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2012年10月15日

「京の画塾細見」展

京都市美術館で、「京の画塾細見」展を開催している。

まず狙いが非常に面白い。
ただ、残念なのは、解説などが不足している(ように感じる)点。
もう少しパネルなどでの説明が欲しいところだ。

おそらく「京都画壇「画塾」講座」を受けたり、
「京都画壇プチ講座」を受けるといろいろ分かり、
理解が深まるのだろ思う。
がしかし、今回の展示だと、予備知識がないと、
京都の日本「画壇」の戦前期の作品群を見た、
と言うにとどまってしまうのでは。



とはいえ、
ポスターに使われた丹羽阿樹子の「遠矢」(1935)は、
大変面白い。

おそらく洋装の、若い女性が、和弓で矢を放とうとする図。
服装自体が分析の対象になりそうだ。
チャイナドレス風にも見えるが、ワンピースである。
ストッキングをはいている。
青いヒール。左手には腕時計。
右手は、ブルーの諸弽の「弓懸け」。

遠くの何をいようとするのか。
その解釈は重要だろう。

  

Posted by 愚華 at 18:07Comments(0)観る

2012年05月13日

『村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する』

村山知義の展覧会が開かれている。
今日で、京都国立近代美術館での開催は最後と思う。
おそらく、それほど人は入っていないだろう。
京都や関西は、最近、アバンギャルドに対して、アンテナが立っていないから、仕方がない。
ということは幸いにもゆっくり見つことができるということだ。




新しく多くの資料や作品が発見されたのでは、との期待はやや裏切られる。

その時代との交絡についても、残念ながら展示の力は弱い。
関東大震災の社会史的文化史的大きさを実感させる装置がない。
また、
欧州における第一次世界大戦の破壊的衝撃についても実感させる仕掛けが乏しい。

したがって、

村山知義や、マヴォの意味が、うまく伝わらないように思う。

そのため、

村山知義や、マヴォの世界芸術史的意味が、前面に出ていない。



しかし、観にいく価値は十分にある。



これは、ダンスする村山のマンガと思われる。
どこからの引用か把握していない。
なんか、おそまつ君のイヤミのようでもあり、味わい深い。  


Posted by 愚華 at 14:49Comments(0)観る

2012年04月21日

案内嬢の部屋Ⅰ(1996)

京都国立近代美術館のコレクションギャラリーが面白かった。

特に、「コンセプチュアル・フォトグラフィの彼方へ」の日本の作家の4点はなかなか。

森村泰昌のものが2点。
(「たぶらかし(マルセル)」(1988)、「私の妹のために/シンディ・シャーマンに捧ぐ」(1998))

やなぎみわのものが1点。
(「案内嬢の部屋Ⅰ」(1996))(←注:表題と発表年は間違ってます)

澤田知子のものが1点。
(「ID400」(1998))

いずれもゆっくりとした鑑賞に堪える作品。
もう一度見たい、という感じにさせてくれる。  続きを読む

Posted by 愚華 at 16:31Comments(0)観る

2012年04月07日

鞍馬駅前

2012年4月5日の桜



温泉も気持ちがいい。  

Posted by 愚華 at 14:11Comments(0)観る

2011年12月06日

「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」

「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」を観にいった。
竹久夢二ということであろう、さすがに混んでいた。
もちろん、日曜日だったからもある。
しかし、押すな押すなというほどでもなく、それなりにゆったり見ることが可能。
やや予想外。良い方向への予想のはずれだ。



今回の展覧会は、版画家の川西英(1894-1965)が所蔵していた版画等を、
京都国立近代美術館が数年計画で購入していたが、その収蔵が終了したので、
それを記念して、コレクションの中心だった夢二の作品や夢二のデザインをメインとして、
一般に/社会に公開したものである、ようだ。


竹久夢二の諸作品、と、川西英のコレクション、という二つの焦点があったため、
展示のコンセプトがややねじれている感じがしなくはない。
といって面白くなかったわけではないし、「非常に変」というわけでもない。


竹久夢二の作品では、川西コレクションだけではなく、
竹久夢二伊香保記念館や個人蔵のものも展示されている。
他方それ以外では、いわゆる前衛版画家の作品も多く展示されていた。


前田藤四郎のもののいくつかは特に面白かった。


マヴォ系の作品もあった。
村山知義、高見澤路直、ワルワーラ・ブブノアのものである。
来年の晩春から初夏にかけて、村山関連の展示会もある、という記述もあった。
楽しみである。
牧の作品はコレクションには無いようだ。


