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2012年05月13日

『村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する』

村山知義の展覧会が開かれている。
今日で、京都国立近代美術館での開催は最後と思う。
おそらく、それほど人は入っていないだろう。
京都や関西は、最近、アバンギャルドに対して、アンテナが立っていないから、仕方がない。
ということは幸いにもゆっくり見つことができるということだ。




新しく多くの資料や作品が発見されたのでは、との期待はやや裏切られる。

その時代との交絡についても、残念ながら展示の力は弱い。
関東大震災の社会史的文化史的大きさを実感させる装置がない。
また、
欧州における第一次世界大戦の破壊的衝撃についても実感させる仕掛けが乏しい。

したがって、

村山知義や、マヴォの意味が、うまく伝わらないように思う。

そのため、

村山知義や、マヴォの世界芸術史的意味が、前面に出ていない。



しかし、観にいく価値は十分にある。



これは、ダンスする村山のマンガと思われる。
どこからの引用か把握していない。
なんか、おそまつ君のイヤミのようでもあり、味わい深い。  


Posted by 愚華 at 14:49Comments(0)観る

2012年05月09日

銀座で蕎麦

久々に東京蕎麦である。

銀座のユニクロへ行ってみたが、まあこんなものか、ということで夕食。
蕎麦にしようと思ったのだが、銀座の蕎麦屋というとどこなのか、不明。

ふらふら新橋方面へ歩くと、運よく蕎麦屋に遭遇。

「そば所 よし田」とある。

入ると、「東をどり」のポスターが。
かつては都踊と競ってもいたのでは。
4日間12公演しかない。

酒のあてが充実している。
喫煙可なので、非喫煙者には煙たいが、昔は映画館でもそうだった。


HPなどで調べても、「そば所 よし田」の歴史はわからない。
1989年創業という「よし田そば製粉所」と同じ系列なのだろうか。
この製粉所は、静岡県島田市にある。



「そば所 よし田」自体は、銀座の他、
仙台、川口、名古屋に蕎麦屋としてあるようだ。

やや不思議。


銀座で蕎麦で落ち着くには悪くはない。  

Posted by 愚華 at 12:35Comments(0)蕎麦

2012年04月21日

案内嬢の部屋Ⅰ(1996)

京都国立近代美術館のコレクションギャラリーが面白かった。

特に、「コンセプチュアル・フォトグラフィの彼方へ」の日本の作家の4点はなかなか。

森村泰昌のものが2点。
(「たぶらかし(マルセル)」(1988)、「私の妹のために/シンディ・シャーマンに捧ぐ」(1998))

やなぎみわのものが1点。
(「案内嬢の部屋Ⅰ」(1996))(←注:表題と発表年は間違ってます)

澤田知子のものが1点。
(「ID400」(1998))

いずれもゆっくりとした鑑賞に堪える作品。
もう一度見たい、という感じにさせてくれる。  続きを読む

Posted by 愚華 at 16:31Comments(0)観る

2012年04月13日

『桜さがし』の季節

柴田よしきは、宮部みゆきより面白いのでは、と思ってしまう。
思い違いかもしれないが。

今回読んだのは、『桜さがし』。集英社文庫版だが、文春文庫からも最近出た。



連作短編集。もちろんミステリーで、京都が主な舞台。
登場人物たちは、大学を卒業してすぐくらいの若いひとびと。
歌義、陽介、綾、まり恵。
この4人は、中学校時代新聞部に属していた。
その時の顧問が、浅間寺竜之介。
社会科担当だったが、この物語が始まる5年ほど前、
推理小説の新人賞をとったのを機に、教育界からおさらばして、ミステリー作家になった。
…という設定。

8編の短編からなり、1997年の秋から99年の秋まで、短編の中で2年の時間が流れる。
それぞれの短編で、殺人事件など、ミステリー的出来事が、5人の周囲で発生。
それを紐解いていくというもの。その中で若い4人の関係性、恋愛や友情が揺れ動く。
中身を書くと長くなるので略すが、大変よいでき、と思う。


赤垣屋が2回も登場。(「一夜だけ」と「桜さがし」で)
赤垣屋好きとしては、そこもよかった。


内容略、としたが、「夏の鬼」のことは少し書いておこう。

ここでは殺人はおきない。
京都大学がモデルと思われる大学の教授が、テレクラで知り合った女子中学生と
自分のマンションで酒を飲みセックスをした。
しかし、なぜか大声で喚いたために、マンションの住人が警察に通報。
で警察が、女子中学生を発見。逮捕は免れずとなって、大学に辞表提出。
というのが事件の概要。(1998年8月15日、大文字の夜)

