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2011年01月10日

宮部ワールドとの遭遇

予感があったがあたってしまった。

北国の紀伊国屋で、とある作家の文庫本群が、囁きかけてきた。
すごく迷ったのだが、買ってしまった。
迷ったのは、一冊読むと、次々に読まずにはいられない
「中毒症状」を呈するのではないか、という予想があったから。
それほど面白い作家だとは、ちまたの噂である。

囁きに負けた。

読んでみるとやっぱり面白い。


その作家は、宮部みゆき、である。


はじめは、短編集を選んだ。
いきなり長編で、それを読むのに拘束されたらたまったものではない、ということと、
もし万が一面白くもない長編に当たった場合、悲惨だからだ。

古本屋のイワさんを主人公とする連作短編を読んだ。
新潮文庫の『淋しい狩人』である。



短編は、6編入っていた。
最初の「六月は名ばかりの月」は普通。
しかし、2編目、「黙って逝った」でぐっとつかまれた。
おもしろい。
まず主人公の在り方がバブル崩壊以降20年の若者を象徴するような男である。
バブル崩壊直後の作品だが、その後を見通している。
目的もなく、生きているが、幸い仕事は正社のようだ。
父が突然死ぬ。(母はもうなくなっている)
その父のアパートに『旗振りおじさんの日記』というただ一種の本が、なんと302冊もあったのだ。
自費出版の本で、著者は長良義文。電話で問い合わせると彼は殺害されていた。
ここからいろいろ展開し、殺人犯もつかまり(物語の外でだが)、主人公も何かをつかむ。
一種の教養小説的になってもいた。

「うそつき喇叭」も面白くぞっとする。
『うそつき喇叭』という童話が登場する。怖い童話だ。
構造として、浦沢直樹の『モンスター』を思い出した。
「うそつき喇叭」は、小学生を先生が虐待するという展開。
あとでわかったが、小学校のころの憎しみというのは、
宮部みゆきの一つのポイントであった。

「歪んだ鏡」も面白い。
自分に自信のない若い女の内面を描くその筆力、それが第一。
その女が、山本周五郎の小説のなかの女の言葉で、世界の見え方が変わってしまう、それが第二。
古本屋の古本に宣伝のために名刺をはさみこむというアイディア、それが第三。
名刺をはさみこんだ男が背負っているバブルとバブル崩壊の影、それが第四。
そして「オチ」、これが第五。「オチ」はややあざとさもないわけではない。

「淋しい狩人」も、予想できる展開とはいえ、いわゆる本格推理も愚かにも好きなので、
楽しむことができた。
佐木隆三の『深川通り魔殺人事件』への言及もある。
宮部は、ブリーフ姿で包丁を振り回す川俣軍司を記憶に焼きつけているのかもしれない。
通り魔事件は1981年6月に発生。
佐木の本は、1983年6月発行。
宮部のこの小説は、1993年6月に発表されており、
小説ない時間は、1992年の6月頃である。
このあたりは意識的なしつらえかもしれない。


というわけで、宮部みゆきの次の本を買いに本屋へ走ることになった。  


Posted by 愚華 at 14:26Comments(0)読む

2010年12月19日

京都明細地図

もうニュースではないが、府立資料館で、『京都明細地図』が見つかったという報道には興味がそそられた。
12月16日の『京都新聞』の記事だ。

1927年から、1951年ころまでの街の変遷が書き込まれているというからすごいものである。
約25年間。
間に戦争が挟まる。

窓口で資料請求すれば閲覧可能、というのも素晴らしい。
複写もできるのかしら?