複数回観たい展覧会である。

ここで愚かなアイディアを思いついたのだが、
複数回見る場合は、少しづつ入場料を下げていくという制度の導入などどうだろうか。  


Posted by 愚華 at 11:54Comments(0)観る

2011年12月02日

「赤塚不二夫マンガ大学展」

今朝の京都新聞に載っており、ネット版でも報道されているが、
京都精華大学が、
「マンガ学科に日本初の「ギャグマンガコース」を新設」するらしい。
「笑い」を中心にするとも記事には書かれている。


これで思いだしたのは、京都国際マンガミュージアムで開催されている
「赤塚不二夫マンガ大学展」。(12月25日までとか)

この前、イングランドの知り合いが来たので「赤塚不二夫マンガ大学展」へ行った。
展示の方はあまり人がおらずじっくり見ることができたが、
「赤塚不二夫」の天才性≒大馬鹿性がよくわかる展示と解説。
イングランドからの方々もある種納得。
マンガのルールや形を壊すことで笑いをとるという革命性を解説していたが、
なるほどと了解できた。

いろいろな「シェ―」の展示も面白い。
これパフォーミングアートでもあったのだ、とハタと気づく。


難しいにしろ、赤塚不二夫級マンガ家が出てほしい。  


Posted by 愚華 at 10:15Comments(0)観る

2011年09月01日

「zipangu / ジパング展」

昨日、たまたま大阪へ行った。

時間が空いたので、大阪ステーションシティへ行ってみた。
京都の新ステーションが開業した時ほどの衝撃力はない。
京都の場合、「景観」への「冒涜」というパワーがあったことと、
空間的遊びがあることによるのでは。
京都駅ビルの場合、「門」というコンセプトがあることも効いている。


暑かったので、大阪高島屋で開かれている、「zipangu / ジパング展」へいった。

全体的に面白いものが多かった。



(「zipangu / ジパング展 公式blog」のイメージを基礎に二次創作)


特に私的にポイントが高かったのは…

会田誠の「大山椒魚」(2003)
池田学の「ブッダ」(2000)
風間サチコの「大日本防空戦士・2670」(2009)
熊澤未来子の「侵食」(2009)
指江昌克の「Moon」(2009)
龍門藍の「Mélange」(2010)


「大山椒魚」と「侵食」には、非実在青少年/「少女」が浮遊している。
「Moon」は「侵食」とともに、ポストフクシマを予示しながら、先進日本を表象する。
「ブッダ」は「Moon」とともに、微細な宇宙と素時空を構成する。
「大日本防空戦士・2670」は「ブッダ」とともに、巨神兵/大魔神希求をリスクする。
「Mélange」は「大日本防空戦士・2670」とともに、カルチャー変態に着目した。
サンショウウオと京都タワーは、ペニスの象徴だろう。
そのサンショウウオが隠れるはずの「少女」の間は閉ざされたままだった。

そんな愚想を妄想可能だ。


ただ、これは美術として何なのか、ということ。そこが…
職人的な表現技術の面白さと奇相・奇想はわかるが…。  


Posted by 愚華 at 15:44Comments(0)観る

2011年02月11日

「あぁ!美しきモダーンズ」展

「あぁ!美しきモダーンズ ―東西新世代女性たちの装い―」展を観た。


(↑神戸ファッション美術館HPより引用(+コラージュ化))

面白いけどもう一歩かなあ。

「本展では、大正期から昭和初期(1910-40年代)における日本の和服と洋服、服飾小物や化粧品と併せて、そのモダンな時代を活き活きと今に伝えるポスターや雑誌などの印刷物を展示します。さらに世界にも目を向け、同じ時代に華開いた上海、ニューヨーク、パリを中心としたヨーロッパのモードも紹介する画期的な試みです。」
という解説。

それにしては展示品の数が少ない。
たしかにチャイナドレスは、ある程度数もあり、まとまってみることが出来る。
まあ、研究が進んでないのかもしれないが、そのチャイナドレスはどう展開しているの、
というところが見えない。
日本・ニューヨーク・パリの洋装は、これも数が少ない。なんか場当たり的。
シャネルの「デイ・スーツ」の本物らしきものがかろうじて良いかなあ、という感じ。
アメリカ物は、歴史的な面や映画との関連をもっとやらないと立体的に見えてこない。