この件に、農学部の大学院生であった綾を好きになっていたが、
何らかの事情で退学してしまった、一ノ瀬裕太が、関連していたのである。
ここのところが面白い。

それはさておき、一ノ瀬と大学教授の佐波木の関係は、複雑。
一ノ瀬は、家の事業失敗で生活費も学費も自分で出していた。
その費用ねん出のため、夜の祇園のスナックでバーテンのバイトをしていた。
(このあたり、山村美紗の『華やかな密室』とつながる)
一ノ瀬はホステスの由希子と「いい仲になった」が、由希子は、佐波木教授とも
愛人関係を結んだ。
そのため教授は、一ノ瀬を退学に追い込み、由希子を独り占めしようとした。

こういう背後の物語がある。

その上に、綾と裕太の恋愛のぎこちないはじまりが重なる。
かなり魅力的な短編であった。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 18:32Comments(0)読む

2012年04月07日

鞍馬駅前

2012年4月5日の桜



温泉も気持ちがいい。  

Posted by 愚華 at 14:11Comments(0)観る

2012年03月20日

『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』があった。

まさにバブルが進行中のこと、
阿井渉介が『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』を書き下ろした。



(↓ 内容などの記載あり ↓)

主人公は、原宿・表参道のブディックのハウスマヌカン、小泉祥子。
ファッション雑誌に発表するそのブティックのブランド新作の撮影が、
京都で行われる。
というので彼女は京都へ出張。
そこで殺人事件に巻き込まれる。
殺されたのは、その時東京にいたはずの、ブティックのオーナーデザイナー時田好子。
(つまり、これも京都ミステリーだったわけだ)

事件は、小泉祥子の視点で語られる。
その思い込みの方向が、真犯人を見破れない構図を出している点は面白い。
ただ、じっくり読むと、誰が真犯人で、誰が共犯者か、かなりよくわかる。

2人目に殺されるのが共犯者。
小泉祥子が、京都へ車で向かう中、そのレンタカーの中から死体が発見される。
発見場所は大津のサービスエリア。
小泉祥子はレンタカーを捨ててトラックに乗せてもらい京都へ。
ここで身を隠しているうちに、事件は錯綜しつつ解決する。

内容は恐らくC級。
新書ミステリー乱立のため、乱造された一冊のような気がしなくもない。


ただ興味深いことが三つある。

一つ目はハウスマヌカンがらみ。
前年「夜霧のハウスマヌカン」という歌謡曲が発表されているが、
その歌詞をなぞったミステリーであるということ。

「又昼はシャケべんとう」というのが一番分かりやすい。

小泉祥子が京都で訪れた勝待寺。
「勝待寺の門前にあるお店で、お昼にしました。いつもシャケ弁当というのがハウスマヌカンのイメージらし

いけれど、京都です、二千円ふんぱつしました。」

ちなみに、ほとんど同時期に、赤羽建美の『ハウスマヌカン殺人事件』というのも出版されている。


二つ目は京都観光。
ひとひねりした旅ということで「花の寺」を訪れた。
たぶん当時はあまりポピュラーでなかったはずだ。

まあ、これが、殺人と結び付くわけで、ある種トリックでもあるが…。


三つ目が有名テキストとの関係。
『京都 原宿 ハウスマヌカン殺人事件』は、1987年3月、講談社ノベルスの一冊として出ている。
「書下ろし 旅情ミステリー」
その中で描かれる連続殺人事件は、1987年2月末から3月にかけて起きている。

ところで、ミステリーファンならだれでも知っている大量殺人事件が、
1986年の3月31日に発覚する。(4月1日の新聞だが)
大分県で起きた事件だ。
実行者は守須恭一。
これは、綾辻行人のデビュー作で扱われ、1987年9月に講談社ノベルスとして世に問われた。

二つの殺人事件の発生時と、二つの出版時は、四辺形を作り、対角線はクロスしている。

だから何か、ということはない。

しかし、こういうことを考えるのも愚かな楽しみにはなる。  続きを読む
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 15:03Comments(0)読む