繁華街などの変遷も分るはず。
酒場の消長とかも面白そうだ。
個人的には裏寺町あたりの変化を見てみたいものだ。
あの「」のあるあたり。
「正宗ホール」が隣だったらしいが、どっち隣だったのか、とか。


http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20101216000092  

Posted by 愚華 at 18:03Comments(0)読む

2010年11月28日

いよいよ仁丹の始動らしい

今日の『京都新聞』朝刊、および、『京都新聞』ネット版に
新しい「仁丹町名看板」のことが出ていた。

設置が決まったので、昨日27日、京都コンサートホールで発表会があったのだ。
13町内という。上京区の大黒町や中京区の百足屋町など。
「中京区寺町通御池上ル上本能寺前町」もある。市役所の近くか。

発表会に市長も出たというのは驚き。
京都での「町内」の強さを示しているのか、観光への利用を考えているのか、
はたまた、選挙への利用か、不明。

記事によれば、「仁丹町名看板」は、1910年に始まったという。
全国に設置ともいう。
この始まりだが、何か資料的なもの、内部文書とか、あればいいのに。
あと全国のどこにいつ、というリストでも出してほしいものだ。


とはいえこの「京都琺瑯町名看板プロジェクト」は面白い試み。
どうなっていくか注目できる。  

Posted by 愚華 at 11:59Comments(6)読む

2010年11月23日

潤一郎の『吉野葛』

『吉野葛』を読んだ。
谷崎潤一郎の作品。初出は、1931年の初め。
『中央公論』の一月号と二月号に連載された。

ある作家とその友人・津村の話。二人は、南朝の地である吉野に遊ぶ。
ある作家は、後南朝ものの歴史小説を構想し、その材料を得ようとしている。
友人津村は、吉野の里の民俗と吉野の里出身の母親の幻影を追い、
母の幻影の向こうにいる、ある若い田舎の女性を妻にしようとする。
さらに芝居などの芸能も関わる。
こうしたいくつかの線が交錯し重層してゆく小説。


京都は関係あるのかといえば、「南朝」に対峙するものとしてある。
であるから、ほとんど言説化されない。
つまり語られることはない。
しかし、南朝系の自天王を討つのは「京方の討手」とされるので、
京都は吉野の敵としてある/あった、ということだ。


ある作家が奈良から吉野に入る時の中継地としてだけ、近代の京都があらわれる。

「こちらは東京を夜汽車で立ち、途中京都に一泊して二日目の朝奈良に着いた。」

夏目漱石の『三四郎』(1908)と同じく中継地であるが、ベクトルは全く逆である。
『三四郎』の時は、田舎から三四郎が出てくる中継点として京都と名古屋がある。
その田舎は、おそらく坊っちゃんの田舎だ。そこには民俗は発見されていない。
しかし、1930年の日本では、すでに民俗は発見され、その中へ回帰するという回路ができていた。
『吉野葛』からはそのことも読める。
そして、民俗と歴史の中核には「京都」がある、ともいえる。
(ただ『吉野葛』の主要な物語の進行は、1910年代初頭である。
これが書かれた時までに「民俗」の発見があり、そのため、
執筆時の1931年には、「民俗」を1910年時点に投影できた、
ということである。)


千葉俊二の解説によれば、この作品を佐藤春夫は、谷崎が、
「急角度を以て古典的方向に傾いた記念碑的作品」、「第二の出発点」と位置づけたらしい。  


Posted by 愚華 at 19:58Comments(0)読む

2010年01月03日

『文壇栄華物語』

著者は、大村彦次郎。ちくま文庫として昨年末出版。
足掛け2年で読了。

人間関係の流れや人と人の出会いを軸に、戦後10年の「文壇」史を描いたもの。
最近、太宰治がある程度ブームだし、坂口安吾にも関心が向いているし、
松本清張も生誕100年で注目されたので、もしかすると興味を持ち面白いと思う人もいるかもしれない。
この3人は主役級として登場する。
ただ、この本を面白いとするのはマイナーだろうなあ、と思う。
しかし、分厚いものに挑戦するにはいいかもしれない。
参考資料まで入れると539ページある。

読んでいて思い出したのは、伊藤整の『日本文壇史』。
記述の仕方が似ている気がしたが、伊藤整のものは途中挫折中なので大きなことは言えない。
解説を書いている坪内祐三は、
「伊藤整の名著『日本文壇史』よりも、面白く読める」という評価。
どちらが面白いはさておき、似ているということでしょうね、やはり。

