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2013年09月26日

「京滋 文学道しるべ」

『京都新聞』に4月から連載されている、「京滋 文学道しるべ」はなかなか面白い。
今日(9月26日)は、筒井康隆の『私説博物誌』が取り上げられていた。

愚かにも、読んではない。

愚かにも、そのなかで、京都への言及があるとは想像もしていなかった。

(「京滋 文学道しるべ」は山本善行著)  

Posted by 愚華 at 14:25Comments(0)読む

2012年08月30日

大徳寺とストリップ

最近文庫化された『占領下日本(上)』を読んでいる。
ちくま文庫。

2009年に単行本化されたものの文庫化。

半藤一利、竹内修司、保坂正康、松本健一による、敗戦時と占領期に関する座談。
非常に細かく調べられて問題も掘り下げられているところと、
表面的な記述に終わっているところがあり、そのギャップがすごい。
政治史や政治裏面史の掘り下げはまずまずなのだが、文化史や社会史はちょっと…
文化史や社会史への「ちょっと…」をみると、政治史の方の掘り下げに対しても
ホントか、となるよね。

とはいえ、面白い記述も。

「保坂:昭和三十四年から三十八年にかけて京都で学生生活を過ごしていたのですけれど、
大徳寺っていうと、京都にいた学生の中には、不謹慎にも苦笑いをする者がいました。
大徳寺にストリップ劇場があって、「大徳寺に行った?」なんていうと、表向きは御茶屋か
何かという感じで話しているのですが、ストリップ劇場のことなんです。(笑)それも瞬間的に
脱いで、パッと電気が消えるのです。普通は、その値段は学食のAランチと同じぐらいで、
五百円くらいではなかったのかな。高いときは千円取るんですが、その時は脱ぐんだな
と思っていました。」

『京都青春街図』(1976)を借りて調べると「A級京都」というストリップ劇場。

いつごろまで営業していたかは不明。

  


Posted by 愚華 at 16:27Comments(0)読む

2012年05月19日

『新編 燈火頬杖』読了

『新編 燈火頬杖』とは、藤田三男が新たに編んだ、浅見淵のエッセイ・評論集。
「ウェッジ文庫」として出版されている。

特に興味深かったのは、「「細雪」の世界」(1949)である。

谷崎ものでは、いつも参照する『谷崎潤一郎必携』(千葉俊二編)では、
参考文献にあがっていない。どうしてなのか不明。
『必携』に載っている千葉による「評価」でも引用されていない。


『新編 燈火頬杖』の解説を書いている藤田は「「細雪」の世界」の要点を
自分の経験を引きつつ、簡潔にまとめておりなかなか。


評伝であるので関係ないのかもしれないが、『谷崎潤一郎伝』でも引用はない模様だ。
藤原学の論文「「昔の東京」という京都イメージ」(2008)でも引用はないっぽい。
藤原の場合、論文の核のアイディアが、浅見と相同または相似に感じるけど。


浅見による「細雪」の評価は短くまとめるとこうなろうか。

細雪」は谷崎の心境小説であり、大阪のそれ自体の市民生活をリアルに描いたものではない。
むしろ、徹頭徹尾洗練された東京的趣味と感性を、大阪の風俗を借りて再現したものである。


  
タグ :谷崎潤一郎


Posted by 愚華 at 18:04Comments(0)読む

2012年04月13日

『桜さがし』の季節

柴田よしきは、宮部みゆきより面白いのでは、と思ってしまう。
思い違いかもしれないが。

今回読んだのは、『桜さがし』。集英社文庫版だが、文春文庫からも最近出た。



連作短編集。もちろんミステリーで、京都が主な舞台。
登場人物たちは、大学を卒業してすぐくらいの若いひとびと。
歌義、陽介、綾、まり恵。
この4人は、中学校時代新聞部に属していた。
その時の顧問が、浅間寺竜之介。
社会科担当だったが、この物語が始まる5年ほど前、
推理小説の新人賞をとったのを機に、教育界からおさらばして、ミステリー作家になった。
…という設定。

8編の短編からなり、1997年の秋から99年の秋まで、短編の中で2年の時間が流れる。
それぞれの短編で、殺人事件など、ミステリー的出来事が、5人の周囲で発生。
それを紐解いていくというもの。その中で若い4人の関係性、恋愛や友情が揺れ動く。
中身を書くと長くなるので略すが、大変よいでき、と思う。


赤垣屋が2回も登場。(「一夜だけ」と「桜さがし」で)
赤垣屋好きとしては、そこもよかった。


内容略、としたが、「夏の鬼」のことは少し書いておこう。

ここでは殺人はおきない。
京都大学がモデルと思われる大学の教授が、テレクラで知り合った女子中学生と
自分のマンションで酒を飲みセックスをした。
しかし、なぜか大声で喚いたために、マンションの住人が警察に通報。
で警察が、女子中学生を発見。逮捕は免れずとなって、大学に辞表提出。
というのが事件の概要。(1998年8月15日、大文字の夜)

この件に、農学部の大学院生であった綾を好きになっていたが、
何らかの事情で退学してしまった、一ノ瀬裕太が、関連していたのである。
ここのところが面白い。

それはさておき、一ノ瀬と大学教授の佐波木の関係は、複雑。
一ノ瀬は、家の事業失敗で生活費も学費も自分で出していた。
その費用ねん出のため、夜の祇園のスナックでバーテンのバイトをしていた。
(このあたり、山村美紗の『華やかな密室』とつながる)
一ノ瀬はホステスの由希子と「いい仲になった」が、由希子は、佐波木教授とも
愛人関係を結んだ。
そのため教授は、一ノ瀬を退学に追い込み、由希子を独り占めしようとした。

