2009年05月28日
裏寺、静
『朝日新聞』のたぶん京都版、「週刊まちぶら」という記事がある。
2009年4月12日は「裏寺町かいわい」であった。
大きな写真に、居酒屋「静」の御主人が出ている。
初めてお名前が判明。加藤石根氏。
「静」の落書き群は、確かにすごい。
最近ご無沙汰しているなあ、ということにも気づいた。
この記事、いろいろ情報があり、興味深い。担当の佐藤達弥記者に感謝。
①静のある通の名前、これも知らなかった。
「柳小路」だそうだ。
1970年代には、あの細い通に25軒の飲食店が並んでいたという。
78年12月号の『アサヒグラフ』には、記事があるという情報も有益。
静は大正期からやっているともいう。
今度、御主人にお話を聴かなければ…。
②三吉の記事でも面白いところがあった。
半世紀前は、裏寺街には約50軒の飲食店があったとか。
現在は三吉を入れて3軒か…。
③宝蔵寺に、伊藤若冲の父母や弟の墓があるというのも面白い。
今度見てみたい。(お参り、というのが、正式かな)
④ダンスシューズ専門店の萩原靴店の記事も興味を引く。
戦後、店の向かいに進駐軍のダンスホールができたのをきっかけに、ダンスシューズ専門店になったという。
このダンスホール、どこなのか。
現在のミーナ京都ができる前のビル(名前を失念)は、かつて進駐軍のダンスホールだったという。
それとも西にあったのか。
裏寺町のもともとは秀吉による整備にあるらしい。
なるほど。
ただ、欠落もある。
裏寺町のダークサイドは出ていない。
かつて私娼街だったこともある。
まあ新聞記事は、良い子も見るし、今住んでいる人達にも配慮しないといけない、ということだろう。
良識ジャーナリズムとしては仕方あるまい。
2009年4月12日は「裏寺町かいわい」であった。
大きな写真に、居酒屋「静」の御主人が出ている。
初めてお名前が判明。加藤石根氏。
「静」の落書き群は、確かにすごい。
最近ご無沙汰しているなあ、ということにも気づいた。
この記事、いろいろ情報があり、興味深い。担当の佐藤達弥記者に感謝。
①静のある通の名前、これも知らなかった。
「柳小路」だそうだ。
1970年代には、あの細い通に25軒の飲食店が並んでいたという。
78年12月号の『アサヒグラフ』には、記事があるという情報も有益。
静は大正期からやっているともいう。
今度、御主人にお話を聴かなければ…。
②三吉の記事でも面白いところがあった。
半世紀前は、裏寺街には約50軒の飲食店があったとか。
現在は三吉を入れて3軒か…。
③宝蔵寺に、伊藤若冲の父母や弟の墓があるというのも面白い。
今度見てみたい。(お参り、というのが、正式かな)
④ダンスシューズ専門店の萩原靴店の記事も興味を引く。
戦後、店の向かいに進駐軍のダンスホールができたのをきっかけに、ダンスシューズ専門店になったという。
このダンスホール、どこなのか。
現在のミーナ京都ができる前のビル(名前を失念)は、かつて進駐軍のダンスホールだったという。
それとも西にあったのか。
裏寺町のもともとは秀吉による整備にあるらしい。
なるほど。
ただ、欠落もある。
裏寺町のダークサイドは出ていない。
かつて私娼街だったこともある。
まあ新聞記事は、良い子も見るし、今住んでいる人達にも配慮しないといけない、ということだろう。
良識ジャーナリズムとしては仕方あるまい。
Posted by 愚華 at 12:02│Comments(0)
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