キャラメル工場から

愚華

2011年06月23日 13:30

佐多稲子の初期、戦前の小説を読みたいと思っていたが、文庫本では発見できない。
古本市でもあまり見かけないでいたところ、旺文社文庫のものを発見し購入した。
(とあるスーパーが時々開く古本販売会で)

はじめに載っている短編は、「キャラメル工場から」で、彼女のデビュー作である。
1928年2月に、『プロレタリア芸術』に発表された。
共産党関係者を治安維持法で大弾圧した「3・15事件」直前のものだ。(1928年)
京都でも、弾圧があったと思うが、手元に資料がない。

「キャラメル工場から」は、貧しい少女の大変な家族・家庭と
小学校へ行くのを断念して働いているキャラメル工場の労働が
描かれている。

1928年4月に中井宗太郎の家へ修業に入りのちに養女となる富山芳枝は、
ディートリッヒの『モロッコ』がはやっていたころ、中井の家へ、
湯浅芳子や中条百合子が泊まりに来ていたと証言している。
その時佐多稲子も京都へ来たらしい。
『モロッコ』は1930年の作品だ。


「キャラメル工場から」は、佐多自身の体験をおそらくもとにしている。
とすれば、年譜を参考にすると、1915年12月頃のことである。


プロレタリア文学として、資本主義への闘いを目指すという目的があったかもしれないが、
記述が当時の時代相を写しているところも興味深い。
電車の乗客が時間で階級に分かれていることを示す記述。
朝早くの電車には、印袢纏や菜葉服の男が詰め込まれている。
労働者の電車なのだ。
少しすると、身ぎれいな女が乗り始め労働者風の姿は消える、という。
中産階級以上の女性も乗れる電車となる。
主人公のひろ子の家は六畳一間かもしれない。
そこに、ひろ子の父と祖母、病気の叔父、弟、そして、ひろ子が生活している。
現在の日本ではフツーである、個人が孤立可能な、日常生活はない。

主人公のひろ子は、キャラメル工場を止め、中華蕎麦屋に住み込みで再就職する。
そこの便所で、郷里の学校の先生からの手紙を読んでなくシーンで終わる。
中華蕎麦屋は本文では「チャンそば屋」と表記されている。
「支那そば屋」以外にこういう呼び方もあったわけだ。
この「チャンそば屋」は、日本国語辞典には載っていない。
便所で手紙を読むというのも重要だ。
要するに、個人が孤立可能な場は、そこしかなかったということを示唆している。

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