読んでいて感じたのは、ジャーナリズムの東京中心性。
特に松本清張のデビューに関して書かれている九州文学の話は悲しい。
現在はインターネットが普及し、情況は異なるのかもしれないが、
どうなのだろうか。
戦後における帝都の再成立という話でもある。

ジャーナリズムの東京中心性に関与したらしいのがGHQというのも興味深い。
1949年3月にGHQは、デフレ政策をとって、過度経済力集中排除法を、
配給元の日本出版配給株式会社に適用。
秋にかけて、弱小出版社がバタバタと倒産したらしい。

ふと思い出したのは、京都の出版社である。
戦後すぐいろいろ出来たはずなのに、倒産したり東京に出たりで、
現在はその数は少ない。
GHQと東京の戦略にやられたのかもしれない。


買って読むには値する本。持っておいて辞書代わりも使える。
ただ、文学に興味がないと途中で眠くなる可能性が大。
戦後文学史を知らないので、という場合の勉強にはなる。
これを参考に面白そうな中間小説を読んでいくというのもいいかもしれない。  


Posted by 愚華 at 11:23Comments(0)読む

2009年12月24日

『明治/大正/昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』

『明治/大正/昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』を読んだ。

最近出た本。著者は、平山亜佐子。出版社は河出書房新社。

明治、大正、昭和(戦前期)の、不良少女たちの息遣いや彼女たちが生き抜けた時代の空気を顕在化させようという作品。
テーマ的には大変面白いし、資料として新聞を使うというのもなかなかである。
ただ、残念なことに、不良少女たちの息遣いよりも著者の口吻の方が作品を支配し、
時代の空気よりも、その時代を説明しているネットなどの情報が顕現してしまい、
息遣いと空気の反定立になってしまっている。
その点が哀れである。
戦後についての類似企画もあるようなので、文筆業従事者としての手抜きなき力量を発揮してもらいたい。


買うほどの本ではない。
資料としては面白いが、その点は図書館利用でいけそう。
写真は、すくないが、良いものも多い。  続きを読む

Posted by 愚華 at 16:23Comments(0)読む

2009年12月16日

『下流志向』

内田樹の『下流志向』を読了。
なかなか示唆に富む本である。
面白いし、勉強になる。
ただ、背景的知識がないともしかすると難しいということで途中で挫折ということもありそうだが。

ここに書かれている内容は、「文庫版のためのあとがき」によれば、おそらく04年くらいに胚胎したのではなかろうか。本文で、ホリエモンが経済合理性と消費主体としての生の象徴として出てくるところに、それを読み取れそうだ。(172)
ということは小泉的小民主ファシズムの勝利もこういう考察を内田にさせた原因と推察できる。
ホリエモン旋風や小泉ファッショ旋風の中、その原理を思想的に見る、ということが行われ、05年の夏にビジネスカフェジャパンが主催した講演会でこの本の基本枠が公表された。(2005年6月25日)
それが、さらに厚みを増して、2007年1月に講談社からの単行本として出版された。
その後、2009年7月に文庫化されたわけだ。

00年代の(90年代からも含めて)考察、ということになっていると思われるが、内容は多岐に渡る。
そこを絞り込むと、二つの現状の理解があることが分かる。
第一が、ポジティヴな自己評価の学びからの主体的意思的逃走が、広範囲に生じている、ということ。
第二に、ポジティヴな自己評価の労働からの主体的意思的逃走が、これまた、広範囲に生じているということ、
である。

これらの原因として内田があげるのが、その逃走主体の生育的・起源的特性だ。
いま日本に生れると、人々・われわれは、自身を消費主体として、就学以前にすでに自己確立させられる。(45)それは日本社会が経済合理性の貫徹される社会となっているからであり、また、その社会に埋め込まれた家族も、経済合理性・資本制・マーケット原理の関係性をとってしまっているからである。そこから、この二つの逃走が生じるのだ、としている。

