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2011年02月25日

吉井勇と輪廻する『乙女』

吉井勇と映画が気になり、黒沢明の『生きる』の「ゴンドラの唄」の作詞者というところから、吉井と映画を結びつけて見たが、吉井と「ゴンドラの唄」の事情については、すごく面白い学術論文があった。

相沢直樹「『ゴンドラの唄』考」である。(浦沢直樹ではない。)
『山形大学紀要(人文科学)』の第16巻3号(2008)に載っている。

こちらの興味でいろいろ情報をそこからピックアップしておこう。

その1
「ゴンドラの唄」が日本で初めて公表、というか、舞台で歌われたのは、1915年であった。おそらく4月26日。
「ゴンドラの唄」が歌われる演劇『その前夜』は、4月26日から30日まで、帝国劇縦横で上演された。その時が初演らしい。劇団は芸術座。主演女優が松井須磨子で、島村抱月が中軸になっていた、といっておいていいだろう。

その2
「ゴンドラの唄」(1915)と森鴎外の翻訳『即興詩人』(1902)の関係が明らかになった。
相沢によれば、どうもこの関係を証言した吉井勇のエッセイが忘れられ、そのため、典拠が不透明のまま、多くの人が、「関係がある、関係がある」、と言っていたらしい。
こういうことはよくある。
この場合、典拠なしにエッセイなどに書いていた典型は、森まゆみのようだ。
相沢は、1916年に発表された、吉井勇の「松井須磨子に送る手紙」という文章の中で、吉井自身が、「ゴンドラの唄」は、『即興詩人』の「妄想」という章に出て来るヴェネチアの「俚謠」を発想のもとにしていると証言している、ということを示した。
このテキストの再発掘は凄い、と思う。

その3
これは塩野七生の仮設とつなげた図式だが、まずメディチ家の黄金時代に、その当主だったロレンツォ・イル・マニフィコが謝肉祭のために『バッカスの歌』という詩を書いたという。
これはその後も謝肉祭に欠かせない歌として歌い継がれた、らしい。
ところでアンデルセンの『即興詩人』は、彼の自伝的物語という。彼のヴェネチアでの滞在の体験が使われている可能性が高いらしい。アンデルセンは、『バッカスの歌』を耳にして、それを『即興詩人』にヴェネチアの「俚謠」として組み入れた、かもしれない。
このヴェネチアの「俚謠」を、森鴎外が日本語に翻訳。それを発想源として「ゴンドラの唄」が吉井勇によって作られる。
その時の一節「命短し恋せよ乙女」という部分が『セーラームーン』の主人公の決め台詞になる。
で、(ここからは妄想であるが…)セーラームーンのコスプレをしたイタリア娘が、その台詞をヴェネチアで語り見得を切る、ということなんかがあったりして…。

ここまで来ると吉井勇もクールジャパンの主要起点ということになろうか。

ともかく、相沢のこの論文、面白い。
学術論文をバカにしていたけど、そうでないことも、奇跡的にあるということも分った。



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Posted by 愚華 at 21:06│Comments(0)凡観
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