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Posted by 京つう運営事務局 at

2012年02月05日

投票実感の希薄化

投票場へ行って、えっ、という感じになった。

いつもと会場の様子が違っている。
狭いのだ。

葉書を渡して、本人確認。
読み取り装置で行い、生年月日が聞かれる。

隣へ行くとはがきと交換にカードを渡される。
なんと電子投票

初めての経験だ。

カードを装置に挿入すると画面にいろいろ出てくる。
で、投票したい候補を選ぶ。
確認画面が出て、これも、確認を押す。

カードを返す。

だいたいこんな感じの流れだ。


ただ、投票したという実感がない。
やはり候補の者の名前を自分で書くべきなのではないだろうか。
選挙でも、民主主義は薄いわけだが、電子投票ではさらに薄い感覚になる。
あと信頼性とか、プライバシイとかどうなるのか疑心暗鬼。
なんかいや。

(今回は、京都新聞によれば上京区と東山区で電子投票となったみたい)  続きを読む

Posted by 愚華 at 15:29Comments(0)徒然

2011年01月11日

雪叡山

今日(2011年1月11日)の京都の天気予報を『京都新聞』ネット版から頂くと、

「11日は冬型の気圧配置が緩むが気圧の谷が近づく。南部で晴れ間があるものの全般に雲が多く、北部では雪の降る所があるだろう。」

と、いうことだ。

朝、北山と比叡山は白かった。



今日は、「11111」というのも面白い。
  

Posted by 愚華 at 13:18Comments(0)徒然

2010年11月17日

酒看板

先日奈良へ行った。
近鉄奈良駅から奈良女子大の方へ歩いて行くと、すごい書店があったりで、
結構楽しめる。
古本屋も充実。

曲がると元酒屋さんがある。

お酒の琺瑯看板があった。









近所のお爺さんが通った。
この酒屋のことをいろいろ説明してくれた。
残念ながら、今は、お酒造りはしていない。
しかし、看板で主張している。  

Posted by 愚華 at 13:15Comments(0)徒然

2010年07月17日

消湯

7月13日を最後に、また一つ京都で銭湯が消えた。

有馬湯。



押小路新町西・北側にあった。まだ取り壊されていないが(2010年7月17日現在)集合住宅が立つ予定らしい。
ここは「水」が非常に良かった。地下水だと思う。京都盆地の中央部を流れる、大変良質の地下水を使っており、水風呂は絶品だった。

創業は、1933年、昭和8年という。100年は持たなかったが、70年以上地域の人たちに愛用され、コミュニティを支えた、といえる。

残念だ。

もう銭湯の創業というのは無理だろう。今後は「スパ」とか「スーパー銭湯」とかしか出来ないに違いない。なんか淋しいが、歴史のうねりはそうしたもの。「無常」を楽しんだ京都の地の人々の流れに乗らざるをえまい。  

Posted by 愚華 at 15:11Comments(0)徒然

2010年06月22日

うつりゆき

鳳舞が店を閉めたのは昨年のことだった。
その後取り残された元鳳舞の建物の前を通るたびに
その何ともいえない、ある種の味がある建物はどうなるのか、
気になっていた。
6月の半ば、通りかかると、取り壊されていた。
取り壊しはその直前と思われる。


鳳舞の中華料理が永久に消え、建物も永遠に消滅した。


『75年版 京都味覚地図』という本が手元にある。
それによると、京都木屋町三条上ルに当時あった
「飛雲」の高華吉という人がそこを経営し、
実質的には彼の息子の高飛泉が鳳舞を切盛りしていた、という。


昨年、料理を作るのがもう大変になった、といっていたのは、いずれの人だろうか。


あの「春巻」や「しゅうまい」が懐かしい。  

Posted by 愚華 at 18:43Comments(0)徒然

2010年01月22日

出会ったので

「五条壬生川通下ル西入ル」で出会った仁丹町名看板。



下の看板との対照も何となく面白い気がして。
下の看板は火の用心の啓発モノ。
煙草が置かれた灰皿と、アイロンのデザイン。
アイロンは一瞬だがノートパソコンに見えた。  

