宵…山デートはいつから…?
プレイガイドジャーナルの1975年7月号を見てみた。
ざっと見たけど「祇園祭」についての情報がない。
これは、プガジャの編集局が大阪にあったためか、
それとも、祇園祭とプガジャは、別次元のものだっためか、
それとも、他の理由からなのか、分らない。
京都の高校生や、京都出身の大学生にとって、
宵々々山、宵々山、宵山が、男女交際のイベントになったのは、一体いつごろなのだろう。
75年当時そうだったのだろうか?
不明だ。
今や、宵々々山、宵々山、宵山は、観光の場、男女交際の場、家族遊行の場。
祇園祭のしたたかさは、こうした場をいろいろズラしながらも、
生き残っているという点だろう。
京都の「街」コミュニティの面白さと厭らしさがここに凝縮、という感じ。
ちなみに1978年に7月号でも言及はない。
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