こういう背後の物語がある。

その上に、綾と裕太の恋愛のぎこちないはじまりが重なる。
かなり魅力的な短編であった。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 18:32Comments(0)読む

2012年03月20日

『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』があった。

まさにバブルが進行中のこと、
阿井渉介が『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』を書き下ろした。



(↓ 内容などの記載あり ↓)

主人公は、原宿・表参道のブディックのハウスマヌカン、小泉祥子。
ファッション雑誌に発表するそのブティックのブランド新作の撮影が、
京都で行われる。
というので彼女は京都へ出張。
そこで殺人事件に巻き込まれる。
殺されたのは、その時東京にいたはずの、ブティックのオーナーデザイナー時田好子。
(つまり、これも京都ミステリーだったわけだ)

事件は、小泉祥子の視点で語られる。
その思い込みの方向が、真犯人を見破れない構図を出している点は面白い。
ただ、じっくり読むと、誰が真犯人で、誰が共犯者か、かなりよくわかる。

2人目に殺されるのが共犯者。
小泉祥子が、京都へ車で向かう中、そのレンタカーの中から死体が発見される。
発見場所は大津のサービスエリア。
小泉祥子はレンタカーを捨ててトラックに乗せてもらい京都へ。
ここで身を隠しているうちに、事件は錯綜しつつ解決する。

内容は恐らくC級。
新書ミステリー乱立のため、乱造された一冊のような気がしなくもない。


ただ興味深いことが三つある。

一つ目はハウスマヌカンがらみ。
前年「夜霧のハウスマヌカン」という歌謡曲が発表されているが、
その歌詞をなぞったミステリーであるということ。

「又昼はシャケべんとう」というのが一番分かりやすい。

小泉祥子が京都で訪れた勝待寺。
「勝待寺の門前にあるお店で、お昼にしました。いつもシャケ弁当というのがハウスマヌカンのイメージらし

いけれど、京都です、二千円ふんぱつしました。」

ちなみに、ほとんど同時期に、赤羽建美の『ハウスマヌカン殺人事件』というのも出版されている。


二つ目は京都観光。
ひとひねりした旅ということで「花の寺」を訪れた。
たぶん当時はあまりポピュラーでなかったはずだ。

まあ、これが、殺人と結び付くわけで、ある種トリックでもあるが…。


三つ目が有名テキストとの関係。
『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』は、1987年3月、講談社ノベルスの一冊として出ている。
「書下ろし 旅情ミステリー」
その中で描かれる連続殺人事件は、1987年2月末から3月にかけて起きている。

ところで、ミステリーファンならだれでも知っている大量殺人事件が、
1986年の3月31日に発覚する。(4月1日の新聞だが)
大分県で起きた事件だ。
実行者は守須恭一。
これは、綾辻行人のデビュー作で扱われ、1987年9月に講談社ノベルスとして世に問われた。

二つの殺人事件の発生時と、二つの出版時は、四辺形を作り、対角線はクロスしている。

だから何か、ということはない。

しかし、こういうことを考えるのも愚かな楽しみにはなる。  続きを読む
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 15:03Comments(0)読む

2012年02月29日

『京都の祭に人が死ぬ』/題がいい。

京都で殺人事件といえば、かつては山村美紗が大活躍だった。
彼女は、1996年9月5日、東京で小説執筆中に死亡。
その後、「京都」「殺人」のノベル化は、
何人かあとを継いでいるが、2008年からは、柏木圭一郎が活躍中。

その山村美紗が、1981年に単行本として出したのが、短編集
『京都の祭に人が死ぬ』である。
中身はともかく、表題がいい。



これは集英社文庫版。7編からなる。
(↓内容に言及↓)


人が死ぬ京都の「祭」は、というと…

2月4日の盧山寺の鬼法楽。←「鬼法楽殺人事件」
(この短編では、太秦映画村でも殺人が起きる)

4月29日に行われる、城南宮の曲水の宴。←「華やかな殺意」
(京都市の城南宮では、曲水の宴を4月29日と11月3日に行っている、らしい。
ただ、城南宮に固有の「祭」ではない。)

6月5日から6日にかけての、宇治県神社の県祭り。←「くらやみ祭に人が死ぬ」
(宇治市で行われるが、現在分裂状態だったのでは…)

7月17日の祇園祭・山鉾巡行。←「祗園祭殺人事件」

10月22日の時代祭り。←「時代祭に人が死ぬ」

10月22日の鞍馬の火祭。←「鞍馬の火祭」

「なぜにあなたは京都で死ぬの?」の一編だけ、特定の祭とは無関係。


「時代祭に人が死ぬ」は、殺人が派手。
時代祭りの行列の先頭にたつ名誉奉行。
この小説では、京都市長であるが、
彼がテレビ中継の放送席前を通過するときに、
爆殺される。

すぐに実況を中継した鳥居アナウンサーの語り。

「市長は、爆弾によって、死亡されたようです。
馬も一頭は即死、一頭は、うしろ脚がとんで、重傷です。
馬車は、ふっとんでしまって、影も形もありません。…」

驚くことに、25分の検死で、時代祭りは続行される。

次に、静御前が、放送席前で倒れる。毒殺。
「重なる凶事」で、この年の時代祭りは中止となった。


何といっても、放送席前での爆殺は凄い。
それで祭りが中止にならないところもスゴイ。
さらに毒殺もあるところがすごい。

爆弾犯は大学生。兄が、赤軍派で、ハイジャックに失敗して死んでいる。
ハイジャックを失敗に導いたのが、人質になっていた、市長。
当時は大学教授だった。
静御前は、恋人が大学院生で、その恋人が赤軍派から抜けようとしていたため、
警告で殺されたのである。
つまり、爆殺犯=毒殺犯(大学生)も赤軍派だった、ということになる。