Posted by 愚華 at 16:49Comments(0)徒然

2009年12月21日

漱石の手紙

12月19日発行の『京都新聞』その他で、夏目漱石の未公開の書簡が発見されたと報じられた。
いくつかのネット上の新聞記事などをまとめると、今回発見された書簡は、1915年2月7日付のものという。

まず再確認しておくと、漱石の京都訪問は4回とされている。

第1回:1892年(明治25年)7月8日~7月10日。
第2回:1907年(明治40年)3月28日~4月11日。
第3回:1909年(明治42年)10月ころ、二日くらい滞在。
第4回:1915年(大正4年)3月下旬~4月中旬。

ということで、こんどの書簡は、最後の京都訪問の直前のものだった。

東京から、生け花の家元、西川一草亭にあてたもの。
京都市内の磯田多佳の親類宅に保存されていたようで、
多佳が、漱石を訪問したいという希望を持っていることを、
大阪の実業家、芝川照吉から聞いたことが書かれており、
その流れで、一草亭にいつ多佳が来るのか聞いている、という。
そうした漱石の問い合わせがあったので、一草亭が、多佳にこの手紙を渡し、
多佳が保管していたものが、その親類宅へと受け継がれた、と推測されている。

宇治市の平等院ミュージアム鳳翔(ほうしょう)館での特別展で展示されているということで
かなり興味を引く。
  
タグ :夏目漱石


Posted by 愚華 at 13:43Comments(0)徒然

2009年11月22日

再度、島原で

町名看板、仁丹版。
先に島原近くのを見て写真にとったが、大門近くにもあるのを見落としていた。



門との位置関係はこれでわかるかもしれない。

  

Posted by 愚華 at 13:52Comments(2)徒然

2009年11月03日

島原の近く

こういう形で残っているというのも力強い。



それにしても昨晩から寒くなっている。
バス停でおばあさん達が会話していたが話題が寒さと健康だった。  

Posted by 愚華 at 15:43Comments(0)徒然

2009年07月24日

明石にもあるということ

神戸新聞のネット上の記事でラジオ塔にふれているものがあるのを見つけた。
いつのものかは分らない。
見出しは「戦前、戦中の「ラジオ塔」 明石に1基現存」である。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001708029.shtml


まず現存物件情報をまとめておこう。
ラジオ塔の現存地は、「明石市相生町1 中崎遊園地内」である。
なぜか発見者がいる。吉井正彦。民博の客員教授らしい。「発見」時期は2007年夏。


この記事には、ラジオ塔に関する情報がいくつか書かれている。
NHKの『放送五十年史』(1977)によれば、ラジオ塔は、1930年に、
大阪天王寺公園で、初めて設置された、という。

また、吉井の調査と思われるが、1945年までに400ヵ所に設置されていたという。(全国?)
兵庫県内では、1942年時点で、神戸東遊園地、姫路姫山公園、洲本三熊公園等17ヵ所にあったという。
何基あったかは不明。  

Posted by 愚華 at 19:03Comments(0)徒然

2009年07月22日

ネットデ観察

「KOfyのホームページ」というブログに「大阪城の2ヶ所のラジオ塔」というビデオ画像はある。

http://www.flipclip.net/clips/f87b546f4e92ae70affb82b9063951db

それによれば、大阪城には、2ヶ所、4基のラジオ塔が現存しているらしい。
南外堀に1基。これはNHKの近く。
天守閣の南にある日本庭園の縁に3基。
特に後者は、形がすごくシンプル。

面白い。

(ネットデ考現)  

Posted by 愚華 at 12:09Comments(0)徒然

2009年06月08日

村上龍と映画の関係

漱石の小説を原作としている映画について調べてみたところ、「映画と小説・映画と小説家」の関係性が、以外に面白いテーマになりそうだ、ということに気づいた。
と言っても趣味としての「関係性」探訪であるが。

で、村上龍について、また、日本映画データベースで調べてみた。

村上龍の小説を原作とする映画は、データベースによれば、9本ある。
夏目漱石に比べてやはり多いという感じ。漱石は15本だが、彼が活躍していたのは、今から100年近く前。村上龍はそれに比べると現在活動中。現役だ。
現役で9本はやはり多いのでは、と思った次第。

