2012年05月13日
『村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する』
村山知義の展覧会が開かれている。
今日で、京都国立近代美術館での開催は最後と思う。
おそらく、それほど人は入っていないだろう。
京都や関西は、最近、アバンギャルドに対して、アンテナが立っていないから、仕方がない。
ということは幸いにもゆっくり見つことができるということだ。

新しく多くの資料や作品が発見されたのでは、との期待はやや裏切られる。
その時代との交絡についても、残念ながら展示の力は弱い。
関東大震災の社会史的文化史的大きさを実感させる装置がない。
また、
欧州における第一次世界大戦の破壊的衝撃についても実感させる仕掛けが乏しい。
したがって、
村山知義や、マヴォの意味が、うまく伝わらないように思う。
そのため、
村山知義や、マヴォの世界芸術史的意味が、前面に出ていない。
しかし、観にいく価値は十分にある。

これは、ダンスする村山のマンガと思われる。
どこからの引用か把握していない。
なんか、おそまつ君のイヤミのようでもあり、味わい深い。
今日で、京都国立近代美術館での開催は最後と思う。
おそらく、それほど人は入っていないだろう。
京都や関西は、最近、アバンギャルドに対して、アンテナが立っていないから、仕方がない。
ということは幸いにもゆっくり見つことができるということだ。
新しく多くの資料や作品が発見されたのでは、との期待はやや裏切られる。
その時代との交絡についても、残念ながら展示の力は弱い。
関東大震災の社会史的文化史的大きさを実感させる装置がない。
また、
欧州における第一次世界大戦の破壊的衝撃についても実感させる仕掛けが乏しい。
したがって、
村山知義や、マヴォの意味が、うまく伝わらないように思う。
そのため、
村山知義や、マヴォの世界芸術史的意味が、前面に出ていない。
しかし、観にいく価値は十分にある。
これは、ダンスする村山のマンガと思われる。
どこからの引用か把握していない。
なんか、おそまつ君のイヤミのようでもあり、味わい深い。
Posted by 愚華 at 14:49│Comments(0)
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