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2008年11月16日

こんなに売れていたのか ――「二十歳の原点」

高野悦子の日記が『二十歳の原点』として出版されたのは、1971年5月のことだった。
著者が鉄道で自死したのはその2年前、1969年6月24日。

出版から5年後の1976年3月、『平凡パンチ』に「ベストセラー<20歳の原点>の秘密」という記事が載った。
それを読むと驚くことに、この時点で、『二十歳の原点』は、150万部出ているという。
1974年6月出版の『二十歳の原点序章』は、35万部。
1976年1月出版の『二十歳の原点ノート』は、8万部である。
合計193万部だ。これはほんとうにすごい。
読者層は、おそらく若い人々。
1970年代の若者文化は、このテキスト抜きでは考えられない、というところではないだろうか。

全て文庫化された。
『原点』の文庫化は、1979年5月。
『序章』の文庫化は、1979年12月。
『ノート』の文庫化は、1980年4月、である。
1980年5月には、お隣の韓国で光州事件が起きており、まだ民主化されていない。
この年は校内暴力や家庭内暴力が問題化した年でもある。
出版から、文庫化の完了までを一つの時代と見ることも可能だ。

不思議な感じがある。
何がこのテキストを読むように働いていたのか。


話は飛ぶ。
大塚英志の『「オタク」の精神史』はかなりいい本と思うが、おそらく高野悦子については書かれていないと思う。
彼本人は高野悦子を読んだのだろうか。
『「彼女たち」の連合赤軍』には出てくるのかもしれないが。
『「オタク」の精神史』に付属する年表では、1980年の文学作品として二つ取り上げられている。
村上春樹「1973年のピンボール」と村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』だ。
これは二つとも、『二十歳の原点』とつながりを持つようにも思う。
同じくこの年表のサブカルチャーで取り上げられているのは、
吾妻ひでお「スクラップ学園」、大友克洋「童夢」、鳥山明「Dr.スランプ」、高橋留美子「うる星やつら」だ。
吾妻ひでおのみ、おそらく未見。
他の三マンガ作品は、『二十歳の原点』とのつながりは、あまり感じられない。
ここに、何かの連続と断続の手がかりがある気も、しないわけではない。


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Posted by 愚華 at 18:01│Comments(2)読む
この記事へのコメント
漫画といえば、山本おさむの初期の傑作『ぼくたちの疾走』の中に『二十歳の原点』が出てきますね。
『ぼくたちの・・』は当初、どちらかと言えばお気楽な青春マンガだったのですが、『二十歳・・』が出てきてからは青春の暗さ全面展開となります(私の記憶によれば、ですが・・)。

山本おさむは好きな漫画家で、他にも傑作が多いです。
Posted by 一日千秋のプロレタリアート at 2008年12月03日 01:23
コメント有難うございます。

『ぼくたちの疾走』は読んだように思うのですが、内容も含めて記憶があいまいです。

ご指摘有難うございます。
時間を見つけて再読(?)して、できれば探して見ます。
Posted by 愚華愚華 at 2008年12月04日 12:31
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