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2010年06月06日

悲しき書の面影

渡辺京二の作品は、なかなか優れていると思っていた。『逝きし世の面影』は、ほんとうに名作である(と思った)。さまざまな資料を読み込み、近代以前の日本のあり方を再構築しようとしている。その視線も、近代以前に、良きものが存在しており、その良きものを暴力的に根絶やす近代への根源的批判といった感じで、熱いものを感じた。

5月28日の『京都新聞』「私論公論」に渡辺京二は「挫折者包む歴史観必要」というエッセイを書いている。最後の二段落目以降、おやっ、となった。

その部分を盗用しておこう。

「私は最近『安吾捕物帖』の中に、彰義隊崩れを扱った一編があることを発見して、深い印象を受けた。」(中略)
「彰義隊崩れと呼ばれた反革命の旗本御家人も、維新革命のある側面の当事者ではなかったのか。長谷川伸はさすがに、維新が生んだ青年のニヒルを、とっくに小説化している。」

これは、『安吾捕物帖』の作者は、長谷川伸、という論理で書かれているように、読める。
『安吾捕物帖』は坂口安吾作ではなかったか。もちろん長谷川伸が書いているかもしれない。資料を広く探る渡辺京二のことであるから、そういう「発見」もあったのかもしれないが、だとすると、説明が必要だ。

推測だが、渡辺は何か書き違いをしたのだろう。書いたあとに原稿を確かめなかったのだろう。校正も行くはずだ。そのときも見落としたのだろうか。

悲しむべき事柄と思われる。
教訓は、『逝きし世の面影』における資料の扱い方も、読む側で十分批判的に吟味しなければならない、ということだ。


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Posted by 愚華 at 15:34│Comments(0)凡観
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