和服も、これは研究がないというのが大ネックだが、比較し解説しモダンを際立たせる、ということをしないとわからないよね。
図録がないのは仕方ないとして、展示品についてのリストは必要と思うけどなかった。
(あるいはもらえなかった。)

1920年代末から30年代にかけての日本の雑誌などの提示も悪くないけど、
『女性』なんかは、プラトン社の説明とかがもう少し詳しくないとダメなのでは。
「画期的」と自ら言うほど、しっかりと構成しているようには見えなかった。
いろいろ借り出しなど頑張っているようにも見えるので、残念。  

Posted by 愚華 at 14:31Comments(0)観る

2011年02月08日

手の中の世相/マッチラベルコレクション展

京都工芸繊維大学・美術工芸資料館で、手の中の世相/マッチラベルコレクション展が開催されている。

今月の24日まで。



モダン期のものが多いということを聞いて観に行って来た。


こじんまりとした展覧会であるが、展示されているマッチラベルは面白い。

同じ意匠が、全く別の街のカフェ間で共用されているといった状況が実に興味深い。
微妙にイラストが異なるので、同じ職人によるデザインではなく、
誰かが、別のマッチラベルを見て、コピーしているのだろうと思う。
その意匠は人気があるのか、それとも真似やすいのか、そのあたりを考えると面白そう。

宝塚少女歌劇の、広告マッチラベルがあったのも興味を引く。
もちろん映画のものもあり、今でいえば、ポケットティッシュによる宣伝広告と対応しているのかもしれない。
ただ、宝塚や映画を宣伝するポケットティッシュってないよね、現在。

京都関連がやや少ないのが残念。
大丸百貨店の、新装開店ものや、「スタンド」のマッチラベルを見ることが出来る。


何より残念なのは、解説の不足。
たとえば「スタンド」については、いまも店があるから、その写真を並べるとか、
お店の人のインタビューをとるとか、欲しかった。
学生だけでは難しいのか。あるいは教員のアイディア不足?


京都新聞で紹介されたためだろう、年輩男性の見学者が目立った。  

Posted by 愚華 at 12:30Comments(0)観る

2011年02月02日

能面の告白

題は三島のパロディか、パクリか。やや笑う。

今回は、美術品は、能面。
贋作というか、旧来のものを真似て作るコピー新作。
面のコピーは「写し」というようだ。思想的には贋作ではないわな。


(↑NHK、ドラマ10、フェイクHPより引用。)

全体を通して、筋や犯人は見えたし、動機も伏線の張り方からわかったが、
それなりに楽しめた。
殺された「能楽・岩瀬流のシテ・岩瀬健吾」が、じつは隅田川を演じておらず、
人がとり変わっており、すでに死んでいる健吾の代わりに犯人が演じる、というトリック。
このトリック、簡単に観客には見破られるだろうと思いつつ
(能をよく見ていればシテの違いも認知できるだろう)
とはいえ、楽しむことが出来た。

あまりいろいろなところにロケをせず、警察内(スタジオ撮影)と、
能楽堂が中心。
白石亜子が、キャリアによって捜査からはずされて着ぐるみを着て、
交通安全教室をやるのはなかなか。
外で着ぐるみの頭をとって欲しかったけどね。

二人殺されたっていうのは、このシリーズ最多か?
二人目の後見の殺害だが、真犯人に殺されるわけであるけど、
どうして後見は面打ちの真犯人に協力したのか、
そこがいまいち不明確。

今回は贋作は無し…?


「K」はまたもや登場しない。


次回は最終回で「K」が活躍するのだろう。
初めのオークション場面は、『祇園の姉妹』の冒頭と比べて見たいものだ。  

Posted by 愚華 at 11:00Comments(0)観る

2011年01月26日

尾形乾山誘拐事件

テレビをつけるのがやや遅れて、スタートを少し(数秒か?)見逃した。残念。
(2011年1月25日放映。アジアカップ日韓戦とやや重なる。)

展開としては面白い。
特に、浦沢右(財前直見)と白石亜子(南野陽子)、および、今回の物語の中心人物の一人呉服店の女主人(床嶋佳子)を、白い封筒入り手紙で京都中を往ったり来たりさせるところが興味深い。封筒に入っている「謎」を解いて、美しきものと関係する場(寺院など)へ駆けつける趣向は気にいった。ありがちかもしれないが、愚かにもこういうものには乗せられる。

