2008年06月07日
コラムと異能?…か
グーグルで「プレイガイドジャーナル」を検索すると4660ヒットする。
これが多いのか少ないのか、ネットに疎い私はわからない。
第一は先に紹介した辞書的項目。
第二は、紀伊国屋のサイトのエッセイだ。
「タイムスリップグリコ「思い出のマガジン」第二弾を勝手に選ぶ」
というもの。
筆者は「南陀楼綾繁 Ayashige Nandaro」。
このエッセイがどういうコンセプトで紀伊国屋のHPにつながっているのか、
筆者がいかなる人物なのか、不明。
調べる気力はわかない。
で、南陀楼さんが「プレイガイドジャーナル」をどう論じているか、
そこだけコピペ=引用しておこう。
「 「プレイガイドジャーナル」(プレイガイドジャーナル社、1971年~1988年)
「ぴあ」が情報掲載に徹していたのに対し、東京で「シティロード」、関西ではこの雑誌が、コラムを中心に誌面をつくっていた。いしいひさいち、中島らも、井筒和幸など関西の「異能」を、『ぷがじゃ』で知ったという読者は多いだろう。B6判だった1983年までの誌面の濃密さはスゴイ。」
「ぴあVSプガジャ=東京VS関西=情報VSコラムと異能」
という図式と読める。
で、プガジャの真骨頂も南陀楼さんによれば83年まで、つまり創刊から12年ということらしい。
何でそうなったの、という疑問がわくが…。
これが多いのか少ないのか、ネットに疎い私はわからない。
第一は先に紹介した辞書的項目。
第二は、紀伊国屋のサイトのエッセイだ。
「タイムスリップグリコ「思い出のマガジン」第二弾を勝手に選ぶ」
というもの。
筆者は「南陀楼綾繁 Ayashige Nandaro」。
このエッセイがどういうコンセプトで紀伊国屋のHPにつながっているのか、
筆者がいかなる人物なのか、不明。
調べる気力はわかない。
で、南陀楼さんが「プレイガイドジャーナル」をどう論じているか、
そこだけコピペ=引用しておこう。
「 「プレイガイドジャーナル」(プレイガイドジャーナル社、1971年~1988年)
「ぴあ」が情報掲載に徹していたのに対し、東京で「シティロード」、関西ではこの雑誌が、コラムを中心に誌面をつくっていた。いしいひさいち、中島らも、井筒和幸など関西の「異能」を、『ぷがじゃ』で知ったという読者は多いだろう。B6判だった1983年までの誌面の濃密さはスゴイ。」
「ぴあVSプガジャ=東京VS関西=情報VSコラムと異能」
という図式と読める。
で、プガジャの真骨頂も南陀楼さんによれば83年まで、つまり創刊から12年ということらしい。
何でそうなったの、という疑問がわくが…。
Posted by 愚華 at 23:54│Comments(0)
│プ蛾蛇