2012年03月18日

京都文学散歩で愚考した

大阪に保育社という出版社があった。
かつてカラーブックスを出していた。
一つのテーマについて、カラー写真と文章で構成するものだ。

先日、恵文社一乗寺店でその内の『京都文学散歩』というのを見つけた。
著者は、駒敏郎。
このシリーズでは、94番目のカラーブックス。
出版は、1966年2月。

近代文学と京都の交差を扱っている。

扱われた作品は36編。


発表年の早い順に5編ほどリストアップすると…
(ただしあくまでも『京都文学散歩』の記載に従ってだが…)

夏目漱石『虞美人草』(1907)
高浜虚子『俳諧師』(1908)
徳富健次郎『黒い眼と茶色の目』(1914)
森鷗外『高瀬舟』(1916)
加能作次郎『世の中へ』(1918)

…となっている。

加能作次郎の『世の中へ』がどういうものか、これだけ分からない。

高浜虚子の場合、『風流懺法』も載っているが、1921年出版となっている。
ただ、『風流懺法』中の三篇、「風流懺法」「続風流懺法」「風流懺法後日譚」は、
どれも雑誌『ホトトギス』に最初は掲載された。
「風流懺法」は、1907年4月。「続風流懺法」は1908年5月。
「風流懺法後日譚」は、1919年1月から1920年6月まで。

また、『俳諧師』は、1908年2月から9月まで「国民新聞」に連載された。

さらに、『虞美人草』は、1907年6月23日から10月29日まで『朝日新聞』への連載。


近代文学では、1907年から1908年にかけて、京都がなぜか主題化されている。
『ホトトギス』派によっているのも何かありそうだ。


不思議なことに、『京都文学散歩』では、長田幹彦の名前は出てくるが、
作品はとりあげていない。
1966年には、すでに過去の人、消え去った文学だったのだろう。  


Posted by 愚華 at 19:01Comments(0)凡観

2012年03月12日

ミステリの中の蕎麦屋

久し振りに柏木圭一郎の推理小説を読んだ。

主人公の星井カメラマンたちがどこで食事するのか、
それもこの推理小説の場合、ちょっとした興味の焦点なのだが、
今回の『京都 「竜馬逍遥」 憂愁の殺人』(光文社文庫、2010)の場合、
老舗そば屋が二軒登場した。

小説内では「尾張家」となっている「本家尾張屋」。
小説内で「更品」となっている、大宮姉小路上ルの「更科」。


①「尾張家」≒「本家尾張屋」(23頁~)

星井と助手の小林が「寺田屋」での取材を終わって行く先が「尾張家」≒「本家尾張屋」。
(2010年5月10日月曜日)
「寺田屋」からの道順は、
「竹田街道を北」「川端通を北上」「御池通で西」。

御池通からどう入ったのかが不明。
まさか、烏丸御池手前を右折したわけじゃあるまい。

さて、星野は、天せいろ、小林は、にしん蕎麦+小丼。
出汁が旨い、というだけで、実感的記述がない。
店の中の描写などリアリティはゼロ。

残念。


②「更品」≒「更科」(大宮姉小路上ル)(128頁~)

翌々日(5月12日)星井、小林、高梁の三人で取材後の昼食をとったところ。
御所の西から「丸太町を西」「堀川通に出て南」「堀川御池を右折」「大宮通を南下」

「尾張家」へ行くのに比べてこの道順はしっかりしている。

さて、ここでは、小林は、上天丼、星井と高梁は、鴨なんば蕎麦。
「京都らしく鴨なんば蕎麦」というのはやや不明。
店の中の描写はリアリティ不足。
さらにミシュラン批判も飛び出るが、これは作者の思想だろうなあ。
ミシュラン☆つき蕎麦屋にも行ったら良かったのに…。


とはいえ、京都ミステリーで京都の蕎麦屋が二軒も出るのはそれなりに面白い。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 17:27Comments(0)蕎麦

2012年03月06日

祇園会館もさようなら

名画座としての祇園会館が、3月末で名画映画上映をやめるという記事が『京都新聞』に載っていた。

記事では、会館ができたのが1958年となっている。
名画を本格的に上映するようになったのは60年代だという。
60年代のいつかは特定されていない。
「昔ながらの「入れ替えなし、2本立て」のスタイル」が
特徴と記されている。
(「ネット」版:2012年3月5日22時44分)


古本屋から探した『京都青春街図』(たぶん第2版)によると、

「□祗園会館
☎075・561・0160
特選洋画3本立ての二番館。名作、佳作中心の
プログラムピクチャーは、映画ファンに定評があ
ります。女性客も多いのです。
大人¥850 学生¥650。」

