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2009年11月08日

谷崎の記憶違い、と吉井云い

昨日の京都新聞と朝日新聞に吉井勇の記事が出ていた。

京都新聞では一面の扱い。
「吉井勇の草稿発見」「平等院住職、東京で」「表記の違いの指摘削除」「谷崎潤一郎への配慮か」
という見出し。
京女について書いたエッセイの草稿だという。
ポイントは、谷崎潤一郎が「磯田多佳女のこと」の中で書いた、
吉井勇の歌に関する記述があるのだが、
谷崎の書いた事柄は記憶違いだろう、とした部分があり、
そこが最終的には削除されているということが草稿から判明したのである。

京都新聞には、その部分のカラー写真が載っているが、
どういう文章が削除されたのか、判読は非常に難しい。

朝日新聞では、社会面扱い。30面に載っていた。
「谷崎の誤り水にながるる」「かにかくに 友の配慮」「吉井勇、指摘直前に削除」
という見出し。
こちらでは、削除部分の一部が示されている。

「(谷崎は)私の歌が最初は、『かにかくに 祇園はうれし酔ひざめの 枕の下を 水のながるる』
としてあったといっているが、これは何かの思い違い」

全文が見たいものだ。

吉井勇のこのエッセイは、『オール読物』1952年2月特別号に掲載されたという。

「かにかくに 祇園はうれし酔ひざめの 枕の下を 水のながるる」が、
谷崎潤一郎の幻想の産物であることが、これで確定的になりそうだ。
この結果は面白い。
谷崎の回顧談などが、谷崎の生きてきた記録として彼の伝記を構成するときに使われるが、
批判的吟味が必要であることがよくわかるというものだ。
谷崎の伝記の洗い直しが必要、ということを示している。



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Posted by 愚華 at 08:35│Comments(0)温故
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