2009年01月28日
檸檬
昨日の京都新聞で、寺町二条角の果物店八百卯が閉店したことを知った。
残念である。
梶井基次郎が、1925年に『青空』創刊号に発表した小説「檸檬」に登場する果物屋=八百屋だ。
主人公は、そこで檸檬を買う。
その檸檬を主人公は爆弾だ、と想像する。
そして、三条通にあった丸善の棚に、その檸檬=想像された爆弾を置き去りにする。
彼は、想像されたテロリストとして、映画館の街だった新京極へと立ち去るのだ。
記事によると、創業は、1879年らしい。130年つづいていたことになる。
残念である。
梶井基次郎が、1925年に『青空』創刊号に発表した小説「檸檬」に登場する果物屋=八百屋だ。
主人公は、そこで檸檬を買う。
その檸檬を主人公は爆弾だ、と想像する。
そして、三条通にあった丸善の棚に、その檸檬=想像された爆弾を置き去りにする。
彼は、想像されたテロリストとして、映画館の街だった新京極へと立ち去るのだ。
記事によると、創業は、1879年らしい。130年つづいていたことになる。
Posted by 愚華 at 15:34│Comments(2)
│温故
この記事へのコメント
愚華さん、寒くなりましたね。
私も先日、FM αーstationのニュースで聞きました。
八百卯が閉店したんですねぇ・・・
実家がすぐそばで、30才過ぎまでその辺りに住んでいました。
いまの店舗に建て替わる前(もう何十年も前)は、
オープン形式のフルーツショップでした。
生成りの帆布で作られた、今でいうとオーニングでしょうか、
午後からの西日が差し込まないように店先に張られていて、
その間接照明の日差しが、店内を何とも柔らかく照らすんです。
店先を通ると、四季を問わず、いつも濃厚な果物の薫りが漂ってたのを思い出します。
しかし、"やおーぅさん"とこのフルーツは、高嶺の花でした。
僕の小さな頃からの印象は、
果物屋さんでなくて、ちょっと外国の匂いのする、あくまでもフルーツショップでした。
よその家に、お土産に持っていくときは、買ったことがあるんですが、
自分で食べるのには、ついに買う機会がありませんでしたね。
でも、懐かしいおっちゃんの顔は、いまでも思い出します。
私も先日、FM αーstationのニュースで聞きました。
八百卯が閉店したんですねぇ・・・
実家がすぐそばで、30才過ぎまでその辺りに住んでいました。
いまの店舗に建て替わる前(もう何十年も前)は、
オープン形式のフルーツショップでした。
生成りの帆布で作られた、今でいうとオーニングでしょうか、
午後からの西日が差し込まないように店先に張られていて、
その間接照明の日差しが、店内を何とも柔らかく照らすんです。
店先を通ると、四季を問わず、いつも濃厚な果物の薫りが漂ってたのを思い出します。
しかし、"やおーぅさん"とこのフルーツは、高嶺の花でした。
僕の小さな頃からの印象は、
果物屋さんでなくて、ちょっと外国の匂いのする、あくまでもフルーツショップでした。
よその家に、お土産に持っていくときは、買ったことがあるんですが、
自分で食べるのには、ついに買う機会がありませんでしたね。
でも、懐かしいおっちゃんの顔は、いまでも思い出します。
Posted by ずんずん at 2009年01月30日 13:55
お久しぶりです。
今日は豪雨という予想もありましたが、まだぱらぱらというところ。
「檸檬」では、主人公が、その店を「その果実屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。其処は決して立派な店ではなかったのだが、果実屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」と捉えています。
大正期に八百卯。
ずんずんさんにいうように、果物屋は外国とつながっているのですね。なるほどと思いました。そこに丸善との関連性があり、鎰屋とのつながりもありそう。
「おっちゃん」は私は知りません。修学旅行生に梶井のことや檸檬のことを語るという都市伝説は聞きましたが。
今日は豪雨という予想もありましたが、まだぱらぱらというところ。
「檸檬」では、主人公が、その店を「その果実屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。其処は決して立派な店ではなかったのだが、果実屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」と捉えています。
大正期に八百卯。
ずんずんさんにいうように、果物屋は外国とつながっているのですね。なるほどと思いました。そこに丸善との関連性があり、鎰屋とのつながりもありそう。
「おっちゃん」は私は知りません。修学旅行生に梶井のことや檸檬のことを語るという都市伝説は聞きましたが。
Posted by 愚華 at 2009年01月30日 16:42