発表当時としては祭での爆殺は、荒唐無稽な殺害方法だったのでは。
ただ、いまでは、2005年7月7日にロンドンのタヴィストック広場近くで起きた
2階建てバスでの自爆攻撃もあり、現実感は増しているだろう。
左翼過激派でなく、回教過激派が犯行、というストーリーになるかもしれない。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 16:00Comments(0)読む

2012年02月26日

『月光ゲーム Yの悲劇’88』も読んでみた。

『月光ゲーム』は、有栖川有栖のデビュー作。
1989年1月に刊行された。

大学生たち4グループがキャンプ場で出会う。
二日目の朝、女子短大生の山崎小百合が急に姿を消す。
と、近くの休火山が、200年ぶりの大噴火。
小百合を除く大学生たち16人は、町への交通路を失い孤立。
その孤立状況のなかで、連続殺人事件が起きていく。



↓↓内容にふれていますのよろしく↓↓

結局殺されるのは3人。
(うち一人の死体は出てこない(指のみ出現))
他に2人が、火山噴火に巻き込まれ死亡。
5人も死ぬのだから、ミステリーとしてはなかなかだ。


犯人は、「読者への挑戦」の後、最後に明らかになるのだが、
ネットを見ると、動機が弱過ぎるという意見が多い。


しかし、本当に弱過ぎる動機か…。
それについて少し…。

「弱過ぎる派」の方のブログからその見解をいただいておこう。

「犯人が…(中略)…殺人に及んだ理由は、残念ながら少々薄弱で、今ひとつ納得がいきにくい。
犯人は夜、山崎小百合と逢っているところを被害者の二人に冷やかされ諍いをしていた。翌朝、ショックを受けた小百合は山を降りていったが、その直後に噴火があり、犯人は彼女が巻き込まれて死んだと考えた。そして自分のふがいなさに怒りが湧き、原因を作った者たちへの殺意が芽生えたという。
しかしちょっと冷やかされたくらいで山を降りる小百合の行動は極端すぎて想像がつきにくいし、山崩れをみて即、彼女が死んだと考えるのは、あまり自然ではない。」(「RAY'S ミステリ批評」)
http://www1.jcn.m-net.ne.jp/rays_room/index.html)(2012年2月21日アクセス)

強引ながら、だいたいまとめるとすれば、
犯人(=年野武)や山崎小百合の「純真さ」と殺意の関係が弱い、
ということであろう。

さて、少しわき道から。

ホイチョイプロが原作で、三上博史、原田知世が主演した迷作=名作映画
『私をスキーへ連れてって』は、バブルの世相と文化を描き、戯画化している。
この映画の封切りは1987年の11月。
記憶ではセックスシーンはない。
むしろ、恋愛に奥手の若手サラリーマンが主人公。
その矢野文男(26歳・商社マン)の恋愛への関わりを参照すると、
『月光ゲーム』の犯人=年野武(東京の雄林大学法学部3回生)のある種の「純粋さ」は、
当時の文脈では、理解可能なのではないだろうか。

『月光ゲーム』に出てくる学生のうち1回生たち、5人は、1987年には、
高校3年生で受験だから、映画(『私をスキーへ連れてって』)は見ていないかもしれない。
しかし、他の12人は、見ている、と考えてもいいのでは…。
特に雄林大学の方々は、東京で、バブルの雰囲気に巻き込まれているはずだし。

当時の文脈では、二十歳前後の男女に「純真さ」や「純粋さ」を求めるのも理解可能。
その「純真さ」「純粋さ」をからかわれて、山を下りたり、殺意を生むのも理解可能。
ではないか。

もう一つ。

青少年の性行動調査からみておく。
1987年の調査(第3回)を見ると、大学生男子の性交経験率は、46.5%、大学生女子は、26.1%だ。
(最新の2005年調査(第6回)では、大学生男子は、61.3%、大学生女子は、61.1%。)
『月光ゲーム』で登場する6人の女子学生のなかで、4人か5人は処女であった。
男子学生では、11人中6人は童貞ということになる。
こうした性経験のあり方は、また、「純真さ」や「純粋さ」を生む構造となる。
ここからも動機に関して理解可能、ということにならないか。


それはそれとして、…。

有栖川有栖の『月光ゲーム』も京都に関わるミステリーだ。
主人公の有栖は、同志社大学がモデルとなっている、京都の私立英都大学の一回生。
英都大学推理小説研究会が、『月光ゲーム』をはじめとする
いわゆる「学生有栖シリーズ」の「探偵」的役割を果たしているからだ。

このシリーズは『月光ゲーム』を含めて4つの物語になっている。

『Mystery Seller』の「四分間では短すぎる」は、そのサイドストーリーということになる。
  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 14:38Comments(0)読む

2012年02月17日

『Mystery Seller』の京都

今月発売の新潮文庫『Mystery Seller』。
2010年から11年にかけて発表された短編8本のアンソロジー。
中に2本、京都ミステリーがあったので記録しておこう。