フェイクは、尾形乾山の水差し。フェイクの作り手はどうも「K」とは関係ないようだ。

人(男子学生、呉服屋の娘への協力者)も死ぬが、アクシデントっぽい。

尾形乾山ものを隠すのは、呉服屋の娘(大学生)(柳生みゆ)。その水差しを隠して(誘拐して)事件とすることで、殺人犯として追われ行方をくらましている(この事を娘は知らない)父親(小木茂光)を、何とか呼び戻そうとする企て。その協力者の一人、カフェのマスターでカメラマンでもあった中年男性が、乾山の水差しに執着していて、アクシデントを起してしまい、しまいには、娘をも殺害しようとする。いつもながら、もう少し時間があればじっくり見せられるのに、というところ。


5枚1組の乾山の鉋目皿の1枚がないというのも物語に関係する。行方不明の1枚は、松の絵の皿とされる。4枚は呉服屋にある。最後にその1枚を、浦沢曜子(浦沢骨董店2代目店主で右の母)(藤村志保)がみつける。このあたり、美談になっているが、背後には京都骨董界の黒々とした悪意と欲望を深読みできる。


父親(小木茂光)と右が、タクシーでカメラマンのところへ行こうとする時、二条城が見える。堀川通から左折、竹屋町を行くシーンの外の風景も風情があった。

それにしても死んだ男子学生は何だったのだろう。協力を頼んだ娘もそんなにショックでもなさそうだし。


ドラマの初めに登場する京都河原町大学の近世日本美術ゼミ風景もやや面白い。


ところで「K」はどうしてはるのか…。  

Posted by 愚華 at 09:49Comments(0)観る

2011年01月19日

釈迦如来像の謎

「フェイク 京都美術事件絵巻」の第3回の放送が昨日の晩あった。

今回は、ワインをいただきながら鑑賞。
ストーリー的には、しっかりしていると思う。
そう思ったのはアルコールのせいではない…はず。

ただ、「取り換えっ子」的な組み立てが、アドホックなのは仕方がないか。

もうひとつ、仏像内部の血に気付かないかなあ。
犯人は、ふき取るのでは。あとの犯行の再現的ところでも、その余裕はありそうに見える。
ふき取った跡がある、的にした方がリアルだったと思うけど。


今回は贋作はでてきていない、らしい。
(見落としたかもしれない。見落としならご指摘を)
とすると「フェイク」というのはどこなのだろうか。
平安期に起源するらしい釈迦如来像が、江戸期に模刻された、
というところが「フェイク」なのか。


また、今回は「K」の影が全く見えない感じがした。
ただ、殺人犯である黒岩家の「嫁」(?)や「取り換えっ子」されたその「娘」、
そして、これまた殺人を犯した「娘」の実の「母」が、かつてパリにいた、
そこに「K」とのつながりがあるのかもしれない。
いわゆる伏線かな。


要望としては、贋作は毎回だして欲しいものだ。  

Posted by 愚華 at 12:47Comments(0)観る

2011年01月12日

信長の油滴天目茶碗

「フェイク 京都美術事件絵巻」を今回も見た。(2011年1月11日放送、NHKドラマ)
第1回はあまりにお粗末な流れであったのだが、今回はそれなりに。

大きな問題点が一つ。
不動産会社社長を殺した犯人の動機。

お寺の跡取り息子が犯人だが、
どうして殺すまでに至るのか、その動機が分からない。
再開発から寺を守るため?葛藤の描写とか告白とかは欲しいよね。
京都だったら寺院が団結すれば、不動産会社なんてイチコロという感じだけどね。
(そういえば「古都税」)

被害者の茶の師匠・宮部小百合の方の殺意の方がずっと理解しやすい。
宮部(宮部みゆきからの引用か)も殺そうとしているし、
自覚的には自分が犯人と思っているようだが、
「良い人」なので、シナリオ上犯人とできなかったのだろう。
あるいは「意外な犯人」という設定のためか。

あと、かなりの知識も経験もあるはずの宮部が、
「油滴天目茶碗」などを近代のものと見抜けないのもなぜ、というように思う。

いろいろあるが、問題の根本原因は、時間の制約。
短すぎるからだろう。
2回連続ものにしてどうなのか、「つづく」として。


ではあるが、
淡路恵子は好演だった。すごくいい。所作といい、話しぶりといい、着物といい。
観るだけの価値がある。

物語に京都空襲を入れたのはなかなかのアイディアであった。
まさかあれもフィクションと思う視聴者はいないだろう。
学徒出陣的ものと、「油滴天目茶碗」由来の謎かけは、戦時であればあり得そうだ。