ということだ。これは、1976年夏の情報。

友人が古本市で手に入れた『プレーガイドジャーナル』
1974年2月号を見ると、

1974年2月8日まで、
・「007 ドクターノー」「最後の猿の惑星」「小さな巨人」

1974年2月9日から2月21日まで、
・「ラストタンゴ・イン・パリ」「街の灯」「高校教師」

1974年2月22日から、
・「小林多喜二」

というプログラムになっている。


同じ号の『プガジャ』の「風噂聞書」には、
「*「小林多喜二」ついに完成しました。」
という情報があり、
「2月19日に京都会館で完成記念試写会が行われます」
との記述もある。  


Posted by 愚華 at 13:17Comments(0)プ蛾蛇

2012年02月29日

『京都の祭に人が死ぬ』/題がいい。

京都で殺人事件といえば、かつては山村美紗が大活躍だった。
彼女は、1996年9月5日、東京で小説執筆中に死亡。
その後、「京都」「殺人」のノベル化は、
何人かあとを継いでいるが、2008年からは、柏木圭一郎が活躍中。

その山村美紗が、1981年に単行本として出したのが、短編集
『京都の祭に人が死ぬ』である。
中身はともかく、表題がいい。



これは集英社文庫版。7編からなる。
(↓内容に言及↓)


人が死ぬ京都の「祭」は、というと…

2月4日の盧山寺の鬼法楽。←「鬼法楽殺人事件」
(この短編では、太秦映画村でも殺人が起きる)

4月29日に行われる、城南宮の曲水の宴。←「華やかな殺意」
(京都市の城南宮では、曲水の宴を4月29日と11月3日に行っている、らしい。
ただ、城南宮に固有の「祭」ではない。)

6月5日から6日にかけての、宇治県神社の県祭り。←「くらやみ祭に人が死ぬ」
(宇治市で行われるが、現在分裂状態だったのでは…)

7月17日の祇園祭・山鉾巡行。←「祗園祭殺人事件」

10月22日の時代祭り。←「時代祭に人が死ぬ」

10月22日の鞍馬の火祭。←「鞍馬の火祭」

「なぜにあなたは京都で死ぬの?」の一編だけ、特定の祭とは無関係。


「時代祭に人が死ぬ」は、殺人が派手。
時代祭りの行列の先頭にたつ名誉奉行。
この小説では、京都市長であるが、
彼がテレビ中継の放送席前を通過するときに、
爆殺される。

すぐに実況を中継した鳥居アナウンサーの語り。

「市長は、爆弾によって、死亡されたようです。
馬も一頭は即死、一頭は、うしろ脚がとんで、重傷です。
馬車は、ふっとんでしまって、影も形もありません。…」

驚くことに、25分の検死で、時代祭りは続行される。

次に、静御前が、放送席前で倒れる。毒殺。
「重なる凶事」で、この年の時代祭りは中止となった。


何といっても、放送席前での爆殺は凄い。
それで祭りが中止にならないところもスゴイ。
さらに毒殺もあるところがすごい。

爆弾犯は大学生。兄が、赤軍派で、ハイジャックに失敗して死んでいる。
ハイジャックを失敗に導いたのが、人質になっていた、市長。
当時は大学教授だった。
静御前は、恋人が大学院生で、その恋人が赤軍派から抜けようとしていたため、
警告で殺されたのである。
つまり、爆殺犯=毒殺犯(大学生)も赤軍派だった、ということになる。

発表当時としては祭での爆殺は、荒唐無稽な殺害方法だったのでは。
ただ、いまでは、2005年7月7日にロンドンのタヴィストック広場近くで起きた
2階建てバスでの自爆攻撃もあり、現実感は増しているだろう。
左翼過激派でなく、回教過激派が犯行、というストーリーになるかもしれない。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 16:00Comments(0)読む

2012年02月26日

『月光ゲーム Yの悲劇’88』も読んでみた。

『月光ゲーム』は、有栖川有栖のデビュー作。
1989年1月に刊行された。

大学生たち4グループがキャンプ場で出会う。
二日目の朝、女子短大生の山崎小百合が急に姿を消す。
と、近くの休火山が、200年ぶりの大噴火。
小百合を除く大学生たち16人は、町への交通路を失い孤立。
その孤立状況のなかで、連続殺人事件が起きていく。



