空気に流されていいの

愚華

2009年02月18日 13:13

2月16日の『京都新聞Web News』には、大麻所持容疑で学生が逮捕されたことを受けて、京都大学が謝罪した、とある。謝罪して、例の如く頭を下げたのは3人。記事によればそのうち2人は「西村周三理事・副学長、初宿正典法学研究科長」だった。

最近こうした事態と、こうしたニュースと、大学による謝罪記者会見があるが、大学側が謝罪する根拠と必要性はどこにあるのか、分らない。

これに関りそうな記事を引用=盗用しておくとこうだ。

「谷口容疑者について初宿研究科長は「サークルなどに登録していないが、単位もそれなりに取っている普通の学生。法を学ぶ学生の逮捕を非常に重く受けとめている」と謝罪した。西村理事は「これまでの注意喚起では不十分だった。学生の意識の変化があり、課外の指導教育を徹底したい」と話した。」

法学部的には、法を学ぶ学生が、違法行為をしたというのが問題としているようだ。
大学としては、大学の機能として、生活状況や生活状態に対する「注意喚起」や「課外の指導教育」も有る、という立場で、それがうまくいっていなかった「責任」としての謝罪ということらしい。

法学部的な謝罪はまだ分かる。これは大学の教育内容と関る可能性があるからだ。しかし、大学としての見解はちょっと分かりにくい。はたして生活指導的なものや課外の指導教育も大学がになうべきものなのか。むしろ成人としての学生個人の責任の範囲にあるのではないか、と思う。そこまで介入する必要はないし、権利や義務もない、と思うのだが。

どうしてその点についての議論が出ないのかはなはだ不思議である。


疑問はまだある。
かつて京大アメフト部部員が強姦事件を起こしたことがあった。
その時、「大学」は謝罪したのか。

かつて京大の学生卒業生が、オウム事件に関った。
その時、「大学」は謝罪したのか。

はっきりしない。

もししていないとして、ならば、どうして、という疑問はわく。


学生が窃盗した場合どうなのか。
謝罪するのか。
交通事故の加害者だったときは?
謝罪するのか。


きちんと社会で議論する必要がある。

まあ、京大は空気を読んだんだろうけど。

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