面白い議論で、なるほどと納得のいく部分が少なからずある。

消費主体として深く自己確立している人は読んでも理解できない可能性はあるので注意が必要。



内容的には、『若者はホントにバカか』と重なる部分がある。
しかし、論としてはこちらの『下流志向』の方がずっと興味深い。

京都から突然消えた大澤真幸の『虚構の時代の果て』や
神戸に虚巨体を店晒しているという大塚英志の『「おたく」の精神史』などと
どう交差するのか、そこも重要で楽しそう。  

Posted by 愚華 at 13:31Comments(0)読む

2009年12月04日

『若者はホントにバカか』

オバマ大統領が誕生する前に出た(去年の5月)、アメリカの若者の知的状況についての批判的考察。
基本的には、アメリカの若者は、ブログやSNSやケータイによる、仲間間のつながりの維持と、
ポップカルチャーやサブカルチャーの話題や、ファッションなど流行を追うことに関心の中心があり、
伝統的な知識へのアクセスが極端に少なく、学問的知的流れとは無縁である、
というもの。

数字の説得性は分からないが、日本の状況と共通する点については、
うなづいてしまった。

この本にでてくる、アメリカのテレビ番組『トゥナイト・ショー』の「ジェイウォーキング」コーナーのことが笑える。

「教皇はどこに住んでるの?」
<イギリス>
「イギリスのどこ」
<うーーん、パリ>

なかなかのもの。

この質問と答だけを列挙してもよかったのに、と思った。


評価として→買って読むほどの本ではない。  

Posted by 愚華 at 18:02Comments(0)読む

2009年11月17日

『阿片王 満州の夜と霧』

佐野眞一の力作『阿片王 満州の夜と霧』を読了。
面白い。

文庫版で読んだが、単行本版以降発掘された諸事実も記載されており、文庫版が良さそう。
単行本としては2005年出版。文庫は2008年に出た。
続編として、『甘粕正彦 乱心の曠野』がある。これも文庫になると加筆されるだろう。

内容としては、里見甫という戦前大陸で暗躍した人物の伝記。
新聞記者、広告・情報・宣伝実務+秘密任務、阿片販売と仕事をかえ、
その人物の「大きさ」で、それぞれの仕事を、堅実にこなした。
戦後は、理由は判らないが、いわゆる第一線から退き亡くなる。

取り巻く人物がまたいろいろな形・方向でねじれていたり、大きかったり、小さかったりする。
読む分には興味を引かれ面白そうだが、実際には付き合いたくなさそうなものも多い。

ともかく、そうした人物ネットワークと、満州国という機関の奇怪な動きと、
その戦後日本における作動が見えてきて、グングン文中に引き込まれる。
手法は石原信太郎の伝記の場合と同じ。インタビューと文献で人物とネットワークを詰めてゆく。
手堅い力技。

ところで、京都も奇妙に関係していたらしい。
二つある。
一つは戦前のこと。里見甫と若松華瑶の繋がり。
二つ目は、GHQに発見されるまで、戦後、数年里見が京都に身を隠していたこと。
もちろんこの二つの事柄は、同じ地平上にあるが。

この京都つながりも大変興味深い。
  続きを読む

Posted by 愚華 at 10:55Comments(0)読む

2009年10月11日

『秘録 日本の活動写真』

田中純一郎『秘録 日本の活動写真』を読了。

日本での映画の興行や製作の初期の形がよくわかり非常に勉強になる。

田中純一郎は、1902年生れ。1989年に亡くなった。
明治に生れ、平成に入ってすぐ亡くなったことになる。

「純一郎」は筆名で、谷崎潤一郎のファンであるところからのペンネームらしい。
解説によれば、田中が谷崎を愛読するようになったのは、1918年あたりからという。
この年谷崎は映画に関る小説、『人面疽』を『新小説』3月号に載せている。
これがきっかけかもしれない。

