2008年06月16日
土下座前
携帯電話が普及する前、待合せには緊張感があった。
二人で待ち合わせるという一番簡単な場合…。
こちらが、時間を守れるか、相手が時間通り来るか、これが大問題。
次は、地点を間違えてないか、これも大きい。
たとえば、かつて、京都阪急デパートに銀行が二つ付属していたとき、
阪急デパートの銀行前で待ち合わせることになった。
が、それぞれ、銀行は一つしかないと思っていて、
しかも、その銀行が別々だった。
こういうのは困る。どっちも自分は間違っているわけがない、
と強力に思い込んでいるわけだから。
で、「土下座前」、である。
三条京阪の北側に高山彦九郎の銅像がある。
三条大橋東詰から川端通を渡ったところ。
この銅像近くで待ち合わせる場合、「「土下座前」で」、という。
渋谷の忠犬ハチ公像の前だと「ハチ公前」、
同じくモアイ像前なら「モアイ前」だが、
高山彦九郎像前は「土下座前」。
江戸中期の勤皇思想家の像を正座して手をついているからといって「土下座前」はないだろう、
とは思うが、インパクトは大きく、一回聞くと忘れられない。
そう、「土下座前」、である。
いつごろ言われだしたかはわからないが、90年代かなと推定している。
が、もしかするともっと以前からかもしれない。
学生用語だったのでは、と思っているが、
京都ローカルのものだった可能性も。
いまでも通用するのだろうか?
通用するとして、どういうそうの人々の間で通用するのか?
面白い課題。
二人で待ち合わせるという一番簡単な場合…。
こちらが、時間を守れるか、相手が時間通り来るか、これが大問題。
次は、地点を間違えてないか、これも大きい。
たとえば、かつて、京都阪急デパートに銀行が二つ付属していたとき、
阪急デパートの銀行前で待ち合わせることになった。
が、それぞれ、銀行は一つしかないと思っていて、
しかも、その銀行が別々だった。
こういうのは困る。どっちも自分は間違っているわけがない、
と強力に思い込んでいるわけだから。
で、「土下座前」、である。
三条京阪の北側に高山彦九郎の銅像がある。
三条大橋東詰から川端通を渡ったところ。
この銅像近くで待ち合わせる場合、「「土下座前」で」、という。
渋谷の忠犬ハチ公像の前だと「ハチ公前」、
同じくモアイ像前なら「モアイ前」だが、
高山彦九郎像前は「土下座前」。
江戸中期の勤皇思想家の像を正座して手をついているからといって「土下座前」はないだろう、
とは思うが、インパクトは大きく、一回聞くと忘れられない。
そう、「土下座前」、である。
いつごろ言われだしたかはわからないが、90年代かなと推定している。
が、もしかするともっと以前からかもしれない。
学生用語だったのでは、と思っているが、
京都ローカルのものだった可能性も。
いまでも通用するのだろうか?
通用するとして、どういうそうの人々の間で通用するのか?
面白い課題。
Posted by 愚華 at 19:07│Comments(0)
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