↓↓内容にふれていますのよろしく↓↓

結局殺されるのは3人。
(うち一人の死体は出てこない(指のみ出現))
他に2人が、火山噴火に巻き込まれ死亡。
5人も死ぬのだから、ミステリーとしてはなかなかだ。


犯人は、「読者への挑戦」の後、最後に明らかになるのだが、
ネットを見ると、動機が弱過ぎるという意見が多い。


しかし、本当に弱過ぎる動機か…。
それについて少し…。

「弱過ぎる派」の方のブログからその見解をいただいておこう。

「犯人が…(中略)…殺人に及んだ理由は、残念ながら少々薄弱で、今ひとつ納得がいきにくい。
犯人は夜、山崎小百合と逢っているところを被害者の二人に冷やかされ諍いをしていた。翌朝、ショックを受けた小百合は山を降りていったが、その直後に噴火があり、犯人は彼女が巻き込まれて死んだと考えた。そして自分のふがいなさに怒りが湧き、原因を作った者たちへの殺意が芽生えたという。
しかしちょっと冷やかされたくらいで山を降りる小百合の行動は極端すぎて想像がつきにくいし、山崩れをみて即、彼女が死んだと考えるのは、あまり自然ではない。」(「RAY'S ミステリ批評」)
http://www1.jcn.m-net.ne.jp/rays_room/index.html)(2012年2月21日アクセス)

強引ながら、だいたいまとめるとすれば、
犯人(=年野武)や山崎小百合の「純真さ」と殺意の関係が弱い、
ということであろう。

さて、少しわき道から。

ホイチョイプロが原作で、三上博史、原田知世が主演した迷作=名作映画
『私をスキーへ連れてって』は、バブルの世相と文化を描き、戯画化している。
この映画の封切りは1987年の11月。
記憶ではセックスシーンはない。
むしろ、恋愛に奥手の若手サラリーマンが主人公。
その矢野文男(26歳・商社マン)の恋愛への関わりを参照すると、
『月光ゲーム』の犯人=年野武(東京の雄林大学法学部3回生)のある種の「純粋さ」は、
当時の文脈では、理解可能なのではないだろうか。

『月光ゲーム』に出てくる学生のうち1回生たち、5人は、1987年には、
高校3年生で受験だから、映画(『私をスキーへ連れてって』)は見ていないかもしれない。
しかし、他の12人は、見ている、と考えてもいいのでは…。
特に雄林大学の方々は、東京で、バブルの雰囲気に巻き込まれているはずだし。

当時の文脈では、二十歳前後の男女に「純真さ」や「純粋さ」を求めるのも理解可能。
その「純真さ」「純粋さ」をからかわれて、山を下りたり、殺意を生むのも理解可能。
ではないか。

もう一つ。

青少年の性行動調査からみておく。
1987年の調査(第3回)を見ると、大学生男子の性交経験率は、46.5%、大学生女子は、26.1%だ。
(最新の2005年調査(第6回)では、大学生男子は、61.3%、大学生女子は、61.1%。)
『月光ゲーム』で登場する6人の女子学生のなかで、4人か5人は処女であった。
男子学生では、11人中6人は童貞ということになる。
こうした性経験のあり方は、また、「純真さ」や「純粋さ」を生む構造となる。
ここからも動機に関して理解可能、ということにならないか。


それはそれとして、…。

有栖川有栖の『月光ゲーム』も京都に関わるミステリーだ。
主人公の有栖は、同志社大学がモデルとなっている、京都の私立英都大学の一回生。
英都大学推理小説研究会が、『月光ゲーム』をはじめとする
いわゆる「学生有栖シリーズ」の「探偵」的役割を果たしているからだ。

このシリーズは『月光ゲーム』を含めて4つの物語になっている。

『Mystery Seller』の「四分間では短すぎる」は、そのサイドストーリーということになる。
  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 14:38Comments(0)読む

2012年02月22日

蕎麦屋の街案内

最近街案内から遠ざかっていたし、
蕎麦についても無縁だった。

自転車で本家尾張屋を訪れてみると、
独自の街案内が「新設」されていた。



ところで、
この冬は、本家尾張屋に「こかぶ風呂吹きソバ」がない。
2009年の11月か12月に始まり、
前の冬もあったが、
2011年の冬季(~2012年2月)には、
なかった。

このそば、ややお値段はしたが、美味しかったし、
暖まった。
無くなって残念である。  

Posted by 愚華 at 14:20Comments(0)蕎麦

2012年02月17日

『Mystery Seller』の京都

今月発売の新潮文庫『Mystery Seller』。
2010年から11年にかけて発表された短編8本のアンソロジー。
中に2本、京都ミステリーがあったので記録しておこう。




