京つう

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2008年10月30日

京電遺跡

久々に、堀川中立売付近へ。

東堀川を北上した京電が、北野方面に曲がるのが中立売。
堀川にはそのための橋が架かっていた。
レンガ造りの橋の支えの跡が在る。
堀川を新しく「水辺」にするとき、どうもこの跡は利用されるようだ。
京電跡をなぞっている。

京電遺跡

7つ、「門」型に、コンクリがあるが、これが北野線の橋の跡の「なぞり」。
まあ、うまいアイディアと思う。きちんと説明書を、京電などの写真つきでつけてもらいたいが。

これも遺跡。レンガが、元橋の支え。

京電遺跡

これもそう、らしい。で、これは何?…むかしの(第一の)橋それ自体?

京電遺跡



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Posted by 愚華 at 13:35│Comments(7)温故
この記事へのトラックバック
愚華さん、『京電遺跡』ってタイトルお借りしますよ。ほんと、『京都市今昔写真集 発刊』のニュースやら、『堀川底公園建設』のニュースやらで、昔の市電オタクの蟲が疼き出してしま...
『京電遺跡』~廃線跡を巡る【京都ずんずん】at 2008年11月21日 20:23
この記事へのコメント
愚華さん、京電ネタの楽しい画像をありがとうございます。
最後の画像が、例の転車台があった時代の橋桁です。
そのコンクリートのアーチ橋は、後年のもので京電とは関係ないと思います。
今回の堀川公園化で、最近まで隠れていた橋桁の下部が露出したのは初見でした。
僕も見に行きます。

ところで、先日教えていただいていた、「京都市今昔写真集」のリーフレットが書店のカウンターに置いてありました。
それを貰ってきて、ずんずんで記事に上げてので見てください。
今まで見た覚えのない写真ばかりのようで、ますます興味が湧いてきました。
これは、9,990円というのは結構「買い!」ですね。
ではでは。
Posted by ずんずん at 2008年11月01日 10:19
ずんずんさん、リーフレット見ました。
有難うございます。
写真は広く提供を呼びかけた、的なこと、書いてありませんでしたでしょうか。
もしそうなら、そのため珍しい物がでてきた可能性はあると思います。
で、もしそうなら、まだまだ、プライベイトにしか見ることができない「光景」も埋もれているでしょう。
そうしたものの発掘、期待したいところです。

ところで、予約してみました。


京電遺跡関連ですが、コンクリートの橋は無関係ですよね。
なんか水道管みたいなものでも通しているようにも見えます。
ただ、古い橋桁と続いているというのは了解です。
Posted by 愚華愚華 at 2008年11月03日 11:52
堀川底公園、見てきました。
この公園が御池通まで整備されたら、
例の城南線レンガ橋桁がみれますね。
でも、護岸の石垣をあんまり整備されるのは、ちょっと心配なのです。
竹屋町~押小路間の西側の石垣は非常に貴重で、他と積み方が異なっています。
それは、まさに野積みで、
石のいくつかには、供出した大名の刻印が見られるのです。
要するに、二条城の一部だったということの証なので、
触らんといて欲しいなぁ。
Posted by ずんずん at 2008年11月07日 20:44
名称、それいいですね。

「堀川底公園」

屋上庭園、といったものの逆のよう。
sinkですね、これは。

「竹屋町~押小路間の西側の石垣は非常に貴重」というのは初耳でした。
気をつけて観察するようにします。有難うございます。
Posted by 愚華愚華 at 2008年11月10日 12:13
「堀川底公園」、押小路通まで出来るようですね。
西側の石垣は無事のようです。
よかった~です。

昔に撮った写真をひっくり返していたら、
30年くらい前に撮影した写真が出てきました。
またBlogに出しますので、見てください。
Posted by ずんずん at 2008年11月20日 14:06
私も最近見てきました。確かに無事のようです。

かつて堀川通が、戦時下の防火のために拡幅される前は、
二条城の東側は広場だったようですね。

その端が、この石垣なのではないでしょうか?
Posted by 愚華愚華 at 2008年11月21日 15:47
愚華さん、木屋町線の橋桁残っていました。
覗き込むのは、もう30年ぶりでしたが、
残っていて良かったです。

記事リンクとトラックバックも貼らせていただきました。
Posted by ずんずんずんずん at 2008年11月21日 20:26
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