2006年06月20日
西陣と「瘋癲老人」
「瘋癲老人」が上洛して、自分の墓地を決めようとする、
そこが、「瘋癲老人日記」の意味深いシーンだが、
「瘋癲老人」は、墓石をどうしようかといろいろ悩む。
どうもその時、いくつかイメージしていた像なり何なりがあったようで、
「瘋癲老人」はそれらの例を日記に記した。
その一つが石像寺の阿弥陀三尊石仏。
不勉強な愚華は「石像寺? どこ? 千本上立売上る? ?」と思っていたら、
釘抜地蔵のことだった。いやいや、本当に自分の疎さはひどいものだ
それはそれとして、
谷崎潤一郎が、「瘋癲老人」経由で釘抜地蔵にクロスオーバーというのが
なんか面白い。
法然院には、谷崎本人の墓もあり、「瘋癲老人」もご執心なので、
つながりは有名。
でも西陣にも谷崎‐京スポットがあったわけだ。
そこが、「瘋癲老人日記」の意味深いシーンだが、
「瘋癲老人」は、墓石をどうしようかといろいろ悩む。
どうもその時、いくつかイメージしていた像なり何なりがあったようで、
「瘋癲老人」はそれらの例を日記に記した。
その一つが石像寺の阿弥陀三尊石仏。
不勉強な愚華は「石像寺? どこ? 千本上立売上る? ?」と思っていたら、
釘抜地蔵のことだった。いやいや、本当に自分の疎さはひどいものだ
それはそれとして、
谷崎潤一郎が、「瘋癲老人」経由で釘抜地蔵にクロスオーバーというのが
なんか面白い。
法然院には、谷崎本人の墓もあり、「瘋癲老人」もご執心なので、
つながりは有名。
でも西陣にも谷崎‐京スポットがあったわけだ。
Posted by 愚華 at 13:07│Comments(0)
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