田中が『アマチュア倶楽部』のロケを見に行ったかどうかは不明。
どこかに記載があるかあったかもしれないが失念。


日活の横田の人間性が浮き彫りにされ、それも興味深かった。  
タグ :谷崎潤一郎


Posted by 愚華 at 13:36Comments(2)読む

2009年09月15日

『一寸法師』

江戸川乱歩の『一寸法師』読了。

乱歩ものはいろいろ読んでいるが、どうもこれについては印象がなくはじめてらしい。

春陽堂から出ている文庫本で読んだ。解説などがないのが残念。
「地獄の道化師」といっしょになっているバージョンだが、
どうしてこの二つを一緒にしたのか、といったことが知りたい。
読んでみると、なんか共通点があるが。

『一寸法師』は映画化されていた。
特に戦前版を見て見たいが、おそらくフィルムは失われているだろう。

小説の内容や形式に、京都との関係はない模様。  


Posted by 愚華 at 09:45Comments(0)読む

2009年08月19日

『青山二郎の話』

8月某日、某書店で見つけた宇野千代の『青山二郎の話』を読了。

青山二郎がなにやつかの輪郭はつかめた。
しかし、青山二郎が「何」なのかは分らない。

すこぶる異和な感じ。  

Posted by 愚華 at 14:26Comments(0)読む

2009年07月23日

8基目発見

やや遅いコメントだが、今月8日の「京都新聞」の記事で、
京都市内に現存するラジオ塔遺構出、新たなものが発見されたという。
これまで7基確認されていたので、8基目だ。
8基目の場所は、何と林の中、らしい。
京都新聞の記述をいただくと、こうなる。

「左京区の叡山ケーブル八瀬駅近く林の中にもラジオ塔の遺構があることが新たに分かった」

まだありそう。

あと、記録はないのか気になる。  

Posted by 愚華 at 18:29Comments(0)読む

2009年05月31日

再び京都市電最後の日々

今回もどういうわけか散髪のあとである。
丸山書店千本店に入るとやはりあった。
高橋弘・高橋修『京都市電最後の日々(下)』(ネコ・パブリッシング、2009)
ただ、上巻は見当たらない。売り切れか?

今回は「丸太町線・今出川線・白川線」「河原町線・七条線」「外周環状線」である。

ウワ、すごい、と思った写真は、1978年8月16日撮影のもの。
左大文字から金閣寺前あたりを撮影。市電が2台走っている。



1978年8月号の『プレイガイドジャーナル』を見ると、「雑壇時評」というコーナーで、
村上知彦が、「栗本薫」の「SFランドにようこそ」にやや批判的なコメントをしている。
そして、「そうそう、薫君の処女小説(なんだろね)「ぼくらの時代」が乱歩賞を受賞したそうだ。ボクちゃん、おめでと」とも。

同じプガジャの編集雑記。
「とうとう日本のドン=山口組の田岡一雄組長の首をとるための一発の鉄砲玉が放たれました」とある。
また、別の編集担当はこうかいている。
「18歳の中沢けいという人が書いて「海を感じる時」を最近読んだ。」

1978年9月30日が、京都市電最後の日であった。
  

Posted by 愚華 at 18:47Comments(7)読む

2009年05月28日

裏寺、静

『朝日新聞』のたぶん京都版、「週刊まちぶら」という記事がある。

2009年4月12日は「裏寺町かいわい」であった。

大きな写真に、居酒屋「静」の御主人が出ている。
初めてお名前が判明。加藤石根氏。
「静」の落書き群は、確かにすごい。
最近ご無沙汰しているなあ、ということにも気づいた。

この記事、いろいろ情報があり、興味深い。担当の佐藤達弥記者に感謝。

①静のある通の名前、これも知らなかった。
「柳小路」だそうだ。
1970年代には、あの細い通に25軒の飲食店が並んでいたという。
78年12月号の『アサヒグラフ』には、記事があるという情報も有益。
静は大正期からやっているともいう。
今度、御主人にお話を聴かなければ…。