島田荘司の短編、「進々堂世界一周 戻り橋と悲願花」。

御手洗潔(島田荘司が造形した人物)とサトルが、堀川の一条戻り橋で、
語る、日本の近代史。
主に語るのは御手洗だが…。

戻り橋は、「千年の怨霊都市」京都のスポット。
彼岸花は、そんな「千年の怨霊都市」京都にふさわしい花ではないか、
と、御手洗は語る。

そこから、彼岸花に関わる、御手洗のロスアンジェルスでの出会いと伝聞が
紡ぎだされてゆく。

実に悲しく厳しくも壮大な物語が展開される。
戦前の朝鮮半島、戦前の東京や日高(高麗)、そして、戦後のアメリカ西海岸。
そこでの話が、1974年9月の京都とつながる、という構造だ。
朝鮮民族と曼珠沙華(彼岸花=彼岸花)の移動の物語でもある。
日本の戦争責任、侵略、植民地支配を考える時、
思考の方向を示す小説だろう。
しかも、ある種ミステリー(京都ミステリー)でもある。

ただ、物語内の、一つの謎がそのまま残されたような感じがするが…。


第二は、有栖川有栖の短編、「四分間では短すぎる」。

同志社大学がモデルであろう京都の私立英都大学の
推理小説研究会・全メンバーが、部長、江神二郎の下宿で、
飲み会=無為に過ごす会をもよおす。その様子を描いた短編。

主人公の有栖が、飲み会へ行く途中、京都駅(旧京都駅)で漏れ聞いた
隣の公衆電話での男のしゃべり。
そこから男としゃべりの内容を、推理していく「ゲーム」。その進行がストーリーの中心。

1988年の10月の京都西陣での出来事だ。
御手洗の戻り橋での語りから14年たっている。

小説中ではほのめかされもしないが、推理小説研究会のメンバー4人は、
その年(1988年)7月から8月にかけて、連続殺人事件に巻き込まれている。
(→『月光ゲーム Yの悲劇'88』)
その真犯人を指摘したのは、江神二郎。
有栖は、一緒になった短大生、姫原理代に恋し、告白するが断られる。
その傷心を抱えて元気がなかったのだ。
で、みんなで無為に過ごし、ゲームでもしようか、という趣向。

「点と線」なんかも分析して、それなりに面白い。


摩耶雄嵩の「失くしたお守り」は、架空の町、霧ヶ町での事件が描かれるが、
主人公・優斗の兄は、実家のお寺を継ぐ目的もあって、京都の仏教系大学へ行っている。
少し京都つながり。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 19:15Comments(0)読む

2012年02月10日

『京都駅殺人事件』の殺害現場はどこだ

西村京太郎の京都を主な舞台にした「長編推理小説」。
「長編推理小説」というコンセプトは、光文社文庫の表紙に書かれている。



(↓↓内容に言及↓↓)


いきなり殺人事件が起きる。しかもその犯人は直ぐに分かる。
被害者は、浪人生の木村誠。犯人はその友人で、同じく浪人生である橋本眞人だ。
浪人生の橋本は、爆弾を作っている。この爆弾で、1997年に完成した新京都駅ビルを脅迫する、
というのが、この小説の前半部である。
(小説内の時間は、1999年の7月、祗園祭りあたり)

橋本眞人は、京都駅ホームで爆弾を破裂させ、
JRの脅迫に成功し、1000万円を奪取するが、
金を奪取した直後に、警察のパトカーに追われ逃走するなか、
交通事故死してしまう。
金は半分の500万円を殺した友人の両親へ送り、あとの半分は、誰に送ったか不明だった。
(いずれも受け取らない)

事件はこれで終わらない。

橋本の遺志を継いだ人物が現れる。
彼=君原哲也は、橋本の兄の友人で、新京都駅の設計の応募した人物。
橋本眞人が私淑し、新京都駅が京都の良さを破壊するものだ、という思想を、
抱かせるに到った人間。橋本から500万円贈られたが送りかえしている。
この君原と十津川(+警察)が、新京都駅の破壊と金銭の奪取をめぐって、
戦う、というのが後半のストーリー。
その間に、君原は、自分のことが発覚しないように、橋本の兄を殺害する。


京都駅殺人事件とされているが、2件の殺人はいずれも東京で起きる。
京都は、破壊されるか・されないか、という緊迫した舞台と、
脅迫による金銭奪取の現場として、用意されている。
(この奪取の現場が笑わせる)
京都ミステリーとしては、なかなか特異なケース。

簡潔な文章でテンポよく進むのでぐいぐいと引っ張られる。
ただ、推理小説として、ミステリーとしてどうか、といえば、
真犯人の発覚があまりにあっさりしている点に不満が残る。
とはいえ、そういうミステリーもありか。  
タグ :ミステリー


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2012年01月30日

『狩人は都を駆ける』を読んだ

『狩人は都を駆ける』(我孫子武丸)あるいはその地理学
という感じで…

京都ミステリーにこうしたものがあったというのがまず面白かった。
内容もなかなかのものだ。読み物としておすすめできる。

主人公は探偵。あまり仕事はないらしい。
探偵事務所が入っているビルの向かいの部屋が獣医医院。
その院長で獣医の沢田は、なかなか腕もよく、しかも、赤ひげ系、つまり、人情派。
沢田を通しての、動物=ケモノ=犬猫=ペット関連の依頼が、
この貧しい探偵事務所の経済を支えているようだ。
この本は、ケモノ関連の依頼を、探偵が解決(?)する(時にできない)5つの物語からなる。
やや変革のハードボイルド。



(我孫子武丸『狩人は都を駆ける』文春文庫、2010)
(↓↓ 内容の記載あり ↓↓)