島田荘司の短編、「進々堂世界一周 戻り橋と悲願花」。

御手洗潔(島田荘司が造形した人物)とサトルが、堀川の一条戻り橋で、
語る、日本の近代史。
主に語るのは御手洗だが…。

戻り橋は、「千年の怨霊都市」京都のスポット。
彼岸花は、そんな「千年の怨霊都市」京都にふさわしい花ではないか、
と、御手洗は語る。

そこから、彼岸花に関わる、御手洗のロスアンジェルスでの出会いと伝聞が
紡ぎだされてゆく。

実に悲しく厳しくも壮大な物語が展開される。
戦前の朝鮮半島、戦前の東京や日高(高麗)、そして、戦後のアメリカ西海岸。
そこでの話が、1974年9月の京都とつながる、という構造だ。
朝鮮民族と曼珠沙華(彼岸花=彼岸花)の移動の物語でもある。
日本の戦争責任、侵略、植民地支配を考える時、
思考の方向を示す小説だろう。
しかも、ある種ミステリー(京都ミステリー)でもある。

ただ、物語内の、一つの謎がそのまま残されたような感じがするが…。


第二は、有栖川有栖の短編、「四分間では短すぎる」。

同志社大学がモデルであろう京都の私立英都大学の
推理小説研究会・全メンバーが、部長、江神二郎の下宿で、
飲み会=無為に過ごす会をもよおす。その様子を描いた短編。

主人公の有栖が、飲み会へ行く途中、京都駅(旧京都駅)で漏れ聞いた
隣の公衆電話での男のしゃべり。
そこから男としゃべりの内容を、推理していく「ゲーム」。その進行がストーリーの中心。

1988年の10月の京都西陣での出来事だ。
御手洗の戻り橋での語りから14年たっている。

小説中ではほのめかされもしないが、推理小説研究会のメンバー4人は、
その年(1988年)7月から8月にかけて、連続殺人事件に巻き込まれている。
(→『月光ゲーム Yの悲劇'88』)
その真犯人を指摘したのは、江神二郎。
有栖は、一緒になった短大生、姫原理代に恋し、告白するが断られる。
その傷心を抱えて元気がなかったのだ。
で、みんなで無為に過ごし、ゲームでもしようか、という趣向。

「点と線」なんかも分析して、それなりに面白い。


摩耶雄嵩の「失くしたお守り」は、架空の町、霧ヶ町での事件が描かれるが、
主人公・優斗の兄は、実家のお寺を継ぐ目的もあって、京都の仏教系大学へ行っている。
少し京都つながり。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 19:15Comments(0)読む

2012年02月14日

ドジハウスの解体

今朝、ドジハウス前を通ったら、
ドジハウスの解体が始まっていた。


素晴らしいき、心地よき空間も、永遠ではない。  続きを読む


Posted by 愚華 at 16:44Comments(0)探消

2012年02月13日

「感じる服 考える服」展の斬新な空間はどこにあるのか

今年の1月14日から、神戸ファッション美術館で
「感じる服 考える服」展が開催されている。
副題は「東京ファッションの現在形」。
4月1日まで。


(↑神戸ファッション美術館HPより)

昨年東京オペラシティで開かれたものの巡回展だが、
スペースが異なることから、展示コンセプトは、大きく変化している。
このコンセプトに、建築家の中村竜治が関与している……の。
(オペラシティのものは、2011年10月18日~12月25日)

神戸ファッション美術館が配っているフライヤー(ビラ)には、

「クリエイションの背景にあるデザインのイメージや世界観などを、
建築家中村竜治のデザインによる斬新な展示空間のなかで
体感していただけます。」

という記載があるが、中村竜治の「斬新な」空間がどこにあるのか、
全く不明。特に説明もない感じだ。



(↑神戸ファッション美術館HPより引用。加筆。↑)

日本語で表現する時、こういうのを「手抜き」というのではあるまいか。
この場合、中村の手抜きにも見えるし、美術館側の手抜きにも見える。
そうでない、という何かが欲しいところだが、インターネットのごみのなかからは
まだ、何も発見できていない。


「壁で仕切られた完結した空間ではなく、
繋がっていながら分かれている構成にしました。
服は身体的な感覚なので、
くぐるということで生まれる視覚的な面白さも感じてもらえればと思います。」

