると、6つの小劇場のポスターが出てくる。
天井桟敷、自由劇場、黒テント、早稲田小劇場、状況劇場、そして、大駱駝艦、だ。
いずれも東京だけど、関西や他の地方にはないわけ…?

まあ、こうして、東京化は進行するのだが…。  

Posted by 愚華 at 11:47Comments(0)プ蛾蛇