2010年01月20日
アングラ期の夕暮れ
浅川マキが死んだ。
60年代後半から70年代の文化も、もはや終末にきていることの兆しだろうか。
歴史化してきている。
浅川マキといえば西部講堂。
ライブが何回もあり、幾度かは聞きに行った記憶がある。
雨のはげしい夜で、西部講堂は一部で雨漏りがあった。
ドラムは確かつのだひろ。
ステージはアングラという形容もいける感じだった。
浅川マキといえば寺山修司。
「書を捨てよ町に出よう」に出演していなかったか。
浅川マキといえばかもめ。
神戸か横浜の海洋文化のイメージがわきあがる。
60年代後半から70年代の文化も、もはや終末にきていることの兆しだろうか。
歴史化してきている。
浅川マキといえば西部講堂。
ライブが何回もあり、幾度かは聞きに行った記憶がある。
雨のはげしい夜で、西部講堂は一部で雨漏りがあった。
ドラムは確かつのだひろ。
ステージはアングラという形容もいける感じだった。
浅川マキといえば寺山修司。
「書を捨てよ町に出よう」に出演していなかったか。
浅川マキといえばかもめ。
神戸か横浜の海洋文化のイメージがわきあがる。
新聞記事などによれば、1月17日の夜に死亡ということ。
阪神大震災十五周年の日だ。
名古屋のホテルの滞在中のホテル浴室で倒れていた。
死因は急性心不全。享年67歳。
石川県出身というのは、今回始めて知った。
阪神大震災十五周年の日だ。
名古屋のホテルの滞在中のホテル浴室で倒れていた。
死因は急性心不全。享年67歳。
石川県出身というのは、今回始めて知った。
タグ :カウンターカルチャー
Posted by 愚華 at 11:08│Comments(0)
│温故