京つう

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2008年09月03日

歌は難しい

吉井勇という歌人だが、今どう評価されているのか。
なかなか分らない。
ネットでは、祗園の例の歌くらいが取り上げられているということから、
ネットの劣悪さとネットユーザーの愚かさは分かるのだが、
かんじんの吉井勇については残念ながら曖昧模糊。

はじめて京都へ来たのは、たぶん、1906年(明治39年)8月。
次が、1907年(明治40年)8月。

重要なのはその次の1910年(明治43年)5月の遊洛。
この経験が歌われて「祗園冊子」となる。
「祗園冊子」を含む第一歌集『酒ほがひ』が出版されるのがその年9月である。

谷崎潤一郎で言えば、ちょうど同じ月に第二次『新思潮』の1号が出て、
発禁となっている。
谷崎の初期の代表作「刺青」は11月発行の『新思潮』3号に掲載された。

で、吉井勇。
「祗園冊子」の最初の歌が有名な、

かにかくに祗園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる

である。

「かにかくに」は「いろいろと」「あれこれと」という意味。

石川啄木の『一握の砂』(1910)に、

かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川

というのがある、らしい。

吉井も石川も、ある場所、ここでは「祗園」であり、「渋民村」だが、
そこが「こひし」と歌っている。
が、「こひし」は「直接には見えない、離れたところにある事物や人が慕わしくて、
じっとしていられない気持である」ことを云う。
石川は、東京から「渋民村」を思う、訳だが、吉井は「祗園」にいて
「祗園はこひし」と歌う。
おそらく、「祗園」にいて、「祗園の女」、あるいは、「東京の女」を「こひし」としているのではないか。
あるいは、その場にいるが、自分からは遠い「祗園」が「こひし」と云っているのかもしれない。
その「こひし」という気持ちを立ち上げているのが、
枕のしたの水、その音、そして、その情景の絵画的構成である。
(そういえば、石川も「おもひでの川」と水を出している。)

と、まあ、こう味わうのはどうか。

妄想。



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Posted by 愚華 at 12:18│Comments(0)読む
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