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2012年02月13日

「感じる服 考える服」展の斬新な空間はどこにあるのか

今年の1月14日から、神戸ファッション美術館で
「感じる服 考える服」展が開催されている。
副題は「東京ファッションの現在形」。
4月1日まで。


(↑神戸ファッション美術館HPより)

昨年東京オペラシティで開かれたものの巡回展だが、
スペースが異なることから、展示コンセプトは、大きく変化している。
このコンセプトに、建築家の中村竜治が関与している……の。
(オペラシティのものは、2011年10月18日~12月25日)

神戸ファッション美術館が配っているフライヤー(ビラ)には、

「クリエイションの背景にあるデザインのイメージや世界観などを、
建築家中村竜治のデザインによる斬新な展示空間のなかで
体感していただけます。」

という記載があるが、中村竜治の「斬新な」空間がどこにあるのか、
全く不明。特に説明もない感じだ。



(↑神戸ファッション美術館HPより引用。加筆。↑)

日本語で表現する時、こういうのを「手抜き」というのではあるまいか。
この場合、中村の手抜きにも見えるし、美術館側の手抜きにも見える。
そうでない、という何かが欲しいところだが、インターネットのごみのなかからは
まだ、何も発見できていない。


「壁で仕切られた完結した空間ではなく、
繋がっていながら分かれている構成にしました。
服は身体的な感覚なので、
くぐるということで生まれる視覚的な面白さも感じてもらえればと思います。」

オペラシティの時は、中村竜治はこう答えている、…らしい。
これはオペラシティに行ってみると、なるほどと納得できた。

しかし、

神戸の会場構成に関しての答えや説明はどこにあるのか。

会場監修「料」はいくらなのだろう。
まさか「税」でまかなわれてはいまい。

(この前見た「モダン展」と“構成”の違いが全く分からない)  


Posted by 愚華 at 15:15Comments(0)罵詈

2011年10月12日

『京都今昔歩く地図帖』=欠陥書籍

最近学研から『京都今昔歩く地図帖』という本が出た。
ネットでは評判がいいらしいが、こんなひどい本は前代未聞である。
良心的出版社、良心的著者なら絶版にするのが普通では。

まあ、しかし、学研は、この本を売るために出しているようだし、
著者の井口悦男と生田誠も、校正くらいはしていて目は通して、
これでOKしたから、「良心的」ではないだろうなあ。

せめて、訂正本を出すのだろうか?
その時は初版のひどいのと換えてくれるのかなあ。
こっそりやるだろうから、取り換えは無理だろうと思う。
これ「落丁」や「乱丁」にはならないね。何に当たるのだろう。
(一応「欠陥書籍」という概念を作ってみた)



対外的に何かアピールするかなあ。
(事情を明らかにして、購入者へ謝罪、など)
学研という会社と、両著者の社会的信用問題と思うが…。


既にネットでも指摘があるが、104頁の「新京極」の写真。
説明は「江の島」である。驚愕、これには。
誰が編集者かわからないけど、能力疑う。


驚くのは、13頁。本文の始まりが12頁だから、出だし。
次のようにある。

「四条通、東大路(東山通り)に市電が走るのは、大正元(1912)年12月で、
昭和47(1972)年1月まで運行されていた。」

いきなりこんな不正確な解説か、と思ってしまった。
あとでわかるが、これは序の口に過ぎなかった。

本書の85頁には、「蒸気機関車」というコラムがあり、
かつての東海道線が今の東海道線と違っていて、
例えば山科駅も位置が違うから気をつけろよ、
当時の絵葉書のキャプションを信じ込んではいけない、
疑うことが必要だ、と絵葉書コレクターの蘊蓄と恫喝が書かれている。
しかし、両著者はその原則にのっとって、この本を書いたのだろうか。

京都の市電であるが、四条線は、1912年6月11日に、八坂神社のところまで、
開通している。たしかにその時は八坂神社前の東大路はまだ未開通。
同年の12月25日開通だ。
これを、
「四条通、東大路(東山通り)に市電が走るのは、大正元(1912)年12月」
と、表現していいものやら。読者・消費者をばかにしているか、
両著者が間違っているか(校正しないとか)、どっちかじゃないだろうか。

廃線についても同様。
四条線は、1972年1月22日に終了。
「祇園」を通っていた東山線は、最後まで残り、1978年9月30日廃線。
これを、
「四条通、東大路」の「市電」は「昭和47(1972)年1月まで運行されていた。」
と、表現していいものやら。読者は愚かで不正確もOKということか。


