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2010年01月05日

歇私的里性の笑

『明治/大正/昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』で、
明治の莫連女を扱っているところがある。
著者で文筆家の平山は、ここで、明治莫連女の事例を2例挙げている。
ところが、ここには大きな問題があり、非常に残念ながら、この本の信頼性を損ねている。

問題となるのは二番目の事例(明治の莫連女Ⅱ)で、ページでいえば、18頁から26頁まで。


さて、ここで扱われている事例はそれなりに興味深い。
事例=事件の発生は1909年のことだ。(明治42年)
記事によれば、本所区横綱町に住む海軍兵器製造業者の娘が、
美人であるにもかかわらず、銀杏返しを根元からフツリと切り落とし、
若比尼になるという、『読売新聞』が注目した出来事があった。
銀杏返しを切り落としたのは、その業者の次女数代。
記者がそこへ突撃取材して、連続物の「本所の高襟莫連」という記事となった。

文筆家平山は、この記事を発掘、その「(一)」のかなりを再録し『不良少女伝』に載せた。
また、それに感想を加え、理解を助けるための解説を付記する。
さらに、「(二)」の内容も記事を引用しながら紹介して、莫連女の像を造形してゆく。
感想が、専門外ということで、浅いのは仕方がないとしても、こう終るのはどんなものか。

「ところでこの記事、(二)のおわりに「偖て数代が強烈なる恋物語と断髪の謂れは此次」
とあるが続きが見当たらない。残念である。」(26頁)


『読売新聞』をみると「本所の高襟莫連(三)」が掲載されており、
数代の失恋や「断髪の謂れ」などが書かれている。

ということで、ここでは「断髪の謂れ」を、極簡単に紹介しておこう。

まず、『不良少女伝』を読んでいない人のために「(一)」と「(二)」から物語を再構成しておく。
数代は、銀杏返しをブツリと切り、七三に分けて「男装」している少女。
噂では、女侠客を任じて、他の娘達を集め「銀杏返組」を結成しているという。
「銀杏返組」は、堕落書生を釣っておいて、のちに腕鉄砲を食わせ、征伐するハイカラ莫連の団体、
と、イメージされてもいるらしい。だが、誰がそうイメージしているのかは不明。
また、記事を読んでも「銀杏返組」がほんとうに存在するのかどうかも不明だ。
記者の質問に対する数代の答などを読むと、堕落学生の集団は、どうやらあるらしい。
ある菓子屋の二階を巣窟として、近くの若い女性に声をかけ誘惑しているという。
数代の友人が、その一人から脅迫的に交際をさまられ、おそらくこれもあって、数代は、
その堕落学生達を相手に「血を見る程の大喧嘩」した。
しかし、1909年正月に和解、末永く交際しようということになったようだ。

さて、「本所の高襟莫連(三)」による「断髪の謂れ」である。
末永く交際することになって、数代もこの菓子屋の二階に出入りしていたのだろう。
正月の和解からまだ日も浅いが、だんだん「其処へ集る輩は揃ひも揃つて不甲斐ない「海鼠の様な奴計り」」という気になった。
そこには数代の理想の男性はいない。(数代は前々年失恋している。)
そういう中、数代は、1909年1月27日、「意気地無し男の顔」を見ようと菓子屋に寄る。
近くに来ると、彼らの声が聞える。
「チエツ!女の腐つた様な声」と癪にさわり吃驚させ度肝を抜かせたい、と急に思ってしまう。
その時思いついたアイディアが、自分の銀杏返しを根元から切って、なよなよ男達のまん中へ、
ドサリと投出」すこと、その時の彼らの顔色を見てやろうということ、だった。
このアイディアに数代は愉快になり、懐の剃刀を取り出して髷をスパッと切る。
気がボーっとしたが、二階に駆け上がり、なよなよの有象無象の前にそれを投げつけた。
そして一言。

「皆な之だから今後は男の交際を為て下さい」

残念ながら、なよなよどもの反応は書かれていない。
数代の心地は、「胸が清々した」というもの。
記者の見立ては、数代が「ヒステリー症」であるという判断。
『虞美人草』の主人公、藤尾が「歇私的里性の笑」を残して自死するシーンが書かれるのが、
1910年10月である。つながりを感じるのは飛躍だろうか。


ともあれ、『不良少女伝』のお粗末さのために、大変興味深い「断髪の謂れ」が無くなっているのだ。
文筆家平山がわざとそうしたとは思われない。おそらく原因は、資料の扱いの問題だろう。
確かに、DVD版の『読売新聞』で「検索」すると「本所の高襟莫連(三)」はヒットしない。
そのため、平山は、「続きが見当たらない。残念である。」としたと推測される。
これはかなり大きなミスだ。(良心的著者なら回収絶版ということもありえるが、そこまではする必要性はあるまい。)
ただ、再版時には加筆補正は必要ではないだろうか。
また、現在あるものには、訂正文などを差し挟むくらいはあってもおかしくはあるまい。

感想だが、これだけ大きなミスがあるということは、他の箇所に関しても用心が必要ということになろうか。
コメント類も、不十分な調査資料によるところもあり、楽しみとして読み飛ばすのがせいぜい、ということだろう。


タグ :夏目漱石

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Posted by 愚華 at 19:40│Comments(0)罵詈
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