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2008年11月11日

どうして蕎麦に変身したのか

寺町から東、加茂川より西、丸太町から北、蕎麦屋が思いつかない。
ということで、「蕎麦 権兵衛 北山店」へ行ってみた。

さて歴史から。
1975年に出版された『京都味覚地図』(創元社)には、
権兵衛の本店(祗園店)が載っている。(68-69)
写真では、暖簾に「ぎをん 権兵衛」とある。

「先代がはじめて店を出したのが四条小橋で今から十六年前」

ということは、1959年、高度経済成長に入ったころ。現天皇が皇太子当時で、結婚パレードをやった時だ。

面白いことに『京都味覚地図』では「うどん」屋さん、とされている。

「京都というところは「そばや」でなく「おうどんやさん」である。そばよりうどんの方がおなじみだし、うまいし、食べる人も断然多い。そのおうどんやさんでいちばんおいしいと評判の一軒が、祗園の権兵衛である。」

それがどうして「蕎麦 権兵衛 祗園店」になったのだろう。
その歴史が知りたいものだ。

「下鴨南芝町の北山店は息子さんの経営」とあった。

この本の「京の郊外の味」のセクションでも紹介されている。

「北山通 イカス店が多くなった。中でも、祗園・権兵衛(うどん)の下鴨店が住宅をひかえて、家庭の幅広い層に人気がある。下鴨本通から少し西へ行ったところに鉄筋三階建てで営業しているが、京風のあっさりした出し汁の味は格別。ざるそばのようにして食べる釜揚げうどんがおすすめ品だ。」(162)

北山店、今は4階建てのビル。
やはり「蕎麦」を看板にしているように思う。

蕎麦自体は普通。
二階から北山通を眺めながらいただけるのはなかなかよいかも。
蕎麦とそぐわない内装もまた楽しめる。


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Posted by 愚華 at 13:29│Comments(0)蕎麦
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