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2011年07月02日

「牡丹のある家」を読む

佐多稲子の作品「牡丹のある家」を読んだ。
『中央公論』1934年6月号に発表された作品である。
当時は、窪川稲子だった。


主人公は、こぎく。5人兄弟の上から三人目、長女のように読める。
一家は、山陽本線沿線の村の自作農。
父はハイカラで進取の気性があったようだが亡くなっており、
祖父、母、長兄、三女の妹と五人暮らし。
次兄は、神戸の造船所で働いていたが不良になり、傷害事件を起し刑務所にいる。
次女の妹は、姫路の紡績工場の女工らしい。
本人は、大阪で事務職についていたようだが、結核になり二年で帰ってきた。

物語では、自分の家の畑で山火事が起きる。幸い大事には至らない。
長兄の嫁が死産、その後実家に帰り、やがて離縁が申し込まれる。
こぎくは、また、血を吐く。
こぎくに、職場の男の同僚店員から手紙が来る。
彼女は、家に居場所がないと感じ自殺をはかろうとするが未遂。
最後にこっそりと家出する。


1931年9月、いわゆる満州事変が起きている。
この年は、東北北海道は冷害凶作で、娘の身売りが急激に増加したとされる。
おそらく東北出身の娼婦が東京や関西に流れたであろう。
1932年5月、5・15事件。政党内閣の時代が幕を閉じる。
そう、3月には「満州国」が「建国」。7月にはナチスが第一党になった。
1933年2月、小林多喜二が虐殺された。3月には日本は国連を脱退。
6月に、日本共産党幹部の転向声明が出る。
そして1934年、東北地方にまた大凶作が襲いこの年の秋から身売りがまた急増。
その少し前に、こぎくは東に向かった。


自筆年譜によれば、佐多は、1932年春ごろ、日本共産党に入党。
1933年、小林多喜二の虐殺について「二月二十日のこと」を発表。
1934年、随筆集『一婦人作家の随想』を出版。装丁は元マヴォの柳瀬正夢。
1935年5月には検挙された。(治安維持法違反か?)


タグ :佐多稲子

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Posted by 愚華 at 18:23│Comments(0)読む
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