「牡丹のある家」を読む

愚華

2011年07月02日 18:23

佐多稲子の作品「牡丹のある家」を読んだ。
『中央公論』1934年6月号に発表された作品である。
当時は、窪川稲子だった。


主人公は、こぎく。5人兄弟の上から三人目、長女のように読める。
一家は、山陽本線沿線の村の自作農。
父はハイカラで進取の気性があったようだが亡くなっており、
祖父、母、長兄、三女の妹と五人暮らし。
次兄は、神戸の造船所で働いていたが不良になり、傷害事件を起し刑務所にいる。
次女の妹は、姫路の紡績工場の女工らしい。
本人は、大阪で事務職についていたようだが、結核になり二年で帰ってきた。

物語では、自分の家の畑で山火事が起きる。幸い大事には至らない。
長兄の嫁が死産、その後実家に帰り、やがて離縁が申し込まれる。
こぎくは、また、血を吐く。
こぎくに、職場の男の同僚店員から手紙が来る。
彼女は、家に居場所がないと感じ自殺をはかろうとするが未遂。
最後にこっそりと家出する。


1931年9月、いわゆる満州事変が起きている。
この年は、東北北海道は冷害凶作で、娘の身売りが急激に増加したとされる。
おそらく東北出身の娼婦が東京や関西に流れたであろう。
1932年5月、5・15事件。政党内閣の時代が幕を閉じる。
そう、3月には「満州国」が「建国」。7月にはナチスが第一党になった。
1933年2月、小林多喜二が虐殺された。3月には日本は国連を脱退。
6月に、日本共産党幹部の転向声明が出る。
そして1934年、東北地方にまた大凶作が襲いこの年の秋から身売りがまた急増。
その少し前に、こぎくは東に向かった。


自筆年譜によれば、佐多は、1932年春ごろ、日本共産党に入党。
1933年、小林多喜二の虐殺について「二月二十日のこと」を発表。
1934年、随筆集『一婦人作家の随想』を出版。装丁は元マヴォの柳瀬正夢。
1935年5月には検挙された。(治安維持法違反か?)

関連記事