今回は贋作は「北斎の肉筆」。
ドラマの中心的存在ではない。
殺された被害者の所有美術品のなかの一つだった。
そのあたりの配置は興味深い。
ドラマの最後でこの贋作は「浦沢骨董店」が引き取ったようだ。
今後「K」との対決でこれが何かキーになるのかもしれない。
また、関連で、浦沢右がフランスでなぜ地位を失ったかも語られ
おもしろかった。


今後どういう贋作が登場するのか。
伊藤若冲、
葛飾北斎、
と来たから、
俵谷宗達、
尾形光琳、
酒井抱一、
円山応挙、
あたりか。

近代日本画が出て来ると嬉しいがどうだろう。  続きを読む

Posted by 愚華 at 14:18Comments(2)観る

2010年11月10日

京都日本画

この日曜日までであったが、「京都日本画の誕生」展が京都市美術館で開かれていた。
これは、「京都市立芸術大学創立130周年記念展」でもある。

ある日曜日の夕刻観に行ったのだが、人はそれほど多くなかった。
そのため自分の気に入った作品をかなりじっくりと観ることができた。

甲斐庄楠音の『横櫛』(1916)と岡本神草の『口紅』(1918)が、やはり良かった。
『口紅』は、はじめて実物を観たが、蝋燭の光が、床に流れ落ちてゆくように表現され、
また、蝋燭と炎と光の輪とは、「欧風」にも見えておもしろい。
そこだけ取り出すとクリスマス的である。
着物の柄が描き込みも実にすばらしい。
『拳を打てる三人の舞妓の習作』が、未完成の習作に終わったのが惜しすぎる。
三人の舞妓の着ものがらはどう描かれ、どういう色遣いがなされようとしたのか。
どう構想されていたのか。


『口紅』


池田遙邨の『雨の大阪』(1935)ははじめて観たし、はじめてその存在を知ったが、面白い。
昨夏に京都近代美術館で企画した、「京都学 ― 前衛都市・モダニズムの京都展 1895-1930」で展示された
不動立山の『夕立ち』(1930)と並べて比べながら見たい作品であった。
1930年の雨の京都と1935年の雨の大阪の対比。何か見えてきそうな気がした。  

Posted by 愚華 at 16:55Comments(0)観る

2010年10月18日

「日本画」の前衛

「「日本画」の前衛」展は昨日が最終日だった。



京都国立近代美術館で開催されていた。
どのくらいの人が見たのか、不明だが、あまり集客してはいないのではないか。
先日の「高島屋百華展」に比べると、ずっと楽に観ることができた。
スカスカである。
「日本画」作家の貧困と、「日本画」鑑賞の貧困が、スカスカさに
あらわれており興味深い。

展覧会のコンセプトは意欲的。重要。面白い。
前衛美術運動としての「日本画」手法・技法の展開がテーマ。
時代的には、1938年ごろから49年ころまでのおよそ10年間。
対米戦争と敗戦をはさんでいる。

山崎良文の「ヂークフリート線」(1939)はある種の驚きだった。
日本画手法・日本画素材・抽象性の高い構図構成・社会的コンセプトの合体である。

靉光の「眼のある風景」(1938)もあった。
靉光は、油絵手法の画家だが、「日本画」の前衛作家たちと交流があったらしく、
出品されたものだ。
以前、上野の美術館でこの作品を見たが、その時の印象ではもっと大きい作品だった。
今回、意外に小さかったのに、記憶のねつ造を発見した。

丸木位里の出発点もここにあったのか、と確認できた。

東京国立近代美術館へも巡回するようだ。  

Posted by 愚華 at 13:01Comments(0)観る

2010年10月07日

高島屋百華展

京都市美術館で開催されている「高島屋百華展」を見た。



第一の目当ては、チケットにも用いられている、「アレ夕立に」である。
作者は、もちろん竹内栖鳳。
意外にあっさりとした描き方であった。

「図録」によると1909年の作。文展に出品されている。
「栖鳳がかねてから望んでいた、人物モデルを使って写生を行い本画を仕上げる、という試みがはじめて具現したもの」
と解説されている。
「図録」にはスケッチや写真も載っていて大変興味深い。