オペラシティの時は、中村竜治はこう答えている、…らしい。
これはオペラシティに行ってみると、なるほどと納得できた。

しかし、

神戸の会場構成に関しての答えや説明はどこにあるのか。

会場監修「料」はいくらなのだろう。
まさか「税」でまかなわれてはいまい。

(この前見た「モダン展」と“構成”の違いが全く分からない)  


Posted by 愚華 at 15:15Comments(0)罵詈

2012年02月10日

『京都駅殺人事件』の殺害現場はどこだ

西村京太郎の京都を主な舞台にした「長編推理小説」。
「長編推理小説」というコンセプトは、光文社文庫の表紙に書かれている。



(↓↓内容に言及↓↓)


いきなり殺人事件が起きる。しかもその犯人は直ぐに分かる。
被害者は、浪人生の木村誠。犯人はその友人で、同じく浪人生である橋本眞人だ。
浪人生の橋本は、爆弾を作っている。この爆弾で、1997年に完成した新京都駅ビルを脅迫する、
というのが、この小説の前半部である。
(小説内の時間は、1999年の7月、祗園祭りあたり)

橋本眞人は、京都駅ホームで爆弾を破裂させ、
JRの脅迫に成功し、1000万円を奪取するが、
金を奪取した直後に、警察のパトカーに追われ逃走するなか、
交通事故死してしまう。
金は半分の500万円を殺した友人の両親へ送り、あとの半分は、誰に送ったか不明だった。
(いずれも受け取らない)

事件はこれで終わらない。

橋本の遺志を継いだ人物が現れる。
彼=君原哲也は、橋本の兄の友人で、新京都駅の設計の応募した人物。
橋本眞人が私淑し、新京都駅が京都の良さを破壊するものだ、という思想を、
抱かせるに到った人間。橋本から500万円贈られたが送りかえしている。
この君原と十津川(+警察)が、新京都駅の破壊と金銭の奪取をめぐって、
戦う、というのが後半のストーリー。
その間に、君原は、自分のことが発覚しないように、橋本の兄を殺害する。


京都駅殺人事件とされているが、2件の殺人はいずれも東京で起きる。
京都は、破壊されるか・されないか、という緊迫した舞台と、
脅迫による金銭奪取の現場として、用意されている。
(この奪取の現場が笑わせる)
京都ミステリーとしては、なかなか特異なケース。

簡潔な文章でテンポよく進むのでぐいぐいと引っ張られる。
ただ、推理小説として、ミステリーとしてどうか、といえば、
真犯人の発覚があまりにあっさりしている点に不満が残る。
とはいえ、そういうミステリーもありか。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 18:08Comments(0)読む

2012年02月05日

投票実感の希薄化

投票場へ行って、えっ、という感じになった。

いつもと会場の様子が違っている。
狭いのだ。

葉書を渡して、本人確認。
読み取り装置で行い、生年月日が聞かれる。

隣へ行くとはがきと交換にカードを渡される。
なんと電子投票

初めての経験だ。

カードを装置に挿入すると画面にいろいろ出てくる。
で、投票したい候補を選ぶ。
確認画面が出て、これも、確認を押す。

カードを返す。

だいたいこんな感じの流れだ。


ただ、投票したという実感がない。
やはり候補の者の名前を自分で書くべきなのではないだろうか。
選挙でも、民主主義は薄いわけだが、電子投票ではさらに薄い感覚になる。
あと信頼性とか、プライバシイとかどうなるのか疑心暗鬼。
なんかいや。

(今回は、京都新聞によれば上京区と東山区で電子投票となったみたい)  続きを読む

Posted by 愚華 at 15:29Comments(0)徒然

2012年01月30日

『狩人は都を駆ける』を読んだ

『狩人は都を駆ける』(我孫子武丸)あるいはその地理学
という感じで…

京都ミステリーにこうしたものがあったというのがまず面白かった。
内容もなかなかのものだ。読み物としておすすめできる。

主人公は探偵。あまり仕事はないらしい。
探偵事務所が入っているビルの向かいの部屋が獣医医院。
その院長で獣医の沢田は、なかなか腕もよく、しかも、赤ひげ系、つまり、人情派。
沢田を通しての、動物=ケモノ=犬猫=ペット関連の依頼が、
この貧しい探偵事務所の経済を支えているようだ。
この本は、ケモノ関連の依頼を、探偵が解決(?)する(時にできない)5つの物語からなる。
やや変革のハードボイルド。



