『下流志向』

愚華

2009年12月16日 13:31

内田樹の『下流志向』を読了。
なかなか示唆に富む本である。
面白いし、勉強になる。
ただ、背景的知識がないともしかすると難しいということで途中で挫折ということもありそうだが。

ここに書かれている内容は、「文庫版のためのあとがき」によれば、おそらく04年くらいに胚胎したのではなかろうか。本文で、ホリエモンが経済合理性と消費主体としての生の象徴として出てくるところに、それを読み取れそうだ。(172)
ということは小泉的小民主ファシズムの勝利もこういう考察を内田にさせた原因と推察できる。
ホリエモン旋風や小泉ファッショ旋風の中、その原理を思想的に見る、ということが行われ、05年の夏にビジネスカフェジャパンが主催した講演会でこの本の基本枠が公表された。(2005年6月25日)
それが、さらに厚みを増して、2007年1月に講談社からの単行本として出版された。
その後、2009年7月に文庫化されたわけだ。

00年代の(90年代からも含めて)考察、ということになっていると思われるが、内容は多岐に渡る。
そこを絞り込むと、二つの現状の理解があることが分かる。
第一が、ポジティヴな自己評価の学びからの主体的意思的逃走が、広範囲に生じている、ということ。
第二に、ポジティヴな自己評価の労働からの主体的意思的逃走が、これまた、広範囲に生じているということ、
である。

これらの原因として内田があげるのが、その逃走主体の生育的・起源的特性だ。
いま日本に生れると、人々・われわれは、自身を消費主体として、就学以前にすでに自己確立させられる。(45)それは日本社会が経済合理性の貫徹される社会となっているからであり、また、その社会に埋め込まれた家族も、経済合理性・資本制・マーケット原理の関係性をとってしまっているからである。そこから、この二つの逃走が生じるのだ、としている。

面白い議論で、なるほどと納得のいく部分が少なからずある。

消費主体として深く自己確立している人は読んでも理解できない可能性はあるので注意が必要。



内容的には、『若者はホントにバカか』と重なる部分がある。
しかし、論としてはこちらの『下流志向』の方がずっと興味深い。

京都から突然消えた大澤真幸の『虚構の時代の果て』や
神戸に虚巨体を店晒しているという大塚英志の『「おたく」の精神史』などと
どう交差するのか、そこも重要で楽しそう。

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