また、吉中充代が「図録」のために書いた「総論」
「近代日本の百貨店と美術 ― 高島屋史料館コレクションをみる」
も面白い。
そこで、吉中がふれている
「アレ夕立に」と「絵になる最初」の関係の意味もなるほどという感じ。
「アレ夕立に」では、衣装の柄に対するおもきは大きくなかったのに対して、
「絵になる最初」では、下絵段階からのちに「栖鳳絣」とされる柄が入っていたという。
高島屋の販売戦略とある種の関係があると、読み取れるわけだ。
なるほど、なるほど。



かなり見ごたえのある展覧会だ。
ただ、あまり若い人がいないのは残念。  

Posted by 愚華 at 15:37Comments(0)観る

2010年01月28日

建築家 本野精吾展 ―モダンデザインの先駆者―

京都工芸繊維大学内の、美術工芸資料館で開かれている「建築家 本野精吾展 ―モダンデザインの先駆者―」を観た。
なかなかいい展覧会だ。
例によって人はほとんどいない。
工繊大の学生には人気がないのかもしれないが、もしそうだとすると悲しいことである。

不勉強のため、今回はじめて知ったのは、本野が、客船の室内・船体デザインを手がけていたということ。
実物を見てみたかった。

工繊大の3号館は、元「本館」で、これも本野のデザイン。
その建築過程が、小形映画に収められていたらしく、DVDの映像としてみることができる。
鉄筋コンクリート製なのに、人海戦術での建設だった。
建設が1928年から30年までかかっているが、この大きさだとそうだろう。
京都にある近代ビルヂングもこうした工程で立てられたのだろうか、ということを思う。

3月11日まで開催されているようで、200円だし、もう一度行っても良さそう。

大学院生が作った模型もいい。


この図録も充実している。

  

Posted by 愚華 at 16:42Comments(0)観る

2009年12月24日

昭和初期の京都を写真で体験

千本今出川の西北に、梅寿堂茶舗というお茶屋さんがある。
お茶の販売のお茶屋さんだが。
創業は文久2年とある。1862年だ。
京都はちょうど、攘夷で行くか、などをめぐって、混乱の最中。
それから150年近く続く老舗のようだ。


この老舗のHPの「Photo Gallery 懐かしい写真集」が大変いいものだ。

「Part1」に掲載されている、「「ミヨシ堂」時計店」の写真は見事。

今は、今出川の拡張で撤去されてしまった部分に
(現在の今出川千本の西北側)
「ユニオンビール」「おでん」「小鉢物」と看板を掲げた「スピード」の写真も興味深い。
この「スピード」飲み屋なのか、それともカフェなのか。

おそらく、四条大橋東詰め北の菊水から撮ったと思われる、矢尾政ビルを写したものも好い。
矢尾政は現在の東華菜館。

四条寺町の交差点をかなり上から撮った写真もすごい。
アングルも面白いし、交差点を行く人々の姿が、何とも生き生きしている。
戦前と思われるが、暗さがない。


アドレスは以下の通り。

http://www.baijudo.com/

必見である。  

Posted by 愚華 at 11:27Comments(0)観る

2009年11月02日

堂本印象美術館

これほど長く京都にいながら、この美術館、入ったことがなかった。
なんというか、その概観のデコレショーン過剰さが、ちょっと、といった感じだったのだと思う。

先日、興味を引く展覧会があったので始めて入った。
面白い。

立命館の向かいであるが、学生は来ていない。
若い学生には、歴史が分からないだろうし、
教育する側も、近代文学の専門家が、門の主人公宗助を「三高生だった」とするくらいだから、
まあ、解説力はないと見ておいてよい。
ただ、そのために、閑散としているので、ゆっくり見学できる。

これが門の扉



なんかウィーン世紀末的。
残念ながら解説はない。
府の美術館で、指定管理が立命大だから仕方在るまい。

門の扉と外観。



メキシコっぽくもあったりする。
金閣寺にいくよりもここでゆったり過ごす方がいいのでは、と思ったりする。

ただ、京都の観光施設にありがちな、デザイン的センスのなさもあり、そこが残念。

内外の装飾をたんのうするのは素適だ、と思っているが。  

Posted by 愚華 at 16:25Comments(0)観る

2009年07月21日

「モダニズムの京都展 1895-1930」

国立京都近代美術館で開催された。

昨日で終わったが、結局、二回見た。

第二弾も期待したい。

  

Posted by 愚華 at 12:31Comments(0)観る