京つう

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2009年02月26日

初京

堀内清著「竹久夢二とミスデントン」という論文を見つけた。

それによれば、

「明治四十三年(1910年)の春、彼は私の招きに応じて初めて京都を訪ね、私の上出水の家にしばらく滞在したが、古都の風物は彼の心に何物かを強く印象付けたのであった。」

という。

ここでは「彼」が竹久夢二、「私」が堀内清である。


タグ :竹久夢二

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Posted by 愚華 at 17:10│Comments(1)温故
この記事へのコメント
1910春、吉井勇は祇園に向かっていたが、夢二の場合、堀内の論文を参考にすると、キリスト教や欧米に向かっていた感じがする。

もしそうだとすると、その対照が面白い。
Posted by 愚華愚華 at 2009年02月26日 17:15
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