2008年06月21日
訃報
朝、京都新聞を読んでいた。
こういう朝の過ごし方も、もう無くなるだろう。
近い将来、新聞は急激に縮小し、テレビも絶滅にひんするはずだから。
それはいいのだが、新聞では訃報欄にも目を通す。
目を通しておきながら、ある有名人が死んでこの世にいないということがインプットされないこともある。
それもいい。問題は、今朝の訃報である。
宮迫千鶴の死亡記事にはやや驚愕。
上野千鶴子との対談『多型倒錯』という傑作が印象深い。
ただこの著作、本人も家族もいい評価をしていないらしく、記事では言及されていない。
晩年、神秘的エロス主義者になったから、『多型倒錯』は邪魔だったのではと推察する。
享年60才。
幼い頃の戦後すぐの状況を書いたエッセイなども記憶に残る。
1960年代70年代についての自伝的な書き物は残しているのだろうか?
あったら読んでみたいし、無いのだとしたら、大変残念だ。
かようにして、歴史化は進行する。
こういう朝の過ごし方も、もう無くなるだろう。
近い将来、新聞は急激に縮小し、テレビも絶滅にひんするはずだから。
それはいいのだが、新聞では訃報欄にも目を通す。
目を通しておきながら、ある有名人が死んでこの世にいないということがインプットされないこともある。
それもいい。問題は、今朝の訃報である。
宮迫千鶴の死亡記事にはやや驚愕。
上野千鶴子との対談『多型倒錯』という傑作が印象深い。
ただこの著作、本人も家族もいい評価をしていないらしく、記事では言及されていない。
晩年、神秘的エロス主義者になったから、『多型倒錯』は邪魔だったのではと推察する。
享年60才。
幼い頃の戦後すぐの状況を書いたエッセイなども記憶に残る。
1960年代70年代についての自伝的な書き物は残しているのだろうか?
あったら読んでみたいし、無いのだとしたら、大変残念だ。
かようにして、歴史化は進行する。
Posted by 愚華 at 09:02│Comments(0)
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