2008年07月27日
虚子、祗園を写生す
「風流懺法」を読んだ。
短いが味のある作品だ。なかなか面白い。
京都が舞台なのにあまり知られていないのは残念な限り。
著者は高浜虚子。
1907年(明治40年)に発表された。
主人公が、初め、叡山の横河中堂で過ごし、そこで一念という利発だが変わった小僧と会う。
それが前半。
後編は一力でのお座敷。主人公は友人の坂東と舞妓をよんで遊ぶ。
その中に、三千歳という舞妓がいる。
実は彼女と一念は惚れあっているという。
やがて一念もお座敷に現れ、やり取りや遊びが続きながらお開きになる。
小説の最後の部分はこう結ばれている。
「横河の夜は更けにくかつたが祗園の夜は更けやすい。
「ハ――イ――」
といふ子供衆の長い返辞が楼中に響きわたつて聞こえる。」
短いが味のある作品だ。なかなか面白い。
京都が舞台なのにあまり知られていないのは残念な限り。
著者は高浜虚子。
1907年(明治40年)に発表された。
主人公が、初め、叡山の横河中堂で過ごし、そこで一念という利発だが変わった小僧と会う。
それが前半。
後編は一力でのお座敷。主人公は友人の坂東と舞妓をよんで遊ぶ。
その中に、三千歳という舞妓がいる。
実は彼女と一念は惚れあっているという。
やがて一念もお座敷に現れ、やり取りや遊びが続きながらお開きになる。
小説の最後の部分はこう結ばれている。
「横河の夜は更けにくかつたが祗園の夜は更けやすい。
「ハ――イ――」
といふ子供衆の長い返辞が楼中に響きわたつて聞こえる。」
Posted by 愚華 at 17:36│Comments(0)
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