(我孫子武丸『狩人は都を駆ける』文春文庫、2010)
(↓↓ 内容の記載あり ↓↓)

小説内時間は、はっきりしないが、1990年代半ばであろうか。
とすれば、世間ではオウム真理教事件があったわけで、
京都でも、京都大学の学生でオウム信者がそれなりにいた。
そのあたりは、記述には無い。


探偵事務所は、京都の中心部にありそうだが、特定していない。
ビルの地下には、バーではなくスナック「ノワール」がある。
街中、か、京都駅近く、かな。
(第四作「失踪」を読むと烏丸通に近いどこかで、京都駅付近というよりは三条から五条の間っぽい)

第一作では、依頼人が下鴨在で、事件も下鴨神社で展開。近くの小学校も重要な舞台だ。
第二作は、依頼人は、先斗町のクラブに勤め、彼女の自宅は左京区のマンション。
依頼人=ネコ惨殺犯+αをストーキングし強姦した男のマンションは北区だった。
第三作の依頼人は、岩倉在住。犬を実相院とかに散歩させてほしかった。
第四作で、ネコさらいの都市伝説が広がるのは、嵐山近く。もう一人のネコ探偵の拠点は、京都駅の南。
第五作は、いまいち不明。重要な現場が「シャルマン高辻」なので、高辻通の付近か?


京都ミステリーであるが、古都的しつらえはない。
あえていうと下鴨神社くらいだろう。
さりげなく森嘉の豆腐が登場するのも気が効いている。  
タグ :ミステリー


Posted by 愚華 at 13:15Comments(0)読む

2012年01月12日

誘拐事件も面白い(『十四番目の月』(海月ルイ)読了)

京都での殺人事件を年末年始楽しんでいたが、
その一つに、海月ルイの『子盗り』があった。
これでは、殺人は、二件発生するが、物語の主軸とはいえない。
つまり、殺人は、派生現象というところを占めていそう。

読むのがなかなか苦しいところもあったが(内容のため)、
かなり面白く、よく分からないが「希望」のある終わり方なのだ。
殺人あり、苦悩あり、なのに…。


で、同じ作者の作品を選んでみた。
『十四番目の月』。



(↓内容に言及↓)

こちらでは、残念ながら、殺人はおきない。
誘拐である。
身代金は2000万円。
犯人は(二人であるが)身代金奪取に成功。
誘拐された子供も無事阪急梅田駅で保護される。

この小説のポイントは、誘拐犯の「動機」にある。
それは、復讐。どういう復讐なのかが大きなポイント。

それにしても、構造的には非常によく組み立てられており、面白い。
ただ残念なのは、殺人がないこと。
まあ、誘拐犯の子供が、殺された、という解釈も可能だが…。

気働きの無い、若い女の、ひどさの描写がすごい。  


Posted by 愚華 at 15:21Comments(0)読む

2011年12月06日

「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」

「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」を観にいった。
竹久夢二ということであろう、さすがに混んでいた。
もちろん、日曜日だったからもある。
しかし、押すな押すなというほどでもなく、それなりにゆったり見ることが可能。
やや予想外。良い方向への予想のはずれだ。



今回の展覧会は、版画家の川西英(1894-1965)が所蔵していた版画等を、
京都国立近代美術館が数年計画で購入していたが、その収蔵が終了したので、
それを記念して、コレクションの中心だった夢二の作品や夢二のデザインをメインとして、
一般に/社会に公開したものである、ようだ。


竹久夢二の諸作品、と、川西英のコレクション、という二つの焦点があったため、
展示のコンセプトがややねじれている感じがしなくはない。
といって面白くなかったわけではないし、「非常に変」というわけでもない。


竹久夢二の作品では、川西コレクションだけではなく、
竹久夢二伊香保記念館や個人蔵のものも展示されている。
他方それ以外では、いわゆる前衛版画家の作品も多く展示されていた。


前田藤四郎のもののいくつかは特に面白かった。


マヴォ系の作品もあった。
村山知義、高見澤路直、ワルワーラ・ブブノアのものである。
来年の晩春から初夏にかけて、村山関連の展示会もある、という記述もあった。
楽しみである。
牧の作品はコレクションには無いようだ。


複数回観たい展覧会である。

ここで愚かなアイディアを思いついたのだが、
複数回見る場合は、少しづつ入場料を下げていくという制度の導入などどうだろうか。  


Posted by 愚華 at 11:54Comments(0)観る