②三吉の記事でも面白いところがあった。
半世紀前は、裏寺街には約50軒の飲食店があったとか。
現在は三吉を入れて3軒か…。

③宝蔵寺に、伊藤若冲の父母や弟の墓があるというのも面白い。
今度見てみたい。(お参り、というのが、正式かな)

④ダンスシューズ専門店の萩原靴店の記事も興味を引く。
戦後、店の向かいに進駐軍のダンスホールができたのをきっかけに、ダンスシューズ専門店になったという。
このダンスホール、どこなのか。
現在のミーナ京都ができる前のビル(名前を失念)は、かつて進駐軍のダンスホールだったという。
それとも西にあったのか。


裏寺町のもともとは秀吉による整備にあるらしい。
なるほど。

ただ、欠落もある。
裏寺町のダークサイドは出ていない。
かつて私娼街だったこともある。
まあ新聞記事は、良い子も見るし、今住んでいる人達にも配慮しないといけない、ということだろう。
良識ジャーナリズムとしては仕方あるまい。  

Posted by 愚華 at 12:02Comments(0)読む

2009年05月26日

電リクのフェードアウト

時代とともに消えるものはいろいろある。

活弁などは、1930年代には消えていった。

単館上映の映画も消えつつある。
ゲームセンターやアミューズメントパーク的に、シネコンは成立しつつあるような感じだ。

4月11日の朝日新聞夕刊には、「電話リクエストはもう届かない」という記事があった。
「関西のラジオ番組でこの春、リスナー向けの電話窓口が相次いで廃止された」というもの。
原因は、二つあるらしい。
通信手段の多様化と形式の変化。簡単にいえば電話からメールへの流れだ。
もう一つは、音楽の視聴形態の変化。ラジオからネットへという流れだろう。

寂しいともいえるが、面白いともいえる。

その記事で分かったこと。
電リクの発祥は神戸、という説があるようだ。
1952年という。
現ラジオ関西、当時のラジオ神戸。
クリスマス特別番組で実施とか。

最盛期は、60年代から70年代。  続きを読む

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2009年05月26日

『“秋田雨雀”紀行』を読んだ。

秋田雨雀といってもほとんど知られていないと思う。
愚かにも、高校生時代に、名前を聞いたが誰か分からなかった。
ただ、高校卒業以降は、名前だけは記憶され、時々、名前を目にしたときに、「ああここにも」とくらいは考えるようになった。
1930年代に、プロレタリア芸術運動が一定の力を持っていたときに、そこに関り、その後、その運動が、排除圧殺されるときにも、いろいろな形で支えた人物である、ということも、その過程でかすかに知った。

が、いまだに、その作品を読んだりしたことはない、はず。
戯曲も多数書いているが、上演された作品を見に行ったこともない。


細々と地方で出版を続けている津軽書房から、秋多雨雀関係の本が出ていて、機会あって、最近読んだ。

工藤正廣『“秋田雨雀”紀行 ― 1905~1908 ―』2008、津軽書房。

面白い。
そもそも工藤の文体というか、文のリズムが面白いし快適である。
工藤は、秋田と、故郷を同じくしている。二人とも黒石出身だ。
その故郷を共有するというところが、秋田の作品解釈・分析に、大変効いてきており、なるほど、と思ってしまう。とくに口語・方言・黒石語をどう見るかは、感心してしまった。

ほんとうに面白い。
出だしが、秋田とその友人の鳴海が、青森で、島崎藤村と会うシーンから始まるが、それがちょうど日露戦争のさなかであった。1904年7月26日。津軽海峡は、ロシアの艦船が通過するなど、極度の緊張下にあったようだ。
バルチック艦隊が日本海軍に敗れたいわゆる日本海海戦は、1905年の5月27日から28日にかけてだった。