これもやや驚くが祇園のお茶屋の「一力」を、
「料亭の一力亭」と表現して正しいのだろうか。(14頁)
間違いとまではいかないだろうが、違和感は残る。

とまあ、こんな連続。いちいち挙げてたらきりがない。

絵葉書も現在の写真もこの本には載っていない「菊水レストラン」へ言及して、
「大正5(1916)年、アールデコ、スパニッシュなどの諸様式を取り入れた
洋館の西洋料理店「菊水館」が開店」
ともある。(74頁)
レストラン菊水のHPから、おそらくカットアンドペーストしただけだろう。
しかも、HPをきちんと読んでないから、アールデコ・スパニッシュ様式の
洋館の建ったのが1926年というのを落としている。
ひどすぎる。



「京都を訪れた夏目漱石は、円山公園の也阿弥ホテルに宿泊している」(50頁)
これは初耳だが、事実ではないはずで、だから初耳。
漱石の京都訪問で、也阿弥に宿泊可能性が零ではないのは、第1回の上洛。
子規と一緒だった。
この時は柊屋に泊ったと年譜などにはある。
「事実」の捏造か、単なる誤りか、新資料でも発見か。



『五番町夕霧楼』の舞台が上七軒と解説しているが(165頁)
だったら「題」が変わるでしょう。
両著者も編集担当も、ウィキさえ調べてないようで唖然とするばかり。



京都の書店では平積みされているところもある。
このまま、この不良品を売り続けるのか、注目に値する。  続きを読む


Posted by 愚華 at 17:09Comments(0)罵詈

2011年01月05日

京都美術事件絵巻

昨晩始まった「フェイク 京都美術事件絵巻」を見た。

NHK大阪制作の新番組、ドラマ。
少なくとも6回くらいは続くらしい。

夜10時から50分間放映された。


第1回は、全シリーズの導入らしく、今後活躍するであろう、
京都府警三条署の刑事・白石亜子(南野陽子)や美術研究者・浦沢右(財前直見)が登場。
最後にフェイクをつくる「K」も出る。

「幻の伊藤若冲」ということで、いま所在不明の「松樹番鶏図」のフェイクが中心。
フェイクの展示と殺人が絡んだストーリー。

ただ、時間が短いためであろう、謎が深化されておらず、かなり未消化のドラマ。
「松樹番鶏図」の贋作の作者が出てきてようやく緊張感が出てくるという「ていたらく」だった。

若冲などの説明がもう少しないと、知らない人にとっては、何なの、ということになる。
HPを立ち上げているために、ドラマ自体を作りこむという方向に力が入っていないのでは。
しっかりと展開するには2時間は必要と感じたが…。


HPのアドレス↓
http://www.nhk.or.jp/drama/fake/  

Posted by 愚華 at 11:08Comments(0)罵詈

2010年11月06日

祇園のひみつ

ひさしぶりに『サンデー毎日』をひろい読みしていたら、「祇園のひみつ」という記事があった。
『サンデー毎日』の11月14日号である。

サブタイトルにもあるように、旦那衆の減少、新しい現象としての「追っかけ」の出現など、
なかなか興味深いことが書かれていた。
1996年に出来たという「おおきに財団(京都伝統伎芸振興財団)」というのも初耳。
なんか、いかがわしさもある感じが、祇園らしい。

「生粋の旦那」のインタビューが興味深い。
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」について
この「旦那」は、「大歓迎」という。
「長い目で見ると街にとっての「お客さん」です。」と語る。

ここまではそう思う。
ただ次がいただけない。

「積み重ねられた祇園文化にとって大事ではありません。
いずれはお帰りになられますから……。」

そうではなく、
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」も、
いずれは祇園文化に組み込まれますから、というのが正しいはず。
この「生粋の旦那」、「人生の贅沢」について狭いのが残念。  

Posted by 愚華 at 11:37Comments(2)罵詈

2010年01月05日

歇私的里性の笑

『明治/大正/昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』で、
明治の莫連女を扱っているところがある。
著者で文筆家の平山は、ここで、明治莫連女の事例を2例挙げている。
ところが、ここには大きな問題があり、非常に残念ながら、この本の信頼性を損ねている。

問題となるのは二番目の事例(明治の莫連女Ⅱ)で、ページでいえば、18頁から26頁まで。


さて、ここで扱われている事例はそれなりに興味深い。
事例=事件の発生は1909年のことだ。(明治42年)
記事によれば、本所区横綱町に住む海軍兵器製造業者の娘が、
美人であるにもかかわらず、銀杏返しを根元からフツリと切り落とし、
若比尼になるという、『読売新聞』が注目した出来事があった。
銀杏返しを切り落としたのは、その業者の次女数代。
記者がそこへ突撃取材して、連続物の「本所の高襟莫連」という記事となった。