小説内時間は、はっきりしないが、1990年代半ばであろうか。
とすれば、世間ではオウム真理教事件があったわけで、
京都でも、京都大学の学生でオウム信者がそれなりにいた。
そのあたりは、記述には無い。


探偵事務所は、京都の中心部にありそうだが、特定していない。
ビルの地下には、バーではなくスナック「ノワール」がある。
街中、か、京都駅近く、かな。
(第四作「失踪」を読むと烏丸通に近いどこかで、京都駅付近というよりは三条から五条の間っぽい)

第一作では、依頼人が下鴨在で、事件も下鴨神社で展開。近くの小学校も重要な舞台だ。
第二作は、依頼人は、先斗町のクラブに勤め、彼女の自宅は左京区のマンション。
依頼人=ネコ惨殺犯+αをストーキングし強姦した男のマンションは北区だった。
第三作の依頼人は、岩倉在住。犬を実相院とかに散歩させてほしかった。
第四作で、ネコさらいの都市伝説が広がるのは、嵐山近く。もう一人のネコ探偵の拠点は、京都駅の南。
第五作は、いまいち不明。重要な現場が「シャルマン高辻」なので、高辻通の付近か?


京都ミステリーであるが、古都的しつらえはない。
あえていうと下鴨神社くらいだろう。
さりげなく森嘉の豆腐が登場するのも気が効いている。  
タグ :ミステリー


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2012年01月12日

誘拐事件も面白い(『十四番目の月』(海月ルイ)読了)

京都での殺人事件を年末年始楽しんでいたが、
その一つに、海月ルイの『子盗り』があった。
これでは、殺人は、二件発生するが、物語の主軸とはいえない。
つまり、殺人は、派生現象というところを占めていそう。

読むのがなかなか苦しいところもあったが(内容のため)、
かなり面白く、よく分からないが「希望」のある終わり方なのだ。
殺人あり、苦悩あり、なのに…。


で、同じ作者の作品を選んでみた。
『十四番目の月』。



(↓内容に言及↓)

こちらでは、残念ながら、殺人はおきない。
誘拐である。
身代金は2000万円。
犯人は(二人であるが)身代金奪取に成功。
誘拐された子供も無事阪急梅田駅で保護される。

この小説のポイントは、誘拐犯の「動機」にある。
それは、復讐。どういう復讐なのかが大きなポイント。

それにしても、構造的には非常によく組み立てられており、面白い。
ただ残念なのは、殺人がないこと。
まあ、誘拐犯の子供が、殺された、という解釈も可能だが…。

気働きの無い、若い女の、ひどさの描写がすごい。  


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2011年11月30日

錦市場/異教徒の晩餐/追想の殺人

最近錦を時々通る。
何となく感じるのは、「観光化」。
これを実証するためには、錦市場における各店舗の
内容形態の年次変化を押さえなければなるまい。

しかし、ミステリーを最近読んでいると、
そこで言及された「錦」を並べると、
何かが分かる可能性もあると思った。

北森鴻の『支那そば館の謎』(光文社文庫、2006)にある一編
「異教徒の晩餐」。
2002年春に雑誌に発表されている。
そこでの錦。

「錦市場 ―― 通称・錦 ―― は四条通に並行して延びる小路で、「京都市民の台所」ともいわれる。食材のみならず、おばんさいその他を扱う店屋が立ち並び、観光都市でない京都の一面を見ることができる場所として知られている。」(78頁)

ところで一転柏木圭一郎。
『京都祇園舞妓 追想の殺人』(小学館文庫、2009)。
2009年夏時点で、錦はこう描写される。

「狭い道の両側にぎっしりと店が建ち並ぶ『錦市場』は京都の台所と呼ばれている。プロアマ問わず、こだわりの食材を求めて多くの料理人が足を運んだ『錦市場』は近年、急激に観光化が進み、都人の足が遠のき始めている。アジア雑貨、ドラッグストア、たこ焼きの屋台など、およそ京都の台所とは無縁の店が派手な売り声を上げる。加えて最近では食材を商う店が軒先で素人料理を出すことも増えて来た。通りからも客が食べている姿が丸見えで、あまりみっともいいものではない。星井はそんな光景を見る度に眉を顰めているのだ。」(260頁)

(ここで出てくる「星野」は、柏木圭一郎の文庫書き下ろしミステリーシリーズの主人公。
小説内では、カメラマンで、探偵の役割を演じている。)


北森は、錦を「観光都市でない京都の一面を見ることができる場所」
と紹介できた。2002年のことだ。

柏木は、錦を「急激に観光化が進み、都人の足が遠のき始めている」ところ
とする。2009年のことだ。


この差、(あるいは、変化)愚かにもやや面白い。  続きを読む


Posted by 愚華 at 20:36Comments(0)読む

2011年11月26日

京都で殺人を楽しむ

京都を舞台にしたミステリイは、京都での殺人を楽しむ、なかなかハンディなアイテムである。

やはり山村美紗が有名であるが、2008年からは、柏木圭一郎によるシリーズが立ちあがった。最近までこのシリーズに気づいてもいなかったが、ちょっと手を出して見たところ、それなりにいける。


注意!! ↓―真犯人の記載あり―↓)



注意!! ↓―真犯人の記載あり―↓)

第一作は、小学館文庫に入っている『京都 大文字送り火 恩讐の殺意』だ。
葵祭りも終わったあとの京都が舞台。
小説内時間は、2008年6月はじめ(芒種あたりとなっている)ころから、
7月のはじめあたりまで。
(どうも6月4日から6月5日にかけて殺人がなされている)

