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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年06月27日

「京都学 ― 前衛都市」展

京都近代美術館で開かれている「京都学 ― 前衛都市・モダニズムの京都展 1895-1930」は、なかなか野心的で、面白い展覧会である。いわゆる有名な作品はそれほどないが、構成はかなりのものであり、企画者の力量を感じさせる。

混んでいるのではと思って、早い時間に観に行ったが、ゆったりと観ることが出来た。ゆったり観ることが出来たのは、大変喜ばしいことであるが、こんないい展覧会にこの程度の人出???というので驚いた。おそらくあまり一般の興味を引いていないのだろう。

会場で、「この展示の中心の「第四回内国博覧会」の会場はどこだったのか」、と聞いているおじさんに出会いややびっくり。岡崎公園って書いてあったでしょうが、どうしたの、という感じ。まあ、これも、この展覧会の人気のなさを示しているのかもしれない。

とはいえ、実に興味深い。
しかし、もう少し解説がいる。
近代の京都に興味があって少し勉強とかしていると、なるほどそうか、というところがいっぱいあるが、一見さんにはやや分かりづらいかもしれない。ビデオコーナーなどを設けて、映像入りで解説が欲しい。だいたい、各コーナー3分ほどのものでいいと思うが。まあ、今からじゃあどうしようもないが。

あと、もう少し、ポピュラーな、少し、一般大衆受けするやり方もあったほうが良かった。
そのためには、たとえば浅井忠であるが、夏目漱石との関連を少し解説するとかしてはどうだったのか。
また、映画のところをもっと充実させるべきだったと思う。ここも常設の映像コーナーが欲しかった。

とはいえ、これは非常に良質な展示である。人も少なそうだし、一見の価値はある。  
タグ :夏目漱石


Posted by 愚華 at 18:48Comments(0)観る

2009年03月26日

歴史的建築物前桜

昨日の写真である。
ただ今日も寒いので、開花はすすんでいないだろう。

いっぱい桜がある、というのもいいが、ぽつんとあるのも捨てがたい。

  

Posted by 愚華 at 17:37Comments(0)観る

2009年03月23日

夏 1891

19世紀の末にスコットランドを中心に現れたアーティスト集団グラスゴー・ボーイズ。
その一人に、エドワード・A・ホーネル(1864-1933)がいる。

ホーネルに関しては、Bill Smith が1997年に、
Hornel. The Life & Work of Edward Atkinson Hornel.
というしっかりした研究・解説書を出している。
友人が持っているものを最近借りることが出来た。
表紙はホーネルの代表作の一つ「夏」(Summer)だ。



スミスの本によれば、この「夏」は、ホーネルに大きな注目が集まるきっかけとなった作品らしい。
製作は1891年。
1892年、リバプールで展示されたときには、センセーションを巻き起こしたという。

いま見ても(写真でだが)、色合いが特徴的。(上の写真ではいまいちよく見えないが…)
二人の少女が、森の色にうずまりつつ、動き出してもいる。
そこが面白い。

ふたたびスミスによれば、この絵には、日本的ものの影響があるという。
特に日本の版画の影響らしい。
右の少女のポーズと、その少女が着ている服にそれが顕著だ、そうだ。
ポーズのほうは、すぐにはわからないが、服はそのとおり、と思う。  

Posted by 愚華 at 12:42Comments(0)観る

2009年03月20日

グラスゴー・ボーイズ

グラスゴー・ボーイズといっても、日本ではほとんど知られていない。
1890年(明治23年)にロンドンのGrosvenorギャラリーで、当時の新しいスコットランドの芸術家(画家)の展覧会がおこなわれたが、それ以来、特にブリテンで注目されるようになったアーティスト集団である。強い学派的集団ではないといわれている。むしろ、友情関係で結び付けられた、ゆるいまとまり、といったほうが良さそうらしい。

グラスゴー・ボーイズの中で次の二人にいま興味をもっている。
エドワード・アトキンソン・ホーネル(1864-1933)、ジョージ・ヘンリー(1858-1943)。

なぜこの二人に、いま興味が向いているか。
二人は、1890年代に日本に来て(1893-94)、芸者などを素材としているのである。
舞妓が、表象化してゆく以前に。
ここが面白い。

