漱石の手紙
12月19日発行の『京都新聞』その他で、夏目漱石の未公開の書簡が発見されたと報じられた。
いくつかのネット上の新聞記事などをまとめると、今回発見された書簡は、1915年2月7日付のものという。
まず再確認しておくと、漱石の京都訪問は4回とされている。
第1回:1892年(明治25年)7月8日~7月10日。
第2回:1907年(明治40年)3月28日~4月11日。
第3回:1909年(明治42年)10月ころ、二日くらい滞在。
第4回:1915年(大正4年)3月下旬~4月中旬。
ということで、こんどの書簡は、最後の京都訪問の直前のものだった。
東京から、生け花の家元、西川一草亭にあてたもの。
京都市内の磯田多佳の親類宅に保存されていたようで、
多佳が、漱石を訪問したいという希望を持っていることを、
大阪の実業家、芝川照吉から聞いたことが書かれており、
その流れで、一草亭にいつ多佳が来るのか聞いている、という。
そうした漱石の問い合わせがあったので、一草亭が、多佳にこの手紙を渡し、
多佳が保管していたものが、その親類宅へと受け継がれた、と推測されている。
宇治市の平等院ミュージアム鳳翔(ほうしょう)館での特別展で展示されているということで
かなり興味を引く。
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