殺されるのは、南禅寺近くのトレンド和食『料亭みなみ川』の主人南川和雄。
(殺人現場は、如意ヶ岳=大文字山。大の字あたりに緑のシートをかぶせた死体が…)

さらに、南川と京都の和食界で、方向の違いも含めて対立していた『菜心しまだ』の主人
嶋田優が、自分こそ南川を殺した犯人であると書き残して自死する。

これで事件は解決かと思いきや、実は、殺人の日、東京のホテルにおり
アリバイも成立したはずの『南川東京』の店長、南川雄一が実行者だった。
つまり、「父親殺し」である。

このミステリイのミステリイ的魅力はアリバイ崩し。
ここは、なかなか面白い。

ただ、ミステリイ的に言うと味音痴のたかり料理評論家山岡京三を
もっと引っ張ってほしかった。
あともう少し怪しい人物が欲しいところ。



極・特殊な注釈↓
『菜心しまだ』=「いま、京都で最も人気のある料理店…京野菜を主役に据え、客の目の前の竈で炊いたご飯を供する…」
『柳苑』(111頁~115頁)=カレーラーメンが…旨い=『柳園』  続きを読む


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2011年11月04日

『如何なる星の下に』でB級グルメ

つい先ごろ『私の東京地図』(佐多稲子)が、新装版で文庫化され、
すごく喜んだのだが、今度は高見順である。
高見の戦前の長編、『如何なる星の下に』が、講談社学芸文庫で出版された。

やはり高額。
この値段は何とかしてほしい。280頁強で、1400円。
うーーんん。


物語は、1938年の日本。舞台は浅草。
1938年10月頃から1939年1月頃まで、である。
それが小説内時間と思う。

主人公は、小説家の倉橋。
倉橋は、山の手の大森にどうも家を持っている。
そこに家族などがいるのかどうか、あいまい。

この倉橋が、軽芝居と漫才とレビューが盛んな浅草を漂う。
その物語だ。
倉橋の、レビューダンサー小柳雅子への純情が、小説の軸だ。

楽しいのは、当時の食べ物屋が出て来ること。
嬉しいことに「『如何なる星の下に』小説案内地図」がついている。

みると、市電の「田原町」電亭近くに「仁丹塔」がある。
倉橋のアパートは、「田原町」の近く。三階に部屋があるせいか、「仁丹塔」が見えるらしい。

1938年11月3日、午後3時頃。

「…私はアパートの窓から外を眺めていた。田原町の仁丹の広告灯が、――
電気のつかない昼間の広告灯というのは、さらでだにしょんぼりとしたものだが、
冷たい雨にずぶ濡れになって侘びしく情けなさそうに立っているのが、私の眼に
入り、屋根ばかりしか見えない窓外の索寞とした景色の中で、特に私の眼を
ひくものといったら、それだけなのであった。」

電気のついていない「仁丹広告灯」の記述。
侘びしさを際立たせる巧みな筆致のような感じがする。


年表をみると、この日、近衛首相が、東亜新秩序建設を声明した
いわゆる「第2次近衛声明」を出したようだ。

73年前のことだ、と今気付いた。  続きを読む
タグ :高見順


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2011年09月21日

『私の東京地図』と遭遇

本屋で新刊の文庫を見ていて驚いた。
佐多稲子の『私の東京地図』が出ていたのである。
講談社文芸文庫なので、文庫にしてはやたら高額だが、
読みたいと思って探していたから、買ってみた。

「講談社文芸文庫スタンダード」というシリーズの「006」である。
そこにある著書目録を見ると、「文庫」の欄に、
1989年に出た講談社文芸文庫版『私の東京地図』が記載されている。
それとは違うらしい。
違う点で、この記載からわかるのは、「作家案内」がなくなったこと。
「解説」がかつては奥野健だったが、今回は川本三郎になったこと。
前回なかったらしい「年譜」がついたこと。「年譜」は佐多稲子研究会が制作。
そして「著書目録」がついたこと、である。
本文に異同はないと思うが、「多少ふりがなを調整」はしたようだ。

『私の東京地図』は、一気に書かれた長編でも、定期的に連載された長編でもない。
いくつもの雑誌に短編として、1946年3月から1948年5月にかけて、発表された作品群を、
1949年3月に「私の東京地図」という題で絡めて、書籍化した作品(作品群)だ。
小説というよりは私小説、私小説というよりはエッセイ…か。

「版画」「橋にかかる夢」「下町」と読んだ。


「版画」には、「奥さんを女郎さんに売った」父の友人「松田」の母が、
「猫いらずを呑ん」で自死した後に、稲子が祖母と松田の家へ行くシーンが、
最後に書かれている。
稲子の眼に版画のように残像していたそのシーン。

「もう夕暮れで、吾妻橋のあたりは、仕事を終えて帰ってくる黒い人の姿であふれていた。
隅田川の水が鈍くに光っていた。橋ぎわの大きな広告塔で、仁丹のイルミネーション
明滅するたびにそのあたりが明るくなったり暗くなったりしていた。ヤマニバーの扉は
引っきりなしに開けたてされて、仕事着のままの客が出入りしている。」