9本のリストは以下のとおり。

1:1979年、限りなく透明に近いブルー(本人が監督・脚本)
2:1983年、だいじょうぶマイ・フレンド(本人が監督・脚本・音楽)
(1989年、ラッフルズホテル(本人が監督))
3:1992年、トパーズ(本人が監督・脚本・音楽)
4:1996年、KYOKO(本人が監督・脚本・製作)
5:1998年、ラブ&ポップ
6:2000年、オーディション
7:2001年、走れ!イチロー
8:2003年、昭和歌謡大全集
9:2004年、69 sixty nine

ただ、一本疑問形のものが。

1989年の「ラッフルズホテル」だ。
村上龍には同名の小説がある。しかし、データベースでは、原作はなく、原案に「奥山和由」がクレジットされている。奥山和由は、おそらく松竹系のプロデューサーで、94年に作られた「RAMPO」の監督でもある。
この「ラッフルズホテル」を巡る映画と小説の関係は今のところ不明。

まず気づくのは、90年代は自分の小説は自分で映画を作るのだ、的な姿勢が濃厚に見えるということ。それが98年の「ラブ&ポップ」から、なんか関係のとり方が変化しているようだということ。面白そう。
あと、彼の代表作はやはり「コインロッカーベイビー」と「愛と幻想のファシズム」と思うが、それは映画化されていないということ。まあ、これは金のかかり方に違いがでそうということと思うが。
とはいえ、村上龍は、映画や映画化に極めて関係性を深くとろうとする作家・小説家であるようだ、ということが分かる。
ただ、出演はない。自分の肉体・身体・外見へのナルシスティックな関係のとりかたは、それほどではないのかもしれない。それが現在の彼のあの肉体に反映している、とも言えそうだ。
が、肉体へのナルシス的感覚は希薄だが、精神へのナルシス的感覚は深いとも解釈は可能か。  

Posted by 愚華 at 12:33Comments(0)徒然

2009年06月06日

完璧は難しい、あるいは、漱石映画

完璧というのは難しい。
「日本映画データベース」であるが、かなり信頼性が高いと踏んでいたが、おちはあるようだ。
これは仕方あるまい。もしかすると間違いもあるやも知れないが、『京とに学ぶ』に見られる、唖然となる間違いではないと思う(というか期待している)。


ネットを調べていると、最近漱石原作の映画が作られていたことがわかった。

15:ユメ十夜:2006年製作・2007年公開。監督は以下の人々。実相寺昭雄、市川崑、清水崇、清水厚、豊島圭介、松尾スズキ、天野喜孝、河原真明、山下敦弘、西川美和、山口雄大。

ということはもしかすると実相寺監督の最後の作品?
  
タグ :夏目漱石


Posted by 愚華 at 14:22Comments(0)徒然

2009年05月22日

最後の日々の市電の京都

「鉄道ホビダス」というサイトがある。
そこに「編集長敬白」というコラムがある。
調べてみると、2005年5月27日に始まっている。
それによれば、「鉄道ホビタス」は、
「ネコ・パブリッシングがお送りする趣味のポータルサイト」ということ。
で、当然ながら、「ネコ・パブリッシング」の出版物についても紹介がある。

2009年4月25日のエッセイは、「RMLライブラリー今月・来月は『京都市電 最後の日々』」とされ、『京都市電 最後の日々(上)』の一部が、写真入で紹介されている。
必見。

2009年5月20日のエッセイは、「『京都市電最後の日々』下巻が完成」と題されている。ということはもうすぐ出る訳だ。いや「好評発売中」とあるので、もう書店に並んでいるかも。

「鉄道ホビタス」のアドレスは以下のとおり。

http://rail.hobidas.com/  

Posted by 愚華 at 12:23Comments(2)徒然

2009年05月06日

肌ぬぎし君

「祗園冊子」の第4首。


「つと入れば胸おしろいに肌ぬぎし君ありわれに往ねと云ひける」


かなりエロティックな歌。

何処に「つと入」ったのか。いろいろ想像される。「胸おしろい」するために「肌ぬぎ」しているということは、「君」のプライベート空間かもしれない。少なくとも「君」の職業空間ではない。

「君」はもちろん舞妓か芸妓であろう。もしかすると娼妓=娼婦かもしれない。ただ、娼妓は「胸おしろい」はしなかったのでは。舞妓で、つと入いれるか。これもないと思うのだが。

