あのなつかしい

愚華

2008年11月03日 13:18

1971年7月号の『ニューミュージック・マガジン』に清水昶が『二十歳の原点』の書評を書いていた。

書評の内容よりも出だしが興味深い。
こうある。

「あのなつかしいジャズ喫茶「シャンクレール」(思案に暮れる)が高野悦子の思考の中心軸になっていたらしい。京都という町は不思議な町で、無数にある喫茶店のどのひとつに入っても、一度そこにうずくまれば、町全体のどの位置に自分がいるのか即座に判明し、不思議なやすらぎを覚えるのである。たとえそこに行って見たことがなくても、この方形の町は隅ずみまで知りぬいているような錯覚を人にあたえ、おのれの位置のみを鮮明にするのである。」

内容的には明確につかめないが、雰囲気的には分かる、詩的といっていい表現。
「不思議」という概念が二度も使われ、「街」でなく「町」である。
ここに、京都に、京都の喫茶店に、磁場と魅惑的な何ものかがある、
ということであろう。

70年代の初めの証言=表現だ。

が、磁場と魅惑は、ひきつけられたものに、「孤」をもあたえる。

「ただし、人はみずからの位置のみが鮮明になった場合、限りない孤立に堪えねばならなくなり、たぶん風景は敵になる。高野悦子の場合、風景とは一見して眺望し得る京都の町であり、そこにうごめく青春群像であった。全共闘の観念も彼女を救い得なかった。」


ところで、この書評は、71年7月号だから、5月か6月に書かれたものだろう。
二十歳の原点』は、71年5月に単行本として出版されている。
そのころどういう状況だったのか。

前年には、3月14日から9月13日まで半年、大阪で万博開催。
70年3月31日には、よど号ハイジャック。
70年7月18日、東京で光化学スモッグ発生。
70年11月25日、三島由紀夫割腹自殺。

二十歳の原点』出版後は…。
71年6月17日、沖縄返還協定調印。
71年7月1日、環境庁発足。
71年7月1日、『プレイガイドジャーナル』創刊。
71年7月15日、アメリカ大統領の訪中が発表。(72年2月21日訪中)
71年7月20日、日本マクドナルド1号店開店。(銀座)

こうした中で、浅間山荘事件への道もつくられつつあった。


こうしてみると、やや強引だが、
プレイガイドジャーナル』の出現は、『二十歳の原点』の登場とつながっていることが分かる。
清水が、書評でまず京都の喫茶店について触れたのも、
このつながりを示す状況証拠ともいえそうだ。

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