この人々はサラリーマンではない、と思う。
洋服姿も非常に少なかったと想像される。  続きを読む
タグ :佐多稲子


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2011年07月04日

一袋の駄菓子

佐多稲子の「一袋の駄菓子」を読んだ。
なかなか凄い、なかなか出来た小説である。
なぜか分からないが、いわゆる「研究」は無いようだ。

文庫本の解説によれば、1935年に『文芸春秋』6月号に発表された。
いまから振り返るとわかるが、まだ敗戦まで10年以上もある、という時である。


自筆年譜によれば、この35年5月に戸塚署に検挙され、2ケ月間拘留されている。
検挙の理由は文化運動に関係したこと、らしい。
5月1日には、戦前最後のメーデーが開催されている。
佐多稲子は参加したのだろうか?
この年のはじめ頃には、天皇機関説が「問題化」してもいる。


焦点化する主人公というものが設定されていない。
強いて主人公は誰かといえば、東京の下町工業地帯の貧乏長屋に住む
小学校六年生の兵次であろうか。
この小説は、工業地帯に貧乏長屋の数ヶ月くらいの物語である。
おそらく1月から3月あたりまでだ。
貧乏長屋の生活と、兵次とその友人の義男の小学校卒業後の問題が、
重なる形で記述されている。
記述は淡々として、それほど深みのある心理の動きは示されていない。
しかし、貧乏長屋と工場との点描から、そして、貧乏長屋で起きる「事件」から、
当時の時代と社会が見えてくる。

兵次の家は子供が少ない。どうも兵次と弟だけのように読める。
これはどうしてか。
山本宣治などが関わった、労働者階級への産児調節の知識を、
兵次の両親が心得ていた、ということを暗示するのではないだろうか。
兵次はそのために、中学校へ行ける可能性があることになっている。

「一袋の駄菓子」、という題は、最後の、小工場主の妻の葬式シーンに由来する。
葬式での放鳥の代わりとして、駄菓子を詰め合わせた小さな紙包みを、
霊柩車を見送りに来た近所の貧乏長屋の子供たちや住人に放つのだ。
このシーンは、背景となっているであろう工場地帯の煙突群と共に、
映像的イメージを喚起する。
戦前のプロレタリア文学の系譜に属する小説なのにもかかわらず、
愚かにも喚起されたイメージは、寺山修司的ものだった。  
タグ :佐多稲子


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2011年07月02日

「牡丹のある家」を読む

佐多稲子の作品「牡丹のある家」を読んだ。
『中央公論』1934年6月号に発表された作品である。
当時は、窪川稲子だった。


主人公は、こぎく。5人兄弟の上から三人目、長女のように読める。
一家は、山陽本線沿線の村の自作農。
父はハイカラで進取の気性があったようだが亡くなっており、
祖父、母、長兄、三女の妹と五人暮らし。
次兄は、神戸の造船所で働いていたが不良になり、傷害事件を起し刑務所にいる。
次女の妹は、姫路の紡績工場の女工らしい。
本人は、大阪で事務職についていたようだが、結核になり二年で帰ってきた。

物語では、自分の家の畑で山火事が起きる。幸い大事には至らない。
長兄の嫁が死産、その後実家に帰り、やがて離縁が申し込まれる。
こぎくは、また、血を吐く。
こぎくに、職場の男の同僚店員から手紙が来る。
彼女は、家に居場所がないと感じ自殺をはかろうとするが未遂。
最後にこっそりと家出する。


1931年9月、いわゆる満州事変が起きている。
この年は、東北北海道は冷害凶作で、娘の身売りが急激に増加したとされる。
おそらく東北出身の娼婦が東京や関西に流れたであろう。
1932年5月、5・15事件。政党内閣の時代が幕を閉じる。
そう、3月には「満州国」が「建国」。7月にはナチスが第一党になった。
1933年2月、小林多喜二が虐殺された。3月には日本は国連を脱退。
6月に、日本共産党幹部の転向声明が出る。
そして1934年、東北地方にまた大凶作が襲いこの年の秋から身売りがまた急増。
その少し前に、こぎくは東に向かった。


自筆年譜によれば、佐多は、1932年春ごろ、日本共産党に入党。
1933年、小林多喜二の虐殺について「二月二十日のこと」を発表。
1934年、随筆集『一婦人作家の随想』を出版。装丁は元マヴォの柳瀬正夢。
1935年5月には検挙された。(治安維持法違反か?)  
タグ :佐多稲子


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2011年06月23日

キャラメル工場から

佐多稲子の初期、戦前の小説を読みたいと思っていたが、文庫本では発見できない。
古本市でもあまり見かけないでいたところ、旺文社文庫のものを発見し購入した。
(とあるスーパーが時々開く古本販売会で)

はじめに載っている短編は、「キャラメル工場から」で、彼女のデビュー作である。
1928年2月に、『プロレタリア芸術』に発表された。
共産党関係者を治安維持法で大弾圧した「3・15事件」直前のものだ。(1928年)
京都でも、弾圧があったと思うが、手元に資料がない。

「キャラメル工場から」は、貧しい少女の大変な家族・家庭と
小学校へ行くのを断念して働いているキャラメル工場の労働が
描かれている。

1928年4月に中井宗太郎の家へ修業に入りのちに養女となる富山芳枝は、
ディートリッヒの『モロッコ』がはやっていたころ、中井の家へ、
湯浅芳子や中条百合子が泊まりに来ていたと証言している。
その時佐多稲子も京都へ来たらしい。
『モロッコ』は1930年の作品だ。