文筆家平山は、この記事を発掘、その「(一)」のかなりを再録し『不良少女伝』に載せた。
また、それに感想を加え、理解を助けるための解説を付記する。
さらに、「(二)」の内容も記事を引用しながら紹介して、莫連女の像を造形してゆく。
感想が、専門外ということで、浅いのは仕方がないとしても、こう終るのはどんなものか。

「ところでこの記事、(二)のおわりに「偖て数代が強烈なる恋物語と断髪の謂れは此次」
とあるが続きが見当たらない。残念である。」(26頁)


『読売新聞』をみると「本所の高襟莫連(三)」が掲載されており、
数代の失恋や「断髪の謂れ」などが書かれている。

ということで、ここでは「断髪の謂れ」を、極簡単に紹介しておこう。

まず、『不良少女伝』を読んでいない人のために「(一)」と「(二)」から物語を再構成しておく。
数代は、銀杏返しをブツリと切り、七三に分けて「男装」している少女。
噂では、女侠客を任じて、他の娘達を集め「銀杏返組」を結成しているという。
「銀杏返組」は、堕落書生を釣っておいて、のちに腕鉄砲を食わせ、征伐するハイカラ莫連の団体、
と、イメージされてもいるらしい。だが、誰がそうイメージしているのかは不明。
また、記事を読んでも「銀杏返組」がほんとうに存在するのかどうかも不明だ。
記者の質問に対する数代の答などを読むと、堕落学生の集団は、どうやらあるらしい。
ある菓子屋の二階を巣窟として、近くの若い女性に声をかけ誘惑しているという。
数代の友人が、その一人から脅迫的に交際をさまられ、おそらくこれもあって、数代は、
その堕落学生達を相手に「血を見る程の大喧嘩」した。
しかし、1909年正月に和解、末永く交際しようということになったようだ。

さて、「本所の高襟莫連(三)」による「断髪の謂れ」である。
末永く交際することになって、数代もこの菓子屋の二階に出入りしていたのだろう。
正月の和解からまだ日も浅いが、だんだん「其処へ集る輩は揃ひも揃つて不甲斐ない「海鼠の様な奴計り」」という気になった。
そこには数代の理想の男性はいない。(数代は前々年失恋している。)
そういう中、数代は、1909年1月27日、「意気地無し男の顔」を見ようと菓子屋に寄る。
近くに来ると、彼らの声が聞える。
「チエツ!女の腐つた様な声」と癪にさわり吃驚させ度肝を抜かせたい、と急に思ってしまう。
その時思いついたアイディアが、自分の銀杏返しを根元から切って、なよなよ男達のまん中へ、
ドサリと投出」すこと、その時の彼らの顔色を見てやろうということ、だった。
このアイディアに数代は愉快になり、懐の剃刀を取り出して髷をスパッと切る。
気がボーっとしたが、二階に駆け上がり、なよなよの有象無象の前にそれを投げつけた。
そして一言。

「皆な之だから今後は男の交際を為て下さい」

残念ながら、なよなよどもの反応は書かれていない。
数代の心地は、「胸が清々した」というもの。
記者の見立ては、数代が「ヒステリー症」であるという判断。
『虞美人草』の主人公、藤尾が「歇私的里性の笑」を残して自死するシーンが書かれるのが、
1910年10月である。つながりを感じるのは飛躍だろうか。


ともあれ、『不良少女伝』のお粗末さのために、大変興味深い「断髪の謂れ」が無くなっているのだ。
文筆家平山がわざとそうしたとは思われない。おそらく原因は、資料の扱いの問題だろう。
確かに、DVD版の『読売新聞』で「検索」すると「本所の高襟莫連(三)」はヒットしない。
そのため、平山は、「続きが見当たらない。残念である。」としたと推測される。
これはかなり大きなミスだ。(良心的著者なら回収絶版ということもありえるが、そこまではする必要性はあるまい。)
ただ、再版時には加筆補正は必要ではないだろうか。
また、現在あるものには、訂正文などを差し挟むくらいはあってもおかしくはあるまい。

感想だが、これだけ大きなミスがあるということは、他の箇所に関しても用心が必要ということになろうか。
コメント類も、不十分な調査資料によるところもあり、楽しみとして読み飛ばすのがせいぜい、ということだろう。  
タグ :夏目漱石


