2011年11月15日
芥川の書簡と京都
芥川龍之介から高浜虚子へ宛てた今まで知られていなかった書簡が見つかったらしい。
新聞で報道されている。
ネットで見てみると、「産経ニュース・ウエスト」のものが詳しかった。
1919年6月27日付の書簡。
内容的には、京都と二重に関係している。
一つは、京都で知人と会ったことが、冒頭に来ている。
この知人は誰か書いてはいない。恒藤恭だろうか。
その知人と虚子の小説「風流懺法」の話をしたとあるようだ。
登場人物のモデルが話題になったそうである。
「風流懺法」は、1907年4月に『ホトトギス』に発表された。
主人公の一人は比叡山の小僧の一念。
もう一人が祇園の舞妓の三千歳である。
おそらくこの二人のうちどちらかあるいは二人ともが話題になったのだろう。
芥川の俳句が、この手紙のメインであるが、
愚かにも冒頭での京都とのつながりが特に興味深かった。
芥川や、たぶん恒藤などに、小説「風流懺法」は、かなり影響を与えたのだろう。
そこも面白い。
新聞で報道されている。
ネットで見てみると、「産経ニュース・ウエスト」のものが詳しかった。
1919年6月27日付の書簡。
内容的には、京都と二重に関係している。
一つは、京都で知人と会ったことが、冒頭に来ている。
この知人は誰か書いてはいない。恒藤恭だろうか。
その知人と虚子の小説「風流懺法」の話をしたとあるようだ。
登場人物のモデルが話題になったそうである。
「風流懺法」は、1907年4月に『ホトトギス』に発表された。
主人公の一人は比叡山の小僧の一念。
もう一人が祇園の舞妓の三千歳である。
おそらくこの二人のうちどちらかあるいは二人ともが話題になったのだろう。
芥川の俳句が、この手紙のメインであるが、
愚かにも冒頭での京都とのつながりが特に興味深かった。
芥川や、たぶん恒藤などに、小説「風流懺法」は、かなり影響を与えたのだろう。
そこも面白い。
Posted by 愚華 at 13:58│Comments(0)
│凡観