「キャラメル工場から」は、佐多自身の体験をおそらくもとにしている。
とすれば、年譜を参考にすると、1915年12月頃のことである。


プロレタリア文学として、資本主義への闘いを目指すという目的があったかもしれないが、
記述が当時の時代相を写しているところも興味深い。
電車の乗客が時間で階級に分かれていることを示す記述。
朝早くの電車には、印袢纏や菜葉服の男が詰め込まれている。
労働者の電車なのだ。
少しすると、身ぎれいな女が乗り始め労働者風の姿は消える、という。
中産階級以上の女性も乗れる電車となる。
主人公のひろ子の家は六畳一間かもしれない。
そこに、ひろ子の父と祖母、病気の叔父、弟、そして、ひろ子が生活している。
現在の日本ではフツーである、個人が孤立可能な、日常生活はない。

主人公のひろ子は、キャラメル工場を止め、中華蕎麦屋に住み込みで再就職する。
そこの便所で、郷里の学校の先生からの手紙を読んでなくシーンで終わる。
中華蕎麦屋は本文では「チャンそば屋」と表記されている。
「支那そば屋」以外にこういう呼び方もあったわけだ。
この「チャンそば屋」は、日本国語辞典には載っていない。
便所で手紙を読むというのも重要だ。
要するに、個人が孤立可能な場は、そこしかなかったということを示唆している。  
タグ :佐多稲子


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2011年03月01日

「白昼鬼語」と京都

「白昼鬼語」読了。
実に、実に、実に面白い。
しかも、不覚にもだまされてしまった。
なんか、映画の『スティング』を思い起こさせる。
ただ、『スティング』はあくまで、明るい感じで行くのだが、「白昼鬼語」は、文中にもあるが、
物語を駆動させるものとして「変態性欲」を配しており、また、その変態的デカダンスが特徴だろう。暗い中に、鮮明なカラーで、エロティックな犯罪がおこなわれるという感じ。
しかし、どんでん返しでわかるが、フェイクなのだ。



大変濃密な描写が積み重ねられる。
挿絵が見たい、という欲望をもたらす。
新聞連載だからあるはずだ。
『谷崎潤一郎必携』によれば、1918年5月23日から7月11日まで連載された。


興味深いのは、「京都」が登場することだ。
主人公と友人が水天宮近くの家で「殺人」と「死体溶解」を目撃する時、「殺人」者達の間で、「いつぞやの松村」という名前が出る。
主人公の友人で「精神病の遺伝がある」と自分で称する「園村」は、「いつぞやの松村」を、二ヶ月前に新聞で行方不明を報じられた「麹町の松村子爵」と断ずる。園村の推理では、松村子爵も、殺され死体は溶かされたというのだ。その殺人現場、かつ、死体溶解場が、実は京都とされている。
京都には東京と同様に人間を殺し溶解する家がある、という想定だ。
何を意味するのか、面白そうだ。  
タグ :谷崎潤一郎


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2011年01月13日

『とり残されて』

宮部みゆきの第2弾として、初期短編集を選んで読んでみた。

『とり残されて』(文春文庫)である。



7編の短編が収録されている。
「おたすけぶち」は民俗・フォークロア系の物語。
「囁く」は心傷・電波系。
あとの5編はいずれも異界・異次元系である。
民俗・フォークロア系の「おたすけぶち」も、一種の隠れ里がポイントであるので、「異界」といえないこともない。
純ミステリイ系はない。


少しレビューしておくと…。


「私の死んだ後に」という短編は、宮部ワールドをある程度モデル化している作品だろう。
主人公はプロ野球の投手。
不振になり些細なことで飲み屋で喧嘩し(海老蔵?!)、死にかけている。
死からの「立ち直り」が主題で、その時彼の過去の心の傷が問題となる。
その傷に関係する死者(半死者≒幽霊だが)が、彼の臨死状態の魂と交流し、
彼は浄化され生へと戻ってゆく。代わりに半死者の若い女性が完全な死へと旅立つ。
モデル化といったのは、まず野球≒スポーツが入っていること。
二つ目は、死者の残存というテーマ。
第三が、殺人や死と関係する精神的外傷というテーマ。
このあたりだ。
ただこれはもう少し作品を追うと見方が変わるかもしれない。


「たった一人」はなかなかの秀作。
主人公は若い女性でいつも見る不思議な夢に強力に囚われている。
その夢の場を探偵事務所に頼み特定してもらおうというのが物語の開始動因だ。
夢は彼女の過去と関わり、探偵事務所の所長兼調査員もその過去と深くかかわる事がわかる。
彼女は、かつてその夢の時の時、若き巡査だった所長兼調査員を、殺される「運命」から逸脱させた、というのがポイント。
魂的・心霊的現象で巡査を無意識にすくったことから歴史/現世界時空が歪み、その歪みのために彼女はたびたび意識が空白化する病理現象を起こす。
この「事実」が所長兼調査員によって明らかになった瞬間、時空の歪みがやや戻り、所長兼調査員は消滅し、「運命」の現世界時空へと修正される。
それでも主人公のなかには、所長兼調査員との記憶は残存する。
ある種パラレルワールドものだが、突き詰めて考えるとどうして記憶が残るのかは不明。不合理。
しかし、物語だから。しかも、異界ものだし。
そうした論理破綻はおくとして、それを考えずに読む分にはいい作品。


「いつも二人で」はアイディアが面白い。
若き男性の身体に、若い女の死後魂が入りこむ。
といってもそれほどどろどろして居ない。
死後魂の女が愛してしまった悪い中年男の身体に共存するための媒介として若い男が選ばれたのだ。
若い男の体には、だから、若い男の生きた魂と若い女の死後魂が共存することになり、どっちが若い男の体を支配するかでもめるところが面白い。
もう一歩やれば、いまの社会の性にまつわるルールを、相対化する作品になったんだろうな、と思う。
  


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