2008年07月14日
宵…山デートはいつから…?
プレイガイドジャーナルの1975年7月号を見てみた。
ざっと見たけど「祇園祭」についての情報がない。
これは、プガジャの編集局が大阪にあったためか、
それとも、祇園祭とプガジャは、別次元のものだっためか、
それとも、他の理由からなのか、分らない。
京都の高校生や、京都出身の大学生にとって、
宵々々山、宵々山、宵山が、男女交際のイベントになったのは、一体いつごろなのだろう。
75年当時そうだったのだろうか?
不明だ。
今や、宵々々山、宵々山、宵山は、観光の場、男女交際の場、家族遊行の場。
祇園祭のしたたかさは、こうした場をいろいろズラしながらも、
生き残っているという点だろう。
京都の「街」コミュニティの面白さと厭らしさがここに凝縮、という感じ。
ちなみに1978年に7月号でも言及はない。
ざっと見たけど「祇園祭」についての情報がない。
これは、プガジャの編集局が大阪にあったためか、
それとも、祇園祭とプガジャは、別次元のものだっためか、
それとも、他の理由からなのか、分らない。
京都の高校生や、京都出身の大学生にとって、
宵々々山、宵々山、宵山が、男女交際のイベントになったのは、一体いつごろなのだろう。
75年当時そうだったのだろうか?
不明だ。
今や、宵々々山、宵々山、宵山は、観光の場、男女交際の場、家族遊行の場。
祇園祭のしたたかさは、こうした場をいろいろズラしながらも、
生き残っているという点だろう。
京都の「街」コミュニティの面白さと厭らしさがここに凝縮、という感じ。
ちなみに1978年に7月号でも言及はない。
Posted by 愚華 at 18:53│Comments(0)
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