Posted by 愚華 at 19:40Comments(0)罵詈

2009年05月27日

「京都に学ぶ」に躓く。

たまたま、某書店で眼に入ったもの。
「京都に学ぶ」シリーズである。
今のところ全4巻。白川書店が出版。

立命館大学京都文化講座、のブックレットである。

文学部長の木村一信による「刊行にあたって」を見ると、
立命は、東京キャンパスで「立命館京都文化講座」を2007年2008年に開講。
24回の講義がなされたらしい。6回からなる4テーマのもので、
それが、この全4巻のブックレットとなった。

それぞれ定価714円。高くないし、デザインも悪くなく、作りもいいようだ。
ということで、内容的に興味がある講義が載っているものを2種類だが購入した。



『京の色彩』、『京の荘厳と雅』である。

わるくはないが…。



愚かにも、漱石と京都に関心がある。
『京の荘厳と雅』のパンフレットに「夏目漱石と<京都>」という論考があったので読んでみた。
『門』が扱われている。

えっ???

「宗助は第三高等学校の学生」とある。
さらに、「安井は宗助と同じ第三高等学校の学生」とある。
さらにまた、「宗助は第三高等学校に入学して以来、安井が唯一の友人で、大きな存在」とある。

えっ???

愚かにも、宗助と安井は、大学生(たぶん京都帝大)と思っていたのだが…。

一応、岩波文庫版の『門』を見てみた。
京都の話は「十四」にある。ここは、この『門』の物語全体の始まり、であり、主人公の宗助と御米の「終わり」の始まりでもある。極めて重要な部分だ。

「彼(宗助)はこの暑い休暇中にも卒業後の自分に対する謀を忽かせにはしなかった。彼は大学を出てから、官途に就こうか、または実業に従おうか、それすら、まだ判然と心に極めていなかった…」

やっぱり、京都帝国大学学生であった。
高校生か大学生かで問題は変るのではないだろうか。これは『三四郎』とも関係する。

しかし、この間違いは少しひどくない?

これ東京でまず講演があったはず。そこでしゃべったとき勘違いというのはありえる。その場で、指摘はなかったのか?調べることもできるし、訂正もできるはず。
また、これ、『論究日本文学』第88号(2008年)に発表したらしい。補足して転載、とある。『論究日本文学』のこの論文でも宗助は第三高校の生徒とされているのかなあ。もしそうだとして(そこまで調べる気力はないけど)誰かからの指摘はないのだろうか?『漱石全集』を使っていることになっているし、確認できると思うのだが。
で、この著者、『京の荘厳と雅』というパンフレットのコーディネーターでもある。当然校正とかあると思うが。また、白川書店の担当者は目を通していないのだろうか?

著者の瀧本和成は、専門は日本近代文学。
日本文学じゃあない、とかいうのならまだ分かるのだが。
どうなっているのだろう。(専門外の人の初歩的ミス、勘違いというレベルではない感じだが)

全部回収で印刷し直し、ということもありえる。  続きを読む

Posted by 愚華 at 15:47Comments(0)罵詈

2008年09月04日

悪口

ネットの吉井勇についての記述はひどい、と書いたが、
その例を一つと、反証を一つ。


その例。

正津勉のホームページ。

5年位前のテキストだが、「恋歌 恋句」というのをこの方連載していたらしい。
(2002~2003年か)

吉井勇の歌も上げている。

で、こうある。

「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる

 せちがらいご時世つづきである。芸者、踊子、落語家、幇間らを侍らし、大尽遊びのはてに夢うつつ、枕の下をながれる水の音に憂世を浮いた浮いたで過ごす。まことにおおどかな時代にあった吉井勇のような御仁がしのばれてならない。」

吉井勇も浮かばれまい、これじゃ。素人ならまだしも、この正津勉、文学者しかも詩人らしい。
全くの別人の別の行状を偲んでいる。


それに対して、お、ッと思ったのは松岡正剛である。
彼の「千夜千冊」というネット上のコラムの「第九百三十八夜【0938】04年2月19日」の分。
「吉井勇『吉井勇歌集』1952 岩波文庫」を取り上げている。

なかなかしっかりとまとまり、目配りも素晴しい。
また、松岡の吉井への惚れこみようも分かり面白い(自分のゼミの話は五月蝿いが)。

松岡正剛については見くびっていたが、このコラムで見直し、
再評価しないといけないという気になった。

ふと思ったが、このエッセイで、はじめの揶揄されている
「ある老舗の主人」だが、正津勉と同じタイプ。ため息が出る。  

Posted by 愚華 at 13:48Comments(0)罵詈