疑問点は、京都に来ているのか、ということ。これが一つ。
もう一つは、二人の日本を描いた作品は、どこがモデルなのかということ。
東京である可能性が高いのだが…。  

Posted by 愚華 at 18:05Comments(0)観る

2009年02月15日

なつかしい名画で衰亡を知る

NHK衛星第二で『ゴッドファーザー』をやっていたので観てしまった。
数十年ぶりではないかと思う。
面白い。

ただ、ビックリしたのは、勘違いがあったこと。

それは、ドン・コルレオーネが狙撃さるシーン。
ドンが車から降りて果物屋・八百屋にいくシーン。
対立するマフィアの殺し屋がそこで狙い撃つ。

おや、これ『仁義なき戦い』の、あのシーンをパクったんじゃないか、と思ってしまった。
山守組若頭が、子供のおもちゃを買いに行くとき、対立する組のヒットマンに撃たれるシーンだ。
(これ自体つくられた記憶だったりしたらこわい。)
そこからの引用か、と思ったが、逆。

何しろ、『ゴッドファーザー』は、1972年3月15日アメリカ公開、同年7月15日日本公開なのに『仁義なき戦い』は、1973年1月13日公開。

イカン。遺憾。  

Posted by 愚華 at 19:25Comments(3)観る

2009年02月08日

京都空撮写真

週刊誌もたまにはいいものである。

たまたま、コンビニで『週刊文春』の2月12日号(2009年)を買ったところ、
「昭和が蘇る 昭和空撮 京都・大阪編」というグラビアがあった。
1954年の空撮で、京都は、五条大橋、京都駅、清水坂がでていた。

大変面白い。

五条大橋では、まだ、細い「大橋」しかなく、京阪五条の東側に広場らしきものが見える。
おそらく京阪五条駅を下りると、そこがいわゆる駅前になっていたのではないかと想像される。
前に取り上げた、谷崎の小説「恐怖」にでてくる五条駅も、もしかすると基本構造は、同じだったかもしれない。
つまり、東側に広場的なものがあり、駅における賑わいはそちらにあった、ということ。
とすると、谷崎の小説の情景も、再考してみる必要性がある。

清水坂は、屋根の並びが綺麗だ。
現在の空撮に比べると、幾何学的美しさが際立つ。

京都駅は微妙。
いまの京都駅は、景観問題では不評だが、構造的には面白い。
3代目の京都駅は、比べると貧弱。
既存の中に新しさを入れ込むにはどうするか、考えてしまう。  
タグ :谷崎潤一郎


Posted by 愚華 at 17:09Comments(0)観る

2009年02月03日

「月」と「電車」を体験できる

京都芸術センターで、昨日から公募展示が始まった。

公募のプランを選んだ審査員は、今回は、演出家の平田オリザ。

昨日展示開始にあわせて、「アーティスト・トーク」があり、今回北ギャラリーで「虚空に浮かぶ月」を発表した井上唯、南ギャラリーで「アウトライン~電車編」を発表したclipper(鷲尾華子+水谷晃子)の3人と平田オリザによる「語り」が作品内であり、大変面白かった。

「虚空に浮かぶ月」と「アウトライン~電車編」の両作品とも、全感覚を動員するもの。
ただし動員の仕方が対照的。それぞれ、いろいろな所とつながる経路を開く作品になっている。

  

Posted by 愚華 at 14:53Comments(0)観る

2008年12月05日

アルパカに遭う

知人が関係している食堂に昼飯を食べに行ったところアルパカにあった。

「かわいい~~」の声と写メールの嵐。

つい、愚かにも、写メールの仲間に入る。






以下のイベントとのこと。

折元立身 パフォーマンス・講演会・ワークショップ『TATSUMI ORIMOTO "Living Together is Art"』

今日と明日もあるらしい。

情報は次のサイトにあった。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/1968+40/event/tatsumiorimoto.html  