『“秋田雨雀”紀行』では、雨雀の小説二編が読み込まれる。「アイヌの煙」(1907)と「おそのと貞吉」(1908)だ。
後者の「おそのと貞吉」は、なんとなくだが、夏目漱石の『坑夫』とのつながりを感じさせる。これはカンに過ぎないが(愚かにも「おそのと貞吉」を読んではない)。『坑夫』は、新潮文庫の解説では、1908年1月1日から4月6日まで『朝日新聞』に連載された。「おそのと貞吉」は、1908年6月に脱稿、『趣味』8月号に掲載、であるという。時間的にはつながりを仮設できる。長田幹彦の「澪」(1911)や「零落」(1912)も何らかの関連圏にある、と見ることはできまいか。おそらく日本資本制の展開とも関っている。

いや、しかし、この本、『“秋田雨雀”紀行』は良い本だ。

秋田雨雀をもう少し追う必要性を感じた。  


Posted by 愚華 at 12:38Comments(0)読む

2009年05月21日

住谷悦治の日記発見

今日、『京都新聞』の夕刊の記事で、「住谷悦治氏の日記発見」という記事が掲載された。
かなりの大発見と思うが、おそらくあまり話題にはならないだろう。残念である。

特に重要なのは、いままで未確認であった戦前の日記で、
例えば、山本宣治暗殺時の記録などもあるという。
それ以外に、『世界文化』関連のことや『土曜日』関連のこともかかれているだろう、と思う。
大変興味深い。

どこかから復刻でないかなあ。

一般人が愚かにも行っても、見せてくれるのかなあ。

一部の人に囲い込まれて、公開されないのかなあ。

緩やか全体主義の現時点を、硬質全体主義の時代から、
見返す何かになる感じはするのだが。  

Posted by 愚華 at 23:27Comments(0)読む

2009年05月04日

予想外に・予想以上に、面白い

4月の終わりのこと、まだ連休に突入する以前、『鴨川ホルモー』を読了。
予想外に面白かったのには驚いた。

ただ、まず、ちょっと気づいた難点から。
関係人物がかなりいるはずなのに、主人公とかかわりを持つ形で描かれているのは10名にもみたない。
ここが不満。
もっといっぱい人間が書かれて欲しい。

あとは、歴史の話。
だいたい立命が衣笠に移動したのはいつなの?
それで物語の構造が変わると思うが、まあ、仕方ないか。

しかし、楽しめる。おかげで、久しぶりに、地下鉄で駅を乗り越した。
映画も見てみようかな、という気にはなる。

  

Posted by 愚華 at 17:48Comments(2)読む

2009年04月09日

ラジオ塔

今日、4月9日の京都新聞夕刊のトップ記事は、すごく面白かった。

「ラジオ塔遺構 京に7基現存」という見出し。

昭和のはじめに、ラジオを共同で聞くための設備「ラジオ塔」なるものがあり、
その遺構が、京都の公園に残っているというもの。
記事でも触れているが、街頭テレビというのは、戦後史でよく扱われる。
「ラジオ塔」ははじめて。
ただ、円山公園の「ラジオ塔」は見た記憶があるが、関心が向いていなかったのだろう。

写真も載っているが、へたをすると、換わった燈篭で終わりそうな感じだ。

記事による所在場所。

①円山公園
②紫野柳公園(北区)
③小松原公園(北区)
④橘公園(上京区)
⑤萩公園(左京区)
⑥船岡山公園(北区)
⑦御射山公園(中京区)(現在は工事のため撤去中とか)

北区に多いような感じがしないこともない。

イヤーーー、もっとあるかもしれない、と思わせてくれる。

初めて出来たのは、この記事によれば、1930年、大阪だったようだ。
もしかすると、日本独自のものかもしれないが、そこはわからない。


この記事、実に、好奇心をそそる。


追記:「ラジオ塔」と「テレビカー」は概念的に似ていることに、いま気づいた。  

Posted by 愚華 at 22:21Comments(0)読む