ただ、吉井が、物語空間を作って、こう歌ったのかもしれない。

後に赤木は、こうした歌を遊蕩文学、というのであろう。

****

ところで、来年は吉井勇没50年らしい。彼は1960年11月19日に京都で亡くなっている。
ということは、今年から来年にかけて、吉井勇関連で、また、京都では何やかやと行われるかもしれない。
できればきちんとした伝記や歴史研究がなされて欲しいものだ。無理と思うが。  
タグ :吉井勇


Posted by 愚華 at 20:53Comments(0)徒然

2009年04月12日

千本のやや東

街案内紀行018

人の眼の高さにあるのがいい感じ。ここも触ることが可能。
もしかして、もうどなたかがアップしていたらすみません。



仁丹の広告部分だけアップもしてみた。



もう少し南でも発見。これもヒトの眼の高さにある。



仁丹広告をここでもアップで。

  

Posted by 愚華 at 16:56Comments(0)徒然

2009年04月06日

かなりきました

歴史的建造物桜も、今朝、前を通るといい感じであった。

  

Posted by 愚華 at 19:33Comments(0)徒然

2009年03月31日

さくらその後、と、復活する水辺

歴史的建造物桜のその後。



このすぐ南、紫明通の真ん中も、せせらぎが出来た。
程よいお散歩コース。



  

Posted by 愚華 at 16:38Comments(0)徒然

2009年03月25日

人工夜桜

二条城のライトアップが始まっている。
(4月12日まで)

まだ見に行ってはいない。

昨夜、閉門してから、二条城前を通過。
桜がデザインされている広告塔を写す。

  

Posted by 愚華 at 15:31Comments(0)徒然

2009年03月25日

ああ、テレビカー

今日の京都新聞に京阪がテレビカーを廃止するという記事が出ていた。
ネット版にも掲載されている。

見出しは。

「京阪名物「テレビカー」姿消す/11年度までに・ワンセグ普及で」

記事を引用=盗用するとこうなっている。

「京阪電気鉄道は24日、京阪本線を走る8000系特急車両の内装を2011年度までに一新すると発表した。改装に伴い、1954年から半世紀以上親しまれてきた京阪名物の「テレビカー」が姿を消す。」

それにしても1954年に出来たものとはすごい。
テレビ放送の開始が確か、1953年2月1日である。はじめは東京地区だったはず。
民間テレビ放送の開始が、1953年8月28日。日本テレビ。
残念ながら手元の資料では、関西地区でのテレビ放送については詳細が分らない。

1954年といえば。
3月1日に、第五福竜丸がビキニの水爆実験で被災している。いわゆる放射能マグロ問題もでたはずだ。
防衛庁ができ自衛隊が発足したのもこの年。自衛隊発足は7月1日だ。
9月26日には、青函連絡船の洞爺丸が遭難し、約1700人弱が犠牲となった。

翌年がいわゆる55年体制の登場。

記事の最後をまたも引用=盗用しておく。

「特急のテレビカーは電車に乗りながら野球や相撲を見られると、人気だったが、「携帯電話のワンセグの登場などで需要が減り役目を終えた」(上田成之助社長)と判断し、改装に合わせてテレビを撤去する。 」

記事のURLは以下のもの。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009032500032&genre=C4&area=K00
(2009年3月25日アクセス)

京阪のサイトを見ると「テレビカーの歴史」というコーナーがある。
1954年9月3日からテレビカーが導入されたことが分かる。

次のような記述は面白い。

「(1956年:引用者=盗用者)乗客の方々約2200人からテレビに対するアンケート調査実施。「テレビはいらない」との答えは2.2パーセント、「少なくとも1列車に1台」を希望された方が70パーセントを超えました。一家に一台が夢の話だった頃の、テレビに対する関心の高さがうかがえます。」

ところで、関西に来て、テレビカーに出会ったとき、驚いた。
それまでは、その存在も知らなかったのだ。
関西の友人は、自慢げだったのを覚えている。
愚かにも、これは関西のりの物件である、と思ってしまった。

テレビカーの出現、「普及」(?)、廃止は、メディア誌上も面白い事柄と思われる。  

Posted by 愚華 at 10:11Comments(1)徒然