Posted by 愚華 at 14:16Comments(0)観る

2008年11月22日

怪洛の映像

リアルタイムでは見ていないのだが、最近友人に薦められて『怪奇大作戦』の一部を見た。

第23話の「呪いの壺」と第25話の「京都買います」である。
いずれも監督は実相寺昭雄。

舞台はどちらも京都。『怪奇大作戦』で京都を舞台にしているのはこの2作だけらしい。


「呪いの壺」は骨董のはなし。いかにも京都に“似合いそうな”ストーリー展開。
強欲な骨董屋が、ニセ骨董品を、京都の有産趣味人に売りつけるが、
その骨董を見ているとある種の新物質が発生し死亡するというもの。
有産趣味人は連続的に何人も変死してゆく。
これに、結婚問題や何やかやが絡み、事件は進行する。
1969年の作品ということもあり、まだ、「家」問題が背後に控えている。

放送されたのは、69年2月16日らしい。
当時の同時代状況はというと…。
1969年1月18日に機動隊が東大安田講堂の封鎖解除に出動。
1969年1月19日、封鎖解除。
1969年1月20日、東大が入試中止を確定。

その余波の中での放送。最後の寺院の消失は、こうした大学闘争とつながりを、もしかすると視聴者にイメージさせたかもしれない。

となると、強引かもしれないけど、『二十歳の原点』につながるわけだ。
高野悦子は、2月13日に京都に帰ってきている。
東大での全共闘運動の封殺以後、全共闘運動の焦点は、関西へも。立命館大学もその焦点の一つだった。
彼女は、13日からずっと16日まで広小路の大学へ行っている。
この時期が、彼女が、全共闘運動へ接近するポイント。
「呪いの壺」は見ていないようだ。
(そもそも京都で見ることができたかどうか、不明)
当時の学生はマイテレビなどないよな。
下宿生は、食堂とか、銭湯とかで見ていたのでは。


ところで、「殺人」に寄与する物質だが、「リュート物質」という。
その由来がこれまた面白い。旧日本軍が新兵器として秘密裏に開発し、敗戦のためこれまた秘密裏に埋めておいたもの。それを、骨董屋の番頭=骨董屋の娘の「恋人」=犯人=日野統三が掘り出し、有産趣味人が買うニセの高級骨董壺に塗って、「殺人」を繰り返していた。
旧日本軍の戦争「犯罪」をなぞるつくりも興味深い。
「鉄人28号」以来のテーマだ。

ストーリー以外でも、60年代末の京都の風景絵お見るという楽しみがある。


まあ、ただ、『怪奇大作戦』は、ネット上では人気のお題。
愚かな繰り返しですね、これも。

  

Posted by 愚華 at 15:00Comments(0)観る

2008年10月04日

祭りが今晩も

堀川商店街で、昨日今日と堀川まつりを開催している。

特にすごいまつりではない。
むしろ手作りで、どちらかといえばやや「わびさび」系。
で、出店も、タイの田舎の出店を思わせる。(やや飛びすぎの感想だが)
不良少年的中学生やヤンキー娘予備的中学生も集団で来ている。
というところが、実に渋くていい。



これは昨日のまつり終了時のもの。

今日は、5時頃から8時頃までとか。

オシャレな京都も伝統の京都もないが、
なつかしい匂いと光景はある。  

Posted by 愚華 at 13:55Comments(0)観る

2008年09月29日

ややさびしいので

芸術センターについて書いたけど、ビジュアルがないのはややさびしい。

ということで、フライヤーの一部をアップ。

  

Posted by 愚華 at 13:19Comments(0)観る

2008年09月28日

芸術センター

錦通室町上ルに京都芸術センターがある。

ここで今開かれている「dual points」展を見てきた。

面白い。

softpadというアートグループと、高木正勝の作品がある。
ジャンルとしてはメディアアートというそうだが、それはそれほど問題ではない。
いずれの作品も、日常に裂け目をあける力があるものだ。
softpadの場合、私がよく使うテーブルが変容する。
こんなテーブルを使うと、映像の世界に吸収されるのではないか、
という不安がよぎる。
高木正勝の作品の威力も圧倒的だ。
気持が悪いのか気持が良いか、よくわからない。
でもキモチがいいみたい。

あまり人の来ない時に、出来れば一人でひたりたい。

日常に戻れないかも知れないが、
その時はそのとき。  

Posted by 愚華 at 22:28Comments(0)観る

2008年09月21日

近代美術館

知人に誘われて、ほんとうに久しぶりに、展覧会へ行った。

いま京都国立近代美術館で開かれている、
生活と芸術——アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで
である。



