2010年11月06日
祇園のひみつ
ひさしぶりに『サンデー毎日』をひろい読みしていたら、「祇園のひみつ」という記事があった。
『サンデー毎日』の11月14日号である。
サブタイトルにもあるように、旦那衆の減少、新しい現象としての「追っかけ」の出現など、
なかなか興味深いことが書かれていた。
1996年に出来たという「おおきに財団(京都伝統伎芸振興財団)」というのも初耳。
なんか、いかがわしさもある感じが、祇園らしい。
「生粋の旦那」のインタビューが興味深い。
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」について
この「旦那」は、「大歓迎」という。
「長い目で見ると街にとっての「お客さん」です。」と語る。
ここまではそう思う。
ただ次がいただけない。
「積み重ねられた祇園文化にとって大事ではありません。
いずれはお帰りになられますから……。」
そうではなく、
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」も、
いずれは祇園文化に組み込まれますから、というのが正しいはず。
この「生粋の旦那」、「人生の贅沢」について狭いのが残念。
『サンデー毎日』の11月14日号である。
サブタイトルにもあるように、旦那衆の減少、新しい現象としての「追っかけ」の出現など、
なかなか興味深いことが書かれていた。
1996年に出来たという「おおきに財団(京都伝統伎芸振興財団)」というのも初耳。
なんか、いかがわしさもある感じが、祇園らしい。
「生粋の旦那」のインタビューが興味深い。
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」について
この「旦那」は、「大歓迎」という。
「長い目で見ると街にとっての「お客さん」です。」と語る。
ここまではそう思う。
ただ次がいただけない。
「積み重ねられた祇園文化にとって大事ではありません。
いずれはお帰りになられますから……。」
そうではなく、
「ニセ舞妓」「ミシュラン」「東京資本レストラン」「東京作家」も、
いずれは祇園文化に組み込まれますから、というのが正しいはず。
この「生粋の旦那」、「人生の贅沢」について狭いのが残念。
Posted by 愚華 at 11:37│Comments(2)
│罵詈
この記事へのコメント
愚華さん、先日は無闇に長ったらしい文章に、
お付き合いいただきありがとうございました。
しかし、この”生粋といわれている旦那”さんへのインタビュー、同感ですね。
ほんまに狭い狭い・・・
生粋といわれる方なら、ほんまに”粋人さん”であって欲しい。
長い歴史を持つ祗園なら、その長い歴史の中で、様々な俗物も登場していたでしょう。
それもすべて呑み込んで、さらに洗練された祗園が今に残っている。
大事か大事でないかは、口に出して言うようなこととちゃうと思いますね。
時間が経てば自然とわかってくるでしょう。
お付き合いいただきありがとうございました。
しかし、この”生粋といわれている旦那”さんへのインタビュー、同感ですね。
ほんまに狭い狭い・・・
生粋といわれる方なら、ほんまに”粋人さん”であって欲しい。
長い歴史を持つ祗園なら、その長い歴史の中で、様々な俗物も登場していたでしょう。
それもすべて呑み込んで、さらに洗練された祗園が今に残っている。
大事か大事でないかは、口に出して言うようなこととちゃうと思いますね。
時間が経てば自然とわかってくるでしょう。
Posted by ずんずん at 2010年11月10日 14:31
コメントありがとうございます。
まあ、こうした「旦那」も抱える度量がある、ということでしょうね。
私の見解では、祗園のお茶屋ねどに付属しているバーやカフェですが、
決して伝統的なものではなく、せいぜい、昭和期以降の産物と思いますし。
祗園の同化力で取り入れたということでしょう。
祇園祭も同じようなところありますよね。
観光と妥協して順路を変えるとか。
巴里の街にも「山」とか「鉾」を認める、ってなことも
多分平気でやるでしょう、やらねばならない事情があれば。
そこが面白い、という感じです。
まあ、こうした「旦那」も抱える度量がある、ということでしょうね。
私の見解では、祗園のお茶屋ねどに付属しているバーやカフェですが、
決して伝統的なものではなく、せいぜい、昭和期以降の産物と思いますし。
祗園の同化力で取り入れたということでしょう。
祇園祭も同じようなところありますよね。
観光と妥協して順路を変えるとか。
巴里の街にも「山」とか「鉾」を認める、ってなことも
多分平気でやるでしょう、やらねばならない事情があれば。
そこが面白い、という感じです。
Posted by 愚華
at 2010年11月11日 11:25