アーツ&クラフツ運動は、19世紀後半にイングランドで生れた、らしい。
思想家のラスキン(1819‐1900)や、詩人・思想家・デザイナーのウイリアム・モリス(1834‐96)が、
その運動の中心にいたという。
ラファエル前派と関係が深く、ラファエル前派好きとしては、必見の展覧会だ。

土曜日の午後に行ったが、それほど込んでいなかった。
いわゆる有名どころでないからかもしれない。
ゆっくりとエドワード・バーン=ジョーンズやマッキントッシュの作品を見ることができた。
ウィーン分離派のものも少しあったが、さすがにクリムトのはない。

アーツ&クラフツからアール・ヌーヴォーへという動きも簡単にだがたどれる。
そして世紀末芸術へも。
ヨーロッパの作品がおおむね19世紀の終わりから第一次世界大戦前のものなのに、
日本の民藝は、概念としても1925年が起源ですよね。なんか飛びすぎじゃない。

この展覧会、いいのだけど、欧州の動きと日本の動きに切断があり、違和感あり。
公式HPで「本展では、民芸を日本におけるアーツ&クラフツととらえ」と表現しているところに
有名モノで構成しないと人集めができないという美術館側、
あるいは、学芸員のあざとさを読みとるのは、深読み?  

Posted by 愚華 at 15:54Comments(0)観る

2006年06月29日

NON-JANANESE

暑さがひどいので避暑ということで迷い込んだ

NON-JANANESEによる作品展だった。

多様な作品で楽しめる。

Rose Swan Meachamさんの「TAIJIN KYOFUSHO」が面白い。

鄭東振さんの「fps」もアイディアがいけた。

ゆっくり映像を鑑賞することも可能。
涼しさとアートな感覚を味わえる。

情報は以下に。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/fleur/2006/fsw/index.html  

Posted by 愚華 at 12:50Comments(0)観る

2006年06月15日

「風景のツクリカタ」展

「風景のツクリカタ~再解釈のための方途~」展に行った。

雨宿りにと思ったらアートだった。

風景と視線を異化する試み、らしい。

大阪の街を歩く映像がある。
ずっと見続けると映像の小刻みな上下に巻き込まれて、酔いそうになる。眼だけなら、こういう像を皆受け取っているのだろう。脳がそれを制御しているに違いない。脳に同化されない純粋「視線」を見ている、そういう感覚だ。
その映像は、ある日常を切り取る。そこに切り取られず、記録されなければ、永遠に再現されることのない風景。無数の過ぎ去り消え行く風景の果てに、「風景」が残ることを知る、そういう感覚でもある。

25日まで。詳細は以下に。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/fleur/2006/landscape/index.html  

Posted by 愚華 at 14:35Comments(0)観る

2006年06月05日

「Intersection points」展

「Intersection points」展を観た。

たまたま遭遇したので入った。
予備知識ゼロだったが、面白かった。

松本央の自画像が、1階の北側の壁に並んでいる。コンクリートの壁の前に並ぶ4人の松本像は面白い。同じファッションに身を包んだ、少しだけ表情の違う4人の松本。表情の違いが、観る者にある種のテンションをもたらす感じ。

2階にある瓜生昭太の小さな人物像4つも興味深かった。日常で遭遇した人をまず写真に収め、その人物をモデルとして像が造られている。京阪電鉄のホームに立つ帰宅途上のサラリーマン…など。人物像、そのモデルの写真、そして、雑然としたアトリエを思わせる展示方法、その三つが奇妙な感覚をたちあらわす。
もし、このモデルにされた人が、この会場に来たら、どう作品を見るのだろうか。そうした出来事も、作品として巻き込むという開いた形式が面白い。

瓜生の作品の一つは、松本がモデルのようだ。松本が制作室で寝ている写真と、そのミニチュアの像がある。

不思議なことに、2階の会場係員は松本だった。

松本の自画像、瓜生の松本像、そして、松本本人も展示されているのか。その3つを同時に観ることが出来たのは僥倖だ。

11日まで。情報は以下にある。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/fleur/index.html

  

Posted